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考察丨身体は裸になれても、心だけは、最後まで裸になれなかった。

※この記事では、
性に関する内容をかなり率直に書いています。

ただ、単なる性的な体験談ではなく、
「なぜ私は人を信用できないのか」
「なぜ身体だけでは満たされなかったのか」 という、自分の回復過程について整理した記事です。

苦手な方は、無理せずブラウザバックしてください。



ここ数日で、
私の中では本当に多くのものが一気に動いた。

  • 身体的欲求の復活

  • 回復したと思っていた自己像の崩れ

  • 快楽と空虚のズレ

これだけ神経系が揺れると、一気に反動が来る。

正直、突然の変化で完全には整理しきれていませんでした。
でも今のうちに書き残しておきたいと思いました。

なぜなら今回起きたことは、
単なる愛着や欲求の話ではなく、

「回復したと思っていた自分」が、本当はまだ深く傷ついていたことに気づかされる出来事だったからです。


■ 「もう大丈夫だ」と思っていた

もう1年以上カウンセリングを続けて、
この数ヶ月、私はかなり言語化を続けてきました。

感情に飲み込まれるだけだった頃より、

一歩引いて、
「今、何が起きているのか」
を観察できるようになってきた。

だから私は、どこかで思っていました。

「もう私は、以前の自分とは違う」

と。


でも、現実は違った。

今回、長い間眠っていた“女性としての欲求”が目覚めた瞬間、

“あの頃の私”が、突然現れ、
内側から刃物を突き立ててきた。

まるで、

「久しぶり。私はまだ、ここにいるよ」


と。

■ 止まっていた身体感覚が戻った

きっかけとなったのは、GW前でした。

数年ぶりに、男性の体温や距離感に触れる
トリガーとなった機会がありました。

それを境に、長い間止まっていた身体感覚が、
一気に戻ってきた。

癌治療以降、どこかで切れてしまっていた、

「女としての感覚」
「生きている身体感覚」

そういうものが、急に起動した感覚でした。

最初は戸惑いもあったけど、純粋に嬉しかった。

「ああ、私はまだ死んでなかったんだ」

そう思えたからです。


止まっていた身体が、ようやく生き返り始めた。

実際、自己免疫疾患や子宮頸がんの治療以降、

私は一度、

“女としての機能”を失った感覚がありました。
ホルモンの影響で、性欲そのものも消えた。


あの時の絶望感は、かなり大きかった。

それまで繋がっていた男性たちとの関係が途切れた瞬間、自分の価値まで消えた気がした。

昔の私は、男性との関係が途切れず続いていた時期、自信に満ちていました。

実際、

「一生無敵なんじゃないか」

と思っていた時期すらある。(笑)

でも今振り返ると、あの“無敵感”は、本当の意味で自分を肯定できていたわけではなかったのだと思います。

本当はずっと空白はあった。
でも、求められている間は、それを見なくて済んだ。

私は“無敵”でいることで、
自分の欠乏感から目を逸らしていたのだと思います。


でも病気は、
そんな私の生き方を強制的に止めました。


だから逆に、“性として機能しなくなった自分”を受け入れるのは、かなり苦しかった。

けれど、今振り返ると、
静かに考える時間を与えられていたのだと思います。


もしあのまま歳を重ねて、性的魅力だけを頼りに異性との関係を維持し続けていたら。

いつか加齢や身体の変化によって、同じように“異性として機能できない”と感じる瞬間が来た時、

私はもっと大きく壊れていたかもしれません。


なぜなら、その頃にはもう、“性的に求められること”以外の場所に、自分の価値を置き直す力が残っていなかったと思うからです。

だから病気は、私から多くのものを奪ったけれど、
同時に、“性的魅力に預ける生き方”から降りる時間も与えたのだと思います。


そして今、闘病を終え、心が少しずつ回復してきた。

今回ようやく、止まっていた身体の方も、
あとから追いついてきたのかもしれません。



でも同時に、別のものまで一緒に戻ってきました。

それは

抑えられない性的欲求。


気づいたら私は、「過去」に連絡をしていました。

「過去」は、人生を共に歩くような“線”の関係の人ではありませんでした。

むしろ、人生の節目節目で“点”のように交わってきた相手でした。

そして私は、実に数年ぶりに“女”へ戻ったのでした。


■ 一緒に戻ってきた“過去の回路”

