実録丨私は身体でしか「好き」を伝えられなかった。
■ 求められることで、自分を確かめていた
私はこれまで、本当の意味で人を好きになった経験がありませんでした。
私がしてきたのは、身体を通して
「求められること」を確かめる恋愛でした。
関係が始まる前に、
お互いの好意を言葉で確認したことはほとんどありません。
性的な空気をつくり、相手の反応を見ながら、
向こうから近づいてくるのを待つ。
私はそのやり方を、
自分の中で「狩猟=恋愛」と呼んでいました。
私が知りたかったのは、
相手を好きかどうかではなく、
「この人は私を求めているのか」
ということでした。
身体を求められれば、
そこに、自分の存在価値を感じていました。
身体の関係が始まれば、
「好き」や「愛している」と言うこともありました。
けれど、それはセックスの最中だけでした。
心から溢れた言葉ではありません。
その場を盛り上げるため
相手を喜ばせるため
離れていかないようにつなぎ止めるため
そうした役割を持つ言葉であって、
自分の本当の気持ちを伝えるものではありませんでした。
今思えば、
それは本音を隠すための保険でもありました。
もし普段の会話で「好き」と伝えて受け止めてもらえなければ、私は傷ついてしまう。
でも、セックスの最中なら、
「あの場の雰囲気だった」と逃げ道を残すことができる。
私は、本当の気持ちを伝える勇気がなかったのです。
今振り返ると、私は相手そのものを見ていませんでした。
私は、人ではなく、『私を求めている』という反応に惹かれていたのです。
そして、その安心感を恋愛だと思っていました。
■初めて、心が先に動いた
その相手だけは、これまでとは違いました。
最初は、私はずっと、癌治療の影響で身体の欲求が死んでいたのだと思っていました。
でも今振り返ると、
実際に先に動き始めていたのは、
身体ではなく心でした。
私は、異性として意識するより先に、
人として惹かれていました。
気を遣わずにいられる空気
アホみたいな会話で笑える時間
意思疎通のしやすさ
思ったことを安心して言える関係
彼と一緒にいると、
自分が自分でいられる感覚がありました。
ただ側にいるだけで、安心感がありました。
今思えば、私にとって彼は「安全基地」のような存在になっていたのだと思います。
さらにその人は、
周囲にいる人の機微をとてもよく見ていた。
違和感を自然に拾い、さりげなくフォローへ回る。
しかも、それを恩着せがましくしない。
そんな姿に触れるうち、私は外見や性的魅力ではなく、人としての在り方に惹かれていきました。
気づけば、その人の存在は、私が毎日を頑張ろうと思える原動力になっていた。
ただ一緒にいたいだけではなかった。
自分も努力して、成長していきたい。
私は、生まれて初めて男性を「一人の人間」として見ていたのだと思います。
だから薄々気づいていました。
「ああ、気持ちを持っていかれている。」
と。
でも、その気持ちを真正面から認めるのが怖かった。
認めた瞬間、
これまでの関係には戻れなくなる気がした。
それに、このまま気持ちを深く入れれば、
自分が傷つくことも分かっていました。
だから何度も自分に言い聞かせました。
「これ以上、気持ちを入れてはいけない。」
でも本当は、そうやって必死に止めなければいけない時点で、もう答えは出ていたのでしょう。
彼と過ごす時間の中で、
その心は少しずつ解凍されていった。
そして、私は、
人生で初めて、自分から誰かを求めました。
■ 「身体」で好きを伝えた日
ただ、一つだけ分からないものがありました。
それは、「気持ち」の伝え方です。
これまで私は、言葉で好意を伝えて恋愛を始めたことがありませんでした。
癌闘病中に付き合った人には、一度だけ、
「昔、好きでした。」
と伝えたことがあります。
結果として、その人とは付き合うことになりました。
でも今振り返ると、あの言葉も過去形でした。
「昔、好きだった。」
それなら、言えたのです。
けれど、
「今、あなたが好きです。」
と、現在進行形の気持ちを真正面から差し出したことは、一度もありませんでした。
過去の気持ちなら、たとえ受け取ってもらえなくても、 「昔の話だから」と逃げることができる。
でも、「今、好きです」と伝えることは違います。
今の自分の気持ちを、
そのまま相手の前に置くことになる。
受け取ってもらえるかもしれないし、
拒絶されるかもしれない。
私には、
その無防備さに耐える方法が分かりませんでした。
だから、
彼にどう近づけばいいのか分からない。
私が知っていた方法は、身体を使うことだけでした。
