考察丨“いい人”をやめたら、怒りが止まらなくなった
「“いい人”をやめたらシリーズ」第二弾です。
昔の私は、嫌なことがあっても我慢する人でした。
理不尽なことを言われても飲み込む。
失礼な態度を取られても受け流す。
不快なことがあっても、
「私が我慢すればいい」で終わらせる。
そんな生き方を長く続けてきました。
ところが最近は違います。
会社でも、以前なら笑って流していたようなことに腹が立つようになった。
明らかに不快なことを言われると、
顔に出る。態度にも出る。
心の中で強い怒りが湧いてくる。
そして時には、自分でも驚くほど相手への拒否感が出ることがあります。
その度に思うのです。
私は回復しているのだろうか。
それとも悪化しているのだろうか。
そして最近たどり着いた答えがあります。
もしかするとこれは、
「遅すぎる反抗期」
なのかもしれない、と。
■ 昔の私は怒らない人だった
私は長い間、
自分は怒らない人間だと思っていました。
穏やか。
優しい。
我慢強い。
そう見られることも多かった。
でも今振り返ると、
あれは怒りがなかったのではありません。
怒ることが許されていなかっただけでした。
機能不全家族や虐待環境で育った人には分かるかもしれません。
怒ると空気が悪くなる
反論するともっと怒られる
嫌だと言うと面倒なことになる
だから生き延びるために、
怒りを感じる前に飲み込む。
相手を優先する。
自分が悪いことにする。
そうやって処理していた。
本当は、
嫌だった。苦しかった。
理不尽だった。傷ついていた。
でも私は、その感情を怒りとして認識する前に消していたのです。
だから長い間、
私は怒らない人だったのではなく、
怒れない人だったのだと思います。
■ 回復すると急に腹が立つようになる
ところがカウンセリングや自己理解が進み、
少しずつ自分の感情が見えるようになってくると、
今まで見えなかったものまで見えるようになります。
その中にあったのが怒りでした。
以前なら気づかなかったこと。
気づいても我慢していたこと。
それらに反応するようになった。
すると今度は、
今まで許していたものが許せなくなる。
失礼な扱いを受けると腹が立つ。
理不尽なことを言われると腹が立つ。
そして私は最近、その怒りを持て余しています。
特に自分でも驚いたのは、
怒りが表に出るようになったことです。
昔の私は、
人前で感情を出すことがほとんどありませんでした。
不快なことがあっても笑う
納得していなくても合わせる
空気を壊さないことを優先する
そんな人間でした。
ところが最近、
態度に出てしまうことが増えました。
もちろん怒鳴るわけではありません。
でも明らかに感情が乗る。
語気が強くなる。
反論がストレートになる。
自分でも抑えきれない瞬間がある。
初めてそれが起きた時は、
自分自身が一番驚きました。
「今の私、本当にあんな言い方をしたのか」
としばらく信じられなかった。
でももっと驚いていたのは周囲だったと思います。
その場にいた人達が、
明らかに戸惑った顔をしていた。
それも無理はないと思います。
彼らが知っている私は、
嫌なことがあっても飲み込む人だったからです。
反論しない人だったからです。
怒らない人だったからです。
でも本当は違いました。
怒りがなかったのではない。
怒れなかっただけだった。
だから今起きていることは、
新しい自分が生まれたというより、今まで封印していた感情が表に出てきただけなのかもしれません。
ただ問題は、
私はまだその感情の扱い方を知らないということです。
長い間怒らずに生きてきた人間が、
急に怒れるようになった。
だから今は、
怒りを感じることと、
怒りを表現することの間で、
バランスを探している最中なのだと思います。
■ 私は今、怒り初心者なのかもしれない
最近思うのです。
私は今、怒りを感じる初心者なのかもしれない。
怒りそのものは昔からありました。
ただ、私はそれを感じることを長い間禁止していた。
本来なら、
「それは不快です」
「その言い方はやめてください」
と伝えれば済む話なのかもしれません。
でも私は、そのやり方を学んでこなかった。
私が知っていた怒りの処理方法は、
ほぼ一つだけでした。
怒りを感じる。
↓
我慢する。
↓
限界まで溜まる。
↓
自己否定に走る。
本当は傷ついていた。
本当は腹が立っていた。
本当は嫌だった。
でも、その矛先を相手へ向けることができない。
だから最終的には、
「私が悪いのかもしれない」
「考えすぎなのかもしれない」
「私の受け取り方の問題かもしれない」
と、自分を責める方へ向かっていく。
怒りは本来、
「それは嫌だ」
「それ以上踏み込まないで」
という限界を知らせるサインでもあるはずです。
でも私は、その感情を外へ出せなかった。
だから怒りは相手ではなく、
自分へ向かっていたのだと思います。
そしてその結果、自分のテリトリーを何度も踏み荒らされることになりました。
本来なら「そこには入らないでください」と伝えるべき場面でも、私は何も言わなかった。
そうしているうちに、人との距離感は少しずつ侵食されていったのだと思います。
今振り返ると、私が守れなかったのは感情そのものではなく、自分の境界線だったのかもしれません。
けど今、
私は怒りを感じることはできるようになった。
でも、まだ上手く扱えない。
それはまるで、
初めて自転車に乗る子どものような感覚です。
乗れるようにはなった。
でもまだフラフラする。
時々転ぶ。
バランスの取り方が分からない。
あるいは、子どもが初めて「嫌だ!」と
言えるようになった時にも少し似ています。
今まで言えなかったものが言えるようになると、
最初は加減が分からない。
全部嫌だになる。
全部拒否したくなる。
でも成長するにつれて、
これは嫌。
これは大丈夫。
ここまではOK。
ここから先はNG。
そんなふうに少しずつ調整できるようになっていく。
私は今、30半ばにして、
ちょうどその途中にいるのかもしれません。笑
■ 怒りの種類が変わった
もう一つ気づいたことがあります。
それは、
怒りそのものの質が変わっている
ということです。
昔も怒りはありました。
でもあの頃の怒りは、
「分かってほしい」が根っこにありました。
どうしてそんなことを言うのか
どうして傷つけるのか
どうして分かってくれないのか
私は怒りながらも、どこかで理解を求めていた。
認めてほしかった。
分かってほしかった。
変わってほしかった。
だから本当は怒っているのに、説明し続ける。
理解してもらおうとする。
説得しようとする。
何とか関係を修復しようとする。
今思うと、
あの怒りは自分を守る怒りというより、
繋がりを求める怒り
だったのだと思います。
でも最近の怒りは少し違います。
「もういい」
「関わらなくていい」
「知らない」
「そこまでして分かってもらわなくていい」
そんな感覚の方が近い。
もちろん腹も立ちます。
でも昔のように、
相手を説得したい気持ちがあまりない。
分かってほしいより、自分を守る。
理解してほしいより、境界線を引く。
相手を変えようとするより、
自分の立ち位置を明確にする。
そんな怒りを選択することが増えました。
すると不思議なことに、それまで私へ強く踏み込んできていた人ほど、強い反発や執着を見せることがありました。
私が説明しなくなる
反応しなくなる
感情を受け止めなくなる
つまり、それまで成立していた関係性のパターンが機能しなくなるからです。
中には、
何度も接触を試みる
怒りを向ける
被害者ポジションを取る
周囲を巻き込む
といった反応をする人もいました。
もちろん全員がそうではありません。
ただ少なくとも、私が境界線を引いたことで困る人達がいたのは事実です。
今振り返ると、
彼らが求めていたのは私自身ではなく、
説明し続ける私
受け止め続ける私
罪悪感を抱く私
反応し続ける私
だったのかもしれません。
そして私は、
その役割から少しずつ降り始めたのだと思います。
■ 怒りの奥にあったもの
振り返ると、
昔の怒りは、
怒りというより悲しみに近かったのかもしれません。
分かってもらえない悲しみ。
大切に扱われない悲しみ。
尊重されない悲しみ。
だから怒りながらも、相手へ向かっていた。
でも今は違う。
相手を変えたいわけではない。