女として再起できた悦びは、確かにありました。

それと同時に、私はどこかで期待していました。

過去記事にも書いてきた通り、私はこれまで、

一度も「イッた」ことがありません。


でも最後に身体を重ねてから、子宮頸がんの手術を経験し、カウンセリングを続け、少しずつ自己受容も進んできた。

もしかしたら今度こそ、
心も身体も繋がったセックスができるかもしれない。

そう思っていました。

けれど、結果は変わらずイケませんでした。

その瞬間、私は

「まだ私は変われていないんだ。」

そう思いました。

心と身体は相変わらずバラバラで、
私はまた、身体だけを置いてきてしまった。

そして私は、

「やっぱり性欲が戻っただけだったんだ。」

そう結論づけようとしていました。


でも、それは後になって間違いだったと気づきます。


本当は、戻ってきたのは性欲ではありませんでした。

感情でした。


でも、それを認めることが怖かった。

認めてしまえば、

傷つくかもしれない。
拒絶されるかもしれない。

だから私は、その感情に蓋をしました。


だから身体だけを繋げればいい。
心は繋がらなくていい。

そうやって、自分自身に言い聞かせていたのです。

でも実際には、
心と身体が切り離されたまま存在していることを、
以前より鮮明に感じることになりました。

その瞬間、私は初めて気づきました。

私は今まで、未接続感を、

  • 誰かに求められたい

  • 特別でいたい

  • 見捨てられたくない

そんな愛着の興奮で、一時的に覆い隠していただけだったのです。


だから、その興奮がなくなると、
心と身体が離れたままの自分だけが残った。

そしてようやく分かりました。
私に足りなかったのは、性的な刺激でも、
テクニックでもありませんでした。

安心して心を預けられること。


その土台がなければ、
身体だけを重ねても、
私の心はどこにもいないままだったのです。

あの時私は、

「回復のテストに落ちた。」

そう思いました。

でも今なら違うと言えます。

あれは失敗ではありませんでした。

私は初めて、

性欲だと思っていたものの正体が、
誰かと繋がりたいという感情だった


ことに気づくための、大切な出来事だったのです。



■ 今回の変化は、回復している証拠

タイミングよく、
今日はカウンセリングの日だったので、
ここ最近起きたことを相談してみました。

先生から言われたのは、

「性欲が戻ってきたのは、心身が回復している証拠」

ということでした。

つまり今回起きたことは、
“新しく壊れた”というより、
“止まっていたものが、再び動き始めた”に近い。

刹那的な接続をしてしまったこと自体も、依存というより、“止まっていたエネルギーの解放”として起きている側面があるらしい。

そして今の私は、
昔みたいに感情へ丸ごと飲み込まれてはいない。

「この後、傷つくだろうな」
「空虚感が返ってくるだろうな」
そう予測しながら、自分を観察できている。

そこは、以前と決定的に違う部分なのだと思います。


だから今は少しだけ、これは単なる逆戻りではないのかもしれない、とも感じています。

私はどこかで、「身体」と「心」を切り分けられれば、傷つかずに異性と関われるのではないかと思っていた。

でも実際には、身体だけ切り離したつもりでも、
心はちゃんと反応していた。

つまり私は、回復に失敗したのではなく、
“まだ治っていなかった場所”に、初めて触れ始めた
のかもしれません。


■ イケない深層心理

カウンセリングの前日、
ある人から、こんなことを言われました。

「イケないのは、相手を信用していないからではないのか。」


これは図星でした。

むしろ私は、
その部分だけは全男性に知られたくなかった


なぜなら、その前提が露出した瞬間、

“最初から関係性が破綻していた”ことを、
自分で認めることになるからです。


その部分を真正面から言い当てられた時、
かなり苦しかった。

まるで、長年身につけていた鎧を剥ぎ取られたような感覚だった。あるいは、防御しきれていない“継ぎ目”を、正確に刺し抜かれたような感覚に近かったのかもしれない。


しかも、その翌日に受けたカウンセリングで、
その答え合わせまでされてしまった。


つまり私は、「性的な問題」 「身体の問題」 「相性の問題」 として処理していれば、 まだ自分を守っていられた。

でも本当はずっと、

「人を信用できないまま接続している」

という、もっと根深い場所で躓いていたのだと思います。

実際、セックスでイケない理由について先生に聞いてみると、

私はセックス中、

  • 無意識に精神を抑圧している

  • 警戒を解いていない

  • 「どう見られているか」のフィルターが強い

と言われました。


つまり私は、最後まで安心して委ねられていない。
そして多分、それは単なる“緊張”ではなかった。

私は相手を信用しきれていないまま、
身体だけを接続していた。

だから身体は触れ合っていても、
心の方はずっと警戒したままだった。

つまり私の中では、“心”と“身体”が、最後まで完全には繋がっていなかったのだと思います。

心の奥底ではずっと、

「どうせ身体でしか私を見ていないんだろう」

と思っている。

だから、完全には心を開けない。


実際、今回再接続した相手も、
私が自己免疫疾患で体型を崩した時や、
癌で闘病していた時期には、
潮が引くみたいにスッと離れていった。

でも、私の“女としての機能”が戻ると、
また何事もなかったように戻ってくる。

私から声をかけないと来ない。
けれど、呼べば呼応する。

そういう人でした。

それでも完全には憎みきれなかった。
情もあった。

でも、その相手を本当に信頼できていたかと言えば、違った。

身体は裸になれても、
心だけは、最後まで裸になれなかった。


だから私は、今回も最後まで落ちられなかった。
イケなかった。

振り返ってみると、私はこれまで、

セックスでも。
セックス以外でも。

「大切にされている」「愛されている」
そう心から実感できた経験が、
かなり薄かったのだと思う。

無条件の愛を受け取った感覚が、ほとんどなかった。

だから私は、少しずつ“人間不信”を募らせていったのかもしれません。

どうせ最後は離れていく。
どうせ条件がなくなれば、価値もなくなる。

そんな前提が、どこか心の奥にずっとあった。


ただ、カウンセラーの先生曰く、
私の身体の構造的には、
イケるポテンシャル自体はあるらしい。

それは、正直かなり救いでした。

つまり私は、“イケない”のではなく、
“安心して、自分を明け渡せるほど、自分と相手を信じられていない”

