法務部がなくても、英文契約書の「危ない条項」は見抜ける
「一通り読みましたが、特に大きな問題はなさそうです」
海外の取引先から届いた英文の販売代理店契約書(Distributor Agreement)を確認して、担当者がそう報告する。社内に法務部門はなく、弁護士に依頼するには費用も時間もかかる。相手は待ちに待った初めての海外バイヤーで、「当社の標準フォーマットなので修正はできない」と言っている。
そして、署名する。
問題が表に出てくるのは、たいてい半年後から2年後です。
その国では、もう他の会社に売れない
ほとんど売れていないのに、契約だけが自動で更新されていく
解約を申し出たら、在庫の買い取りと補償金を請求された
自社ブランドの商標が、なぜか相手の名義で現地登録されていた
いずれも、契約書に書いてあったことです。読まなかったわけでもありません。英文を日本語にする作業は終わっていて、「意味は分かった」状態でした。それでも見落とされます。
海外契約で本当に危ないのは、難しい英語ではないからです。
危ない条項ほど、やさしい英語で書かれている
一方にだけ極端に不利な条項のことを、韓国のビジネス現場では「毒素条項」と呼びます。日本語では「不利な条項」「リスク条項」と表現されることが多いものです。
たとえば、こんな一文です。
The Distributor shall have the exclusive right to sell the Products in the Territory during the Term.
中学校で習う単語しか出てきません。翻訳ツールに入れれば「販売店は、契約期間中、本地域において本製品を販売する独占的権利を有する」と、正確な日本語が返ってきます。
見落とされるのは、この一文の意味ではありません。この一文の隣に、何が書かれていないかです。
もしこの契約書に、
最低購入数量(Minimum Purchase Quantity)
未達の場合に独占権が非独占に切り替わる条項
が入っていなければ、相手が1年間ほとんど売らなかったとしても、こちらはその国で別の販売先を開拓できません。訳文は完璧なのに、事業としては止まります。
つまり、英文契約書の一次確認で必要なのは「訳す力」ではなく、その条項が自社の事業にどう効くかを想像する力です。そして後者は英語力ではなく、取引の経験値の問題です。
だからこそ、法務部門を持たない会社ほど、生成AIの使いどころがあります。経験値の代わりに、チェックリストと質問の型を持てばいいからです。
法務部がない会社が、まず見る7か所
契約書が50ページあっても、営業側の一次確認で見る場所はそれほど多くありません。輸出取引(売買基本契約・販売代理店契約)で、後から効いてくることが多い7か所を整理しました。
▼ 英文契約書で、まず見る7か所

1. 独占権とノルマの非対称
Exclusive(独占)/Sole/Non-exclusive のどれなのか。独占なら、最低購入数量と、未達だった場合の扱いがセットで書かれているか。
2. 契約期間と自動更新
期間、自動更新(Evergreen)の有無、更新を止めるための通知期限。「90 days prior written notice」の90日を1日でも過ぎると、もう1期分が確定することがあります。解除できる条件が双方で同じかどうかも見ます。
3. 準拠法と紛争解決
Governing Law(準拠法)と、Jurisdiction(裁判管轄)またはArbitration(仲裁)。相手国の裁判所が指定されている場合、中小企業にとっては実務上「もう争わない」に近い意味を持ちます。
4. 責任の範囲
Indemnification(補償)が一方通行になっていないか。Limitation of Liability(責任の上限)があるか。上限のない補償義務は、その取引の粗利と釣り合わないリスクになります。
5. 支払条件と危険負担
支払い時期、通貨、遅延利息。そしてインコタームズ(FOB・CIF・DDPなど)と契約書本文の記載が食い違っていないか。ICCのインコタームズ2020が定めるのは費用と危険の分岐点であって、代金がいつ支払われるかまでは決めません。ここを混同したまま「CIFだから安心」と考えると、危険負担と回収条件がずれます。
6. 知的財産と商標登録
商標・意匠の帰属。相手が現地で自社名義の登録を行うことを禁じる条項があるか。空白のまま数年経ってから発覚すると、取り戻すのに時間も費用もかかります。
7. 契約終了後の義務
在庫の買い戻し義務、終了時の補償金(Termination Compensation)、競業避止、顧客リストの扱い。国によっては、代理店保護法制により契約書の記載以上の補償が求められる場合もあります。