理解してほしいわけでもない。
ただ、
「私はそれを受け入れません」
と言いたいだけです。
それは以前のような他人軸の怒りではなく、
自分軸の怒りに近いのかもしれません。
昔は、
「どうして分かってくれないの?」だった。
今は、
「分からなくてもいい。でも私は自分を守る」
です。
もちろん、今はまだ極端な部分もあると思います。
長年抑圧していた反動もある。
だから時々、ゼロか百かになってしまう。
でも私は、この変化そのものは悪いことではない気がしています。
なぜなら、
「相手を変えようとする怒り」から、
「自分を守るための怒り」へ。
「承認を求める怒り」から、
「境界線を守る怒り」へ。
少しずつ変わってきているからです。
■ 遅れてやってきた反抗期
だから最近思うのです。
これはある意味、反抗期なのかもしれないと。
本来なら思春期に経験するはずだった、
「嫌なものは嫌」
「私はこうしたい」
「それは違う」
という感覚。
でも私には、
それを安全に表現できる環境がありませんでした。
だから、その感情を扱う技術までは一緒に育ってこなかった。
反抗する自由がなかった。
自分の意思を出す余裕もなかった。
空気を読んだ方が安全。
そんな学習を積み重ねながら生きてきた。
だから当時できなかった工程が、何十年も遅れて始まっている。
そう考えると、今の怒りも少し理解できます。
これは単なる短気ではない。
長年抑圧していた感情が、
ようやく表に出てきているのだと思います。
■ 今の課題はアンガーマネジメント
ただし、
怒れるようになったことと、
怒りを扱えることは別です。
昔は怒れなかった。
今は怒りすぎる。笑
世の中にはよく、
「怒ったら6秒待ちましょう」
というアンガーマネジメントの話があります。
でも正直に言うと、
私の場合はその6秒で、
更に怒りのブーストがかかります(笑)
1、2、3……と数えている間、
頭の中では到底放送できない、
殺戮ショーが繰り広げられている。
むしろ落ち着くどころか、
脳内で怒りのプレゼン資料が完成し、
最終的には観客席まで用意されている。
6秒後には感情だけでなく、
犯行計画書
証拠資料
弁論シミュレーション
判決文
控訴審対策資料
まで揃っている。
だから、
「6秒待てば落ち着く」という話を聞くたびに、
いや、それで済むなら苦労しないんだよな
と思ったりもします。(笑)
ただ、その一方で、
私はまだ、思ったことをその場でストレートに言えない自分も残っています。
本当は、
「それは嫌です」
「その言い方は不快です」
「やめてください」
と言えば済む話なのに、
その瞬間は飲み込んでしまうこともある。
そして言えなかった怒りは、
綺麗には消えてくれません。
消化不良を起こしたまま、数日後に再燃する。
帰宅後に再生される。
風呂で再生される。
寝る前に再生される。
そして、「あの時こう言えばよかった」
という叶わない復讐劇が脳内で始まる。
結果として、怒りそのものより、
言えなかった自分へのモヤモヤの方が長引くこともある。
だから私は今、
怒りをコントロールできないというより、
怒りを適切なタイミングで表現する練習中
なのかもしれません。
■ 最後に
回復とは、
いつも穏やかになることではないのかもしれません。
むしろ一度、
今まで押し込めていた感情が噴き出す時期がある。
悲しみもそう。
恐怖もそう。
そして怒りもそう。
だから最近の私は、
「怒ってしまう自分はダメだ」
とは思わないようにしています。
むしろ、
「今まで怒れなかった自分が、ようやく怒れるようになったのかもしれない」
そう考えるようになりました。
ただ、私はまだ初心者です。
怒りを感じる初心者。
自分を守る初心者。
だから時々、扱いが不器用になります。
態度に出てしまうこともある。
感情が強く出ることもある。
でもそれは、
自分軸を取り戻す過程で初めて手にした感情を、どう扱えばいいのか学んでいる途中なのだと思います。
そして今の課題は、
怒りを消すことではありません。
怒りと上手に付き合えるようになること。
それが、
私にとって次の回復のテーマなのだと思っています。
