香りを纏ってあなたに会いにゆく
今日でよかった──。
娘の習い事の帰り道。そんな思いで車に乗ると「先にうどん行かん?」と運転席の夫が言った。
「それは嫌」
わたしは思いっきり眉根を寄せた。
「なんで?」
「だって……」
説明がしづらい。
「うん……わかった」
わたしは力なく頷いた。
その瞬間が近づいていた。
パウダールームで、髪の毛をひとふさつまみ、ため息をついた。
まっくろ……。
昨日、髪の毛を染めた。
秋になるといつも、髪色をすこしだけ暗くする。チョコレートブラウンみたいなイメージを想像していた。
出来上がりを見て、不安になった。──黒い。地毛よりも、黒い。『NANA』に出てくるハチがナナになってしまうくらいの変貌を遂げていた。
大学3回生のころに、美容師さんが必死に止めるのを押し切って黒染めしたあのときの、きつい顔立ちと顔色の悪い自分が鏡のなかにいた。顔には出さないように気をつけながら、内心、かなり頭を抱えていた。
着ていた服が似合わず、手持ちのコスメだと妙に顔が浮く。
ブルベメイクと、いつもより女性らしさを抜いた服じゃないと、合わないのである。
鞄のなかをがさごそと探る。
「ううう……ブラウンのリップしか持ってきてない。買うべき?」
パウダールームで顔色の悪さを演出するくちびるに触れながらぶつぶつとつぶやいていると、娘が「やれやれ」と言った。
「もうむりだよ。時間だよ。いいって。ママ。気にしすぎだよ」
「でも……」
髪の毛の黒さに押されるようにしてアイメイクも存在感を消している。まるで素顔だ。足りない。
加工が、圧倒的に足りていない。
「だいじょうぶ、ママはかわいいよー!」
どちらが母親だか……とおもいながら、娘はふと鏡のなかの自分に目をとめた。
「ちょっとまって。髪を結い直したい……」
「そのままでいいよ」
「でも……」
「かわいいよ、大丈夫」
窓ぎわの明るい席を選んだ。うるさくしてしまいそうなので、端っこ。
娘はクレープを、わたしはアイスカフェオレを頼む。
窓の向こうには、見慣れた香川の風景が広がっている。
「あー、きょうでよかった」
「なんのはなし?」
「なんでもない」
公共交通機関で市外にもぜんぜん行くけれど、ここは駅近ではないので、夫がいなければ来られない場所なのである。
なお、このとき夫と息子は、ポケモンフレンダが終わらず、まだその場にはいなかった。
「緊張してきた」
娘が硬い顔で言った。
「そうだね」とわたしはぼんやり答えた。
「えっ、ママも?」
「そうだよ、そりゃ」
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「凛花さん……ですよね?」
わかってはいても、わたしは驚いて振り返った。ここでは誰も知るはずのないその名を呼ぶのは。
「……しいもさん!!!」
アイコンやお酒の写真から、かっこいい女性を想像していたけれど、小顔で華奢で、笑顔がチャーミングな可愛らしい女性だった。
でも、それでもしいもさんだとひと目でわかる。ファッションもかっこよくて可愛い。大ぶりのアクセサリーがおしゃれ!
きれいな色の髪の毛が似合っている。
歯並びがいいのもうらやましい……!(わたしのコンプレックス)
そんな目まぐるしい頭のなかを口に出すことなく、どきどきしながら「そうです」と答えた。そして、お会いできると思っていなかったので、先週塗ったネイルの、伸びた部分の自爪をそっと隠した。
しいもさんと出会ってから、たぶんまだ1年経っていない。
今でも覚えている。
わたしが彼女を知ったのはこの記事。創作大賞についてなにもしらなかったころに読んだのだけれど、改めて読んでみると、感想記事である。
底に沈んだ「母だから無理」の自分は置いていく。
すごい──と思った。なんて潔い。しいもさんには、5人のお子さんがいる。そのうち3人は、うちの子たちと同い年。
子どもふたりでも「時間が無い」と言っている自分が恥ずかしい。
もっとも、当時はだれかと交流するなんて恐ろしくてできないと思っていたので、ひそやかに感動しながらも、素敵です、勇気をもらいましたのきもちでそっとハートマークをタップして終わっていた。
(なお、今も自分からいくことはできないので、ひっそりと読んで❤だけ残している人も多くいたりする)
あれから1年経たないうちに、わたしは無謀な挑戦に身を焦がしてゆくことになる。公募挑戦を再開したり、創作大賞のために全力を注いでみたり……。
そこに至った経緯には、たくさんのきっかけがある。
でもじつは、しいもさんのