不均等なわたしたち
カフェの窓から往来を眺めるのが好きだ。
足早に過ぎる人、ゆっくりと歩く人。
笑いさざめく集団、険しい顔でスマートフォンを睨む人。
十人十色とはよく言ったもので、誰一人として同じではない。
SNSを開けば、そこは「偏り」の見本市だ。
ある人は愛猫の写真ばかりを投稿し、ある人は難解な哲学の引用ばかりをシェアしている。
わたし自身も、クローゼットを開ければ、なぜか同じような色味の服ばかりが並んでいることに気づき、苦笑する。
なぜ、わたしたちはこんなにも偏っているのだろう。
秩序を好み、ある程度の均一性に安心感を覚えるはずの人間が、なぜこれほどまでに不揃いなのだろうか。
そのちぐはぐな有り様が、ずっと不思議だった。
✅生存という名の「偏り」
その長年の疑問が、ある日ふっと氷解した瞬間があった。
シャワーを浴びている時だったか、あるいは深夜に読みふけっていた本の余白だったか。
「あ、これは生存戦略だ」と、雷に打たれたように気づいたのだ。
均一な種族が、いかに脆いか。
生物学の世界では常識だ。
例えば、ある特定のウイルスに極端に弱い遺伝子だけを持つ集団がいたとしたら。
ひとたびパンデミックが起これば、彼らは抵抗する術もなく、あっけなく歴史から姿を消してしまうだろう。
わたしたち人間も、本質的には同じなのだ。
性格や体質が、まるで意図的にばら撒かれたかのように多様なのは、この世界という予測不可能な環境で「種」として生き残るための、壮大な知恵なのではないか。
極度に臆病で、石橋を叩いても渡らない人がいる。
平時であれば「決断力がない」と揶揄されるかもしれないその性質は、未知の危機が迫った時、集団の全滅を防ぐ最高感度の「センサー」として機能する。
一方で、無謀とも思えるほど勇敢な人がいる。
彼はリスクを顧みず、新たな可能性を求めて荒野に飛び込んでいく「突撃兵」だ。
多くは失敗するかもしれないが、そのうちの一人が見つけた新天地が、集団の未来を救うかもしれない。
内向的で一人の時間を深く愛する人が、静かな思索によって文化や哲学を成熟させる。
外向的でおしゃべりな人が、人と人との間に「共感」という名の橋を架け、コミュニティを強固にする。
体質もそうだ。
猛烈な暑さに耐えられる人、凍える寒さの中でこそ力を発揮する人。
特定の食物を効率よくエネルギーに変えられる人、そうでない人。
これらすべてが、地球上で起こりうるあらゆる環境の変化——氷河期、灼熱の時代、未知の食糧難——に対する「保険」なのだ。
ある環境では「欠点」や「短所」とみなされる「偏り」が、ひとたび環境が変われば、生き残るための「最強の武器」へと反転する。
わたしたちは、誰か一人が完璧である必要はない。
むしろ、完璧であってはならないのだ。
それぞれがそれぞれの方向に鋭く偏ることで、人類という集合体としての「生存確率」を、無意識のうちに最大化している。
そう考えると、あれほど理解しがたいと感じていた他人の「偏り」も、自分とは違う形で生存というミッションを担う、尊い役割のように見えてこないだろうか。
✅箱舟を設計したのは誰か
だが、話はそこで終わらない。
もし、この「偏りによる生存戦略」というシステムが真実だとしたら、それはあまりにも精巧すぎないだろうか。
まるで、来るべき大洪水に備え、あらゆる種類の動物をつがいで乗せたという「ノアの箱舟」だ。
わたしたち一人一人が、その「つがい」ならぬ「偏り」の一つを担い、この地球という名の箱舟に生まれ落ちてきている。
もしそうなら、この壮大で緻密な箱舟を設計したのは、一体誰なのだろう。
単なる偶然の産物、進化の過程でそうなっただけだ、と片付けるのは簡単だ。
ダーウィニズムがそれを説明してくれるだろう。
しかし、わたしの心の片隅では、時折、そこに明確な「意思」のようなものを感じてしまうのだ。
なぜ、あんなにも清らかで優しい人が、若くして病に倒れるのか。
なぜ、あれほど利己的で傲慢な人が、社会的な成功を収め、多くの影響力を持つのか。
それは一見、不公平で、理不尽な悲劇や喜劇に見える。
だが、それすらも「偏り」の配分なのだとしたら?
優しすぎる性質が生き残れない過酷な環境に備え、一方で、強引さや傲慢さで道を切り開く性質も「ストック」しておく。
そんな、個人の幸福など意に介さないような、冷徹なまでの長期的視点。
まるで、チェスの名人が、数百年先の手を読みながら駒を配置しているかのような。
これは、わたしだけの想像かもしれない。
科学的な根拠は何もない、詩的な妄想だと言われればそれまでだ。
しかし、どうしようもなくそう感じてしまう瞬間がある。
それは、古来より人々が「神」と呼んできた存在なのか。
あるいは、地球という惑星そのものが持つ意識(ガイア)なのか。
はたまた、わたしたち人類の集合的無意識が、自らを守るために無数の年月をかけて生み出した、大いなるプログラムなのか。
✅わたしたちに託されたもの
わたしたちは皆、偏っている。
そして、その偏りは、おそらく意図的に「そうなるように」仕組まれている。
もしそうだとしたら、わたしたちにできることは何だろう。
自分の「偏り」——この短気なところや、あの奇妙なこだわりを——無理に矯正しようとすることだろうか。
それとも、他人の「偏り」——あの理解しがたい価値観や、受け入れ難い行動を——非難し、均質化しようとすることだろうか。
おそらく、そのどちらも違う。
わたしたちに託されているのは、ただ、自分の偏りを深く、鋭く、誠実に生き抜くことだけなのかもしれない。
それがどんなに奇妙で、孤独な「偏り」であったとしても。
わたしの、この「何かの意思を感じてしまう」という観念的な「偏り」すらも、きっと、この世界を成り立たせるための何かの「保険」なのだ。
だとすれば、この精巧なシステムは、今、この瞬間も、わたしたちという無数の「偏り」を通して、次に何を備えようとしているのだろう。
その「意思」の本当の目的を、わたしたちは知る由もないままに、ただ生きている。
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