人として選ばれる経験を、
ほとんどしてこなかった私は、
好意を伝える方法も、それしか知りませんでした。
だからどこかで、
「行くなら、いつもの形しかない。」
そう思っていました。
一方で、私はどこかで、
「どうせこの人も、他の男と同じだ。」
と確かめたい気持ちもありました。
もし身体だけを求める人なら、そこで失望できる。
「結局、あなたもそうなんだ。」
そう思えれば、本気になる前に、
自分を守れる気がしていたのです。
けど、
本当は、気持ちを知られて拒絶されることが怖かった。
だから「好きです。」と言う代わりに、
一番慣れた方法へ逃げてしまいました。
でも、その人からだけは、
これまでの男性たちに感じていた「私を求めている」
という感覚を、最後まで感じることがありませんでした。
それでも私は、自分から行ってしまった。
そして、
人生で初めて、自分から誘い、
人生で初めて、黒星がつきました。
私の身体を求めなかった男性は、初めてでした。
本当は、ただ私に気持ちがなかっただけです。
それでも私は、その一点だけで
「この人は他の人とは違う」と思い、
彼を理想化してしまいました。
今振り返れば、身体から近づいたという行動自体は、昔と変わっていません。
でも、その動機はまったく違いました。
・以前の私は、身体を使って
「求められること」を確かめようとしていました。
・今回は、身体を使って
「好き」という気持ちを伝えようとしてしまった。
同じ行動でも、その意味は正反対だったのです。
私にとって、初めてのケースでした。
■ 愛着の傷が露わになった
この件は、ただ失敗しただけではありませんでした。
私は、女として大怪我を負いました。
「狩り続けていれば傷つかずに済む。」
そう思っていた自分の限界に、初めて触れてしまった。
そんな傷だったのだと思います。
これはきっと、私が長い間、
「性的に求められること」と「人として愛されること」を混同して生きてきた、その最後の名残だったのだと思います。
でも、この経験があったからこそ、
私は、自分が長年繰り返してきた恋愛のパターンと、
そこから少し変わり始めていた自分、
その両方に気づくことができました。
結果がどうであれ、
本当は、真正面から伝えたかった。
でも私は、それができませんでした。
好意を伝えた先にある答えも、
どこかで分かっていた。
だから最後まで、本音を隠そうとしました。
でも、隠し切ることはできませんでした。
あの日の最後、
私は自分の腹のうちを掻っ捌いて見せてしまいました。
長い間押し込めてきた本音が、
あの夜、限界を超えたのです。
■ 恥が大きすぎて普通に戻れなくなった
今回起きたことは、ある意味では「自己開示の事故」に近かったのだと思います。
私は彼に気持ちがありました。
それは事実です。
でも、その後、私は以前のように彼と接することができなくなりました。
それは、断られたことへの怒りではありません。
恥が、大きすぎたのです。
私は気持ちがあるまま、
身体で伝えようとしてしまいました。
そして、そのやり方は初めて通用しませんでした。
あの夜の解散後、私は誤解されたくなくて、
身体だけが目的ではなかったこと、そこには気持ちがあったことをメッセージで伝えました。
けれど、その気持ちに触れる返信はありませんでした。
伝えた気持ちはどこにも届かないまま、
宙ぶらりんになってしまったように感じていました。
だから私には、あの日断られたのは身体ではなく、自分の気持ちそのものを拒絶されたように感じてしまった。
その恥ずかしさが一気に押し寄せてきて、
私は以前のように振る舞うことができなくなりました。
今思えば、彼は私の行動を責めるのではなく、
何事もなかったことにして、これまで通りの関係を守ろうとしてくれた。
彼なりの優しさだったのだと思います。
でも私は、その優しさが苦しくて、
受け取ることができませんでした。
結果として、私は彼を困らせてしまいました。
彼からすれば、私は勝手に関係を壊し、それでも差し伸べてくれていた手さえ受け取らなかった身勝手な人だったと思います。
この経験を通して、私はずっと見ないようにしていた自分の本音と醜さに出会いました。
■ 初めて「言葉」で好きを伝えた
それから2か月近くが経ち、複数人で食事をする機会がありました。
あの日以来、二人で話す機会はありませんでした。
私自身も、恥ずかしさから彼を避けるような態度を取り続けてしまっていたので、正直、気まずさがありました。
けれど、解散後に二人で歩く時間ができ、
ようやく話すことができました。
そのとき私は、生まれて初めて、自分の口で「気持ちがあった」ということを伝えました。
身体が目的ではなかったことも、改めて伝えました。
返ってきた答えは、すでに別の相手がいること、
そして私とはこれまで通りの関係でいたいということでした。
ちゃんと伝えられた。
ちゃんと振られた。
ようやく、この気持ちを終わらせることができる。
そう思えた瞬間、
肩の力が抜けるような安堵がありました。
■それでも、話はまた身体へ戻った
でも、そのあと彼は私の肩を抱きながら、
こう言いました。
「前回の竜胆の行動は、どう見ても身体目的と勘違いする。」
そして続けて、
「セックスしたら納得するのか。」
と、再び身体の話を持ち出した。
私は、
『また身体の話になるのか』
と少し混乱した。
思い返せば、身体を拒否された夜も、
この日気持ちを打ち明けた夜も、
彼は言葉では距離を置きながら、肩を抱いたり、
背中に手を回したりと、私の身体に触れてきた。
私は、その距離感が最後まで理解できませんでした。
もちろん、
それが彼なりの優しさだったのかもしれません。
気まずくならないように配慮してくれていたのかもしれません。
本当のところは分かりません。
でも私には、
言葉と身体の距離が一致していないように映りました。
断るなら断る。
受け入れるなら受け入れる。
そのどちらでもなく、身体だけが曖昧に近づいてくる。
そして、その曖昧さに戸惑いながらも、私はどこかで少しだけ、希望を持ってしまったのだと思います。
もしかしたら、
まだ完全に拒まれたわけではないのかもしれない。
言葉ではそう言っていても、
彼の中にも何かが残っているのかもしれない。
そんな期待を、
触れてくる手のひらの温度に勝手に重ねてしまった。
だからこそ、余計に分からなくなりました。
それと同時に、私には、
彼の曖昧さが「隙」に映りました。
「まだ男として求められている」という実感を、
彼自身も手放したくないのではないか。
そんなふうにも見えてしまった。
だからこそ、
その人の口から再び身体の話が出た瞬間、
私の中で「彼だけは違う」という幻想が、
少しずつ揺らぎ始めた。
次に彼は、こう言いました。
「気持ちがなかったら、雑なセックスになる。」
私は、その言葉そのものに傷ついたわけではありません。
予めそう伝えておけば、
「どんなセックスになっても、最初に言った」
と言える余地を残しているように聞こえた。
そのあたりから、私の心の体温が、
どんどん下がっていくのが分かりました。
この人を「特別な人」のまま心に残していたら、
私は前へ進めない。
だったら、これまでの男達と同じところまで降りてもらおう。
そう思いました。
だから私は言いました。
「ヤったら前に進めるかもね。」
「何も収穫なしに終わるよりは、マシかもね。」
あれは誘いではありませんでした。
好きだった自分に、
自分でけじめをつけようとしただけでした。
すると彼は、
「それは、本当に竜胆が求めていたものなのか。」
と聞き返してきました。
私には、彼も気づいていたように見えました。
違う。本当は、身体の関係が欲しかったわけではない。
でも、そのときの私には、それしか終わらせる方法が思いつきませんでした。
そして彼は言いました。
「別の日にしよ。竜胆の家に行くから。」
私は、
「来るつもり無いでしょ。」
と言いました。
たぶん、どこかで試したのだと思います。
本当にそのつもりがあるのか。
それとも、その場を収めるための言葉なのか。
すると彼は、その場ですぐに日程を決めました。
その瞬間、私は理解しました。
少なくとも彼の中には、私と身体の関係を持つという選択肢が、まだ残っていたのだ、と。
皮肉なことに、彼を「特別な人」から降ろそうとしていた私と、身体の関係という選択肢を残していた彼が、その夜、初めて同じくらい身勝手な場所に立ったような気がしました。
■ 人として大切にされている感覚を失った
そして約束の日、彼は私の家へ来ました。
ご飯を食べたら、
そのまま身体の関係になるのだと思っていました。
でも彼は、「映画を観よう。」と言いました。
一本観終わると、「続きも観よう。」と言いました。
また、その間も彼はお酒をかなり飲み続けていました。
私には、どこか迷いがあり、
何かを先延ばしにするように見えた。
もちろん、
本当は何を考えていたのかは分かりません。
けど、彼は自分の意思でここへ来ている。
ただ、そのあとの会話でも、
彼は最後まで自分では決めず、この出来事を私だけの選択として成立させようとしているように感じた。
身体の関係を持つ前、彼は私に聞きました。
「俺と過ごす時間がいいのか。」
「ただセックスしたいのか。」
もちろん、本音を言えば、彼と、ただ一緒にご飯を食べたり、映画を観たり、話をしたりするだけでも幸せでした。
でも、その時点で私はすでに
「気持ちはない。」と言われています。
もう、その未来はありませんでした。
事前に、「雑なセックス」を予告されていたので、
ある程度の覚悟はしていました。
でも、現実は私の想像を超えていました。
女としてではなく、一人の人間としてでもなく、
ただの肉塊として扱われたように感じた。
でも、それ以上に苦しかったのは、私を視界に入れること、触れることさえ避けたいと思われているように感じられたことでした。
私は恋人のような扱いを期待していたわけではありません。
けど、あれほど「身体をぞんざいに扱われ、人として尊重されていない」と感じたのは、あの日が初めてでした。
そして、
私はその日、
恋愛感情がないことと、人として扱われていると感じられることは、私の中では別の問題なのだ
と気づきました。
さらに彼は、私の胸を見て、一言、
女性としての尊厳を傷つける言葉を口にしました。
私はがん治療の影響で、
15kg近くの体重減少を経験しました。
その結果、全身の皮膚には弛みが残った。
胸も同じでした。
その変化は、自分でもずっと気にしていました。
少しでも元の身体に近づきたくて、彼も知っているように筋力トレーニングを続けてきました。
自分にできる努力だけは続けてきたつもりでした。
でも、本当に痛かったのは、
その一言ではありませんでした。
そういう言葉が、ごく自然に出てきたことでした。
もちろん、それが彼の本質なのかは分かりません。
でも少なくとも、
その言葉は確かに私を傷つけました。
好きだった人の口から、その言葉を聞いたこと。
私にとって痛かったのは、その事実でした。
あの時間を通して私が失ったのは、
恋だけではありません。
「この人は信頼できる。」
「恋愛感情がなくても、人として相手を尊重してくれる人だ。」
そう信じていた、彼の姿でした。
私はあの日、ようやく彼を理想の中から降ろすことができました。
■ また自分を粗末に扱ってしまった
彼が帰ったあと、私は我に返りました。
そして、必死に身体の中まで洗いました。
一度子宮頸がんを経験したにもかかわらず、その原因となるHPV(ヒトパピローマウイルス)の感染リスクを防げないセックスを、自分で選んでしまったからです。
また、自分を大切にできなかった。
その嫌悪感を、少しでも洗い流したかった。
セックスの最中、
一度やめるタイミングはありました。
それでも私は、続けてしまいました。
身体よりも、女としての意地を優先してしまった。
翌日、念のためアフターピルも服用しました。
一度身体をリセットして、
彼の痕跡を消したかったという気持ちもありました。
でも、それ以上に、自分が自分を粗末に扱ってしまった事実を消したかったのだと思います。
この出来事を通して、
自分自身の未熟さとも向き合うことになりました。
自分を守るべき場面で、自分を守れなかった。
それは、この経験の中で、私自身が向き合わなければならない一番大きな課題だったのだと思います。
■ 彼が望む関係には戻れない
以前、身体で近づいてしまったあと、
私は恥ずかしくて彼を避けていました。
でも今回は違います。
あの夜、人として大切に扱われていないと感じたことで、好きから普通の関係へ戻るという通過点を、私は光の速さで飛び越えてしまいました。
それでも彼は、
「これからは普通に接してほしい。」
と言いました。
一方で、
「雑にするって事前に言っていた。お前の基準なんて知らない。」
「SNSで会う女もあんな感じ。」
とも言いました。
私には、その二つの言葉が最後まで結びつきませんでした。
以前と同じ関係へ戻りたいと言いながら、
自分の行動については正当性を語り、
私を刹那的な関係の女性たちと同じ基準で語る。
その言葉を受け取った相手が、以前と同じように接することができるのか。
そこへの想像は、私には感じられませんでした。
私はこれまで、身体の関係が理由で人間関係が壊れたことは一度もありませんでした。
恋愛感情がなくても、一人の人間として尊重する態度で接してもらえていたからです。
今回も、人として尊重されていると感じられていたなら、以前のような関係へ戻れていた可能性は高かったと思います。
私に気持ちがなかったことは責めていません。
人の気持ちは、自分ではどうにもできないものです。それは仕方のないことです。
でも、人をどう扱うかは、自分で選べる。