だけなのかもしれません。


■ 試し行動

カウンセラーの先生から言われて、
一番刺さったのは、男性と親密な関係を築く際、
私はかなり強い「試し行動」をしている、ということでした。

私はどこかで、

「性的なアプローチで簡単に来るなら、ダメな男だから来ないで」

と思っている。

でも同時に、
無意識にこちらから“”を仕掛けてしまう。

私はずっと、恋愛をしているつもりで、
どこか“狩猟”をしていたのかもしれません。

先に、

  • 魅力

  • 距離感

  • 空気

  • 接続

そういうものをとして設置してしまう。


すると当然、多くの男性はそこへ来る。

そして相手が、
その入口へ迷いなく入ってきた瞬間、

「お前もか」

となる。

今振り返ると、私は

“罠”から入る関係でしか、 男性と接続する方法を知らなかった

のだと思う。


どこで近づけば、相手がこちらへ来るのか。
どこで引けば、追いかけてくるのか。

私は無意識に、
それをかなり精度高く読めてしまっていた。


罠にハマった瞬間、その男性はもう、
私にとって“対等な人間”ではなくなってしまう。


セックス中、相手が私の身体を愛撫している瞬間ですら、 私はどこか冷めた目で、その様子を観察している。

まるで、相手が無防備に、必死に、餌へ喰らいついているのを、 一歩引いた場所から見ているような感覚になる。

相手は私の身体へ触れているのに、 私の神経だけは、最後までそこへ降りていない。

でも同時に、目が合えば、
愛情があるかのように振る舞うこともできてしまう。


その“慣れた反応”が、
今も自分の中に残っていることが、 少し怖かった。


つまり私は、

“信じたい”と、“信じたら傷つく”を、
同時に抱えていたのだと思います。

だから、自分から試す。

でも、相手がその試しに乗ると、
今度は信用できなくなる。


かなり矛盾している。


でも本当は、

「竜胆、そんなことしなくてもいい」

諭してくれる人。

踏みとどまってくれる人。

性的な入口ではなく、
その奥にいる私自身を知ろうとしてくれる人。

“身体”ではなく、
“人間”として関わろうとしてくれる人。

「この人は何を抱えてここまで生きてきたんだろう」 と、ちゃんと興味を持ってくれる人。


多分私は、
ずっとそういう相手を探していたのだと思います。

でも、その前に私自身が怖くなってしまう。

つまり私は、 “相手を試している”ようでいて、
本当は、 “信じる前に失望できる形へ持ち込んでいた” のかもしれません。

それは恋愛というより、
かなり長年染みついた自己防衛でした。


■ これから関係を築きたい人

そして今回、
自分の中ではっきり分かったことがあります。

なぜ、私は先に“罠”を張ってしまうのか

なぜ、自分の中身ではなく、
性の方へ相手の視線を向けようとしてしまうのか

それは、本当の自分を見せて、信じて、
それで拒絶されたり、裏切られたりする方が、
ずっと怖かったからです。

そしてそれは、多分、

自信のなさにも直結している。


私は新卒で大手企業に入り、
人並み以上に仕事をしてきた。

ジムにも通い、美容医療にも
お金も時間も使ってきた。

社会的に見れば、
ある程度“上位”に入る部類なのかもしれない。


実際、

「もっと自信を持ちなよ」

と言われることも少なくありませんでした。

でも、それでも私は、
ずっと自分に自信が持てなかった。