この7か所が「契約書のどこに書いてあるか」を特定できているだけでも、専門家に相談するときの中身が変わります。「全部見てください」ではなく「この3条項の解釈を確認したい」と渡せるからです。JETROの貿易投資相談のような無料の相談窓口も、論点が整理されているほど使えます。
AIは「翻訳機」ではなく「一次スクリーニング」に使う
ここからが本題です。同じ生成AIでも、指示の出し方で結果はまったく変わります。
▼ AIを「一次スクリーニング」に使う3ステップ

Step 1|立場と目的を先に宣言する
いきなりPDFを投げて「この契約書を分析してください」と書くと、教科書のような一般論が長文で返ってきます。同じ条項でも、売手か買手か、メーカーか代理店かでリスクの向きは反転するからです。
私は日本の消費財メーカーの海外営業担当です。当社は売手・メーカー側で、相手は米国の販売代理店候補です。添付はその代理店候補から送られてきたDistributor Agreementです。当社にとって不利になり得る条項を、影響が大きい順に7つ挙げてください。
Step 2|「原文の引用」とセットで出させる
これが一番重要です。要約だけを受け取ると、実際には書かれていない条項を、もっともらしい日本語で受け取ってしまうことがあります。原文の引用を必須にすると、その場で照合できます。
各項目について、①該当する条項番号、②原文の該当箇所をそのまま引用、③当社にとって何が問題か(2文以内)、④相手に提案する修正案、の4点を表形式で出してください。原文に該当箇所が見つからない項目は「記載なし」と明記し、推測で補わないでください。
「推測で補わないでください」「記載なしと書いてください」の2文を入れるかどうかで、確認にかかる時間が変わります。引用された原文をPDF内で検索して、実在を確かめる。ここは必ず人がやります。
Step 3|「書かれていないもの」を探させる
冒頭の独占権の例のとおり、海外契約で効いてくるのは、書かれている条項よりも抜けている条項であることが少なくありません。そして、抜けているものは読んでいても気づけません。目に入らないからです。
この契約書に「書かれていない」項目を指摘してください。販売代理店契約で通常規定される項目のうち、本契約に見当たらないものを列挙し、それぞれ当社にとってどのようなリスクになるかを説明してください。
最低購入数量、独占権の解除条件、価格改定の手続き、契約終了後の在庫の扱い、商標登録の禁止。この質問を1回投げるだけで、これらの欠落が一覧で出てきます。
50ページを翻訳するのに数時間かける代わりに、この3ステップで「見るべき5ページ」を特定する。一次確認としては、こちらのほうが現実的です。
それでも、AIに任せてはいけない3つ
1. 準拠法と紛争解決の最終判断
ここは影響が大きく、しかも交渉の余地が残りやすい条項です。外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約(ニューヨーク条約)には170を超える国・地域が加盟しており、仲裁判断は国境を越えて執行しやすい仕組みが整っています。一方、外国の裁判所が出した判決は、相手国で当然に執行できるとは限りません。「どちらが有利か」は取引の内容と相手国によって変わるため、AIの一般論ではなく専門家の判断を通してください。
2. 数字は必ず原文と突き合わせる
金額、日数、数量、単位、通貨。長い文書を扱うとき、生成AIがもっとも取り違えやすいのが数字です。「30日」と「30営業日」、「USD」と「JPY」、「per unit」と「per carton」。ここは要約を信じず、原文の該当行を目で確認します。
3. 何を入力してよいかを、会社として決める
契約書には、取引条件、価格、取引先名が丸ごと含まれます。利用するサービスのデータの取り扱い方針を確認し、業務情報の機密度に応じたルールを決めてから使う。「無料だから危険、有料だから安全」という単純な線引きはできません。
この3つに共通するのは、AIに判断させず、人が判断するための材料を作らせているという点です。一次スクリーニングと最終判断は、別の仕事です。
「読めない」を「聞ける」に変える
法務部門がないこと自体は、海外展開を止める理由にはなりません。実際に止まる原因は、契約書が「読めない塊」のまま机の上に置かれ、返事が遅れ、商談の熱が冷めていくことのほうです。
7つのチェックポイントと、3つの質問の型。この2つがあれば、届いた翌日に「この3点だけ確認させてください」と返せます。相手にとっても、沈黙より具体的な質問のほうが、前に進んでいる感触があります。
英文契約書との向き合い方については、50ページの英文契約書、まだ最初から全部読んでいますか?でも、全文翻訳をやめる進め方を整理しています。あわせてご覧ください。
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