そして、その出来事をどう受け止め、この先どんな距離で関わるかを決める自由は、私にもあります。
だから今回、以前のような関係へ戻れない理由は、
身体の関係を持ったことそのものではありません。
私の中で、
「この人とは安心して関われる」
という感覚が失われてしまったからです。
彼は、
「どうでもいい人の話は聞き流す。」
と言っていました。
私は、自分が何を感じたのかを、
ただ知ってほしかった。
でも彼は、適当な相槌を打ちながら、最後まで私の言葉を受け止めることなく帰っていきました。
そのとき私は、その言葉を思い出しました。
私もまた、彼にとっては、その程度の存在だったのだと受け止めるしかありませんでした。
もちろん、私が見たのは彼の一面にすぎないのかもしれません。
それでも、その一面だけで十分でした。
彼には、
「俺は要望に応えたのに、望むようなセックスをされなかったから、竜胆は怒って離れた。」
そんなふうに映るのかもしれません。
でも、私が離れた理由はそこではありません。
「気持ちがないから雑にした。」
私には、その言葉は、あの時間を私の責任へとすり替え、自分を守るための言葉にしか聞こえませんでした。
その瞬間、私の中で、彼に感じていた『安全基地』は完全に崩れました。
男性としてだけではありません。
一人の人間として、この人とは大切な関係を築くことはできない、と感じたのです。
だから私は離れました。
それは罰でも、仕返しでもありません。
私自身が、自分を守るために引いた境界線です。
■ 最後に
この経験は、決して楽な恋愛ではありませんでした。
失恋をし、人として信頼していた相手も失い、
自分の未熟さとも向き合うことになりました。
何一つ、思い通りにはなりませんでした。
それでも、この出来事が無意味だったとは思いません。
彼と出会わなければ、
私は、自分の心がまだ生きていることを知りませんでした。
誰かを心から好きになれる自分がいることも知りませんでした。
長い間、眠っていたのは身体ではありませんでした。眠っていたのは、心でした。
私はずっと、「求められること」でしか、自分の存在価値を確かめることができませんでした。
でも今は違います。
初めて誰かを心から好きになれたこと。
傷ついても、自分の本音から逃げなかったこと。
そして、人として尊重される関係を、自分は求めていいのだと知ったこと。
それが、この経験で私が手に入れたものです。
この先、また誰かを好きになる日が来るかもしれません。
そのときはもう、身体で気持ちを伝えようとは思いません。
求められることで、自分の価値を確かめようとも思いません。
言葉で伝え、相手を知り、自分も知ってもらう。
そんな当たり前の恋愛を、今度こそしてみたいと思います。
だから私は、この経験を抱えたまま前へ進みます。
痛みも、後悔も、自分で選んだ現実として引き受けながら。
それでも今、淋しいと思うことがあります。
今回失ったのは、 恋愛対象としての彼だけではないのだと思います。
一緒にくだらない話をして笑えた人。
気を遣わずにいられた人。
日常の中に自然に存在していた人。
「今日も頑張ろう」と思わせてくれた人。
そして何より、 初めて私の心が動いた相手。
最後に見た彼の一面に失望したからといって、
それ以前に一緒に過ごして楽しかった時間まで、
偽物になるわけではありません。
だから、頭では 「もう以前の関係には戻れない」 と分かっていても、日常からその人の気配が消えていくと、 ぽっかりと穴が開く。
現実の生活から少しずつ接点が消えていくことで、
「本当にこの人が、自分の日常からいなくなるんだ」
という実感が、 失恋した瞬間よりも遅れてやってきました。
たぶん一番つらいのは、
嫌いになったから離れたわけではないことです。
人としても大切だった。
できれば、失いたくなかった。
でも、 見てしまったものを見なかったことにもできなかった。
だから私は、自分から境界線を引きました。
大切だったけれど、 もうそばには置けない。
その二つを、 私は同時に抱えているのだと思います。
そして、この淋しさは、
「私はこの人を、本当に大切に思っていたんだな」
という、 気持ちの残響なのだと思います。
人の心は、 判決文みたいに一行では終わらないから。
それでも、 あなたと出会ったことまで否定するつもりはありません。
あなたがいたからこそ、私は初めて、
自分の本当の気持ちと向き合うことができました。
あなたと出会わなければ、 私は自分がこんなにも人を好きになれる人間だとは知らないまま、 生きていたと思います。
そのことだけは、 心から感謝しています。
ありがとう。