なぜなら私の中には、どれだけ努力して結果を出しても、満足できない“呪い”みたいな感覚があるからです。

止まった瞬間に価値が落ちる。

そういう緊張感が、
幼少期からずっと身体に染みついていた。

私には
「存在しているだけで愛される」という感覚が薄い。


だから私は、
“今の自分で大丈夫”と思うこと自体に、強い怖さがある。

そのため、一般的には合格ラインでも、
私にとっては、足りない。自信を持てない。


だから
「自分に自信がない異性を見て、それが魅力的に見えるか?」と問われれば、

もちろん、そのまま受け取れば、

自信がある人の方が魅力的に見えるに決まっている。


でも、その価値観を突き詰めてしまうと、

「最初から壊れていない人」や、
「すでに寛解した人」だけが、愛される資格を持つ

という、少し危うい話にもなってしまう。


人はいつも完成形で生きられるわけではない。

それでも、
自分を立て直そうと藻掻いている時間がある。

私は、その過程ごと、人間なのだと思う。


だから今回、ようやく分かった。

私が本当に求めていたのは、

結果でもなく、
外見でもなく、
自信に満ちている私でもなく、

うまく生きられない時も、
揺れている時も、

「回復しようと藻掻いている過程や、葛藤している姿も、あなたの魅力だ」


そう言ってくれる人と出逢いたい。

恐らく、それを知ってもらうには、
このnoteを見せるのが一番早いのだと思います。

でも正直、これを見た男性の多くは、
離れていく気もしています。(笑)

ただ、それでも残ろうとしてくれる人がいるなら、 その人はきっと、“表面”ではなく、 私自身を見ようとしてくれている人なのだと思います。


そして多分、私が本当に求めているのは、

「分かってくれる人」

より、

「分かろうとし続けてくれる人」

なのだと思う。


所詮、他人同士なのだから、
完全に理解し合うことなんて、本当は不可能です。

それでも、
決めつけずに、
理解したつもりで終わらずに、
何度でもこちらを見ようとしてくれること。

その姿勢そのものが、私にとっては
“愛情”に近いのかもしれません。

そういう関係を少しずつ築けた時、私は初めて、
安心して誰かに身を委ねられるのかもしれません。


■ 最後に

今回起きたことは、私にとって、

「頭の回復」と「身体の回復」が、初めて正面衝突した出来事でした。


頭では、もう分かっていたつもりだった。

でも、身体が動き出した瞬間、
まだ整理しきれていなかった傷まで、
一緒に目を覚ました。


机上の理解から、実地試験に入った
感じです。

しかも、その試験会場が“身体”だった。

だから、しんどかった。


私はまだ途中です。
今も正直かなり揺れています。

でも少なくとも、以前みたいに、
無自覚に、誰かへ飛びつく状態ではなくなっている。

ちゃんと、「これは何なんだろう」
と、自分の内側を見ようとしている。

そこだけは、以前と違うのだと思います。


けれど今の私に本当に必要なのは、
さらに鋭い自己分析ではなく、

「操作しなくても、関係は壊れない」

という経験を、 神経系の側から積み直していくことなのだと思う。

頭で理解するのではなく、
身体の方へ、 少しずつ安全を教え直していく。

多分それが、
これからの私に必要な回復なのだと思います。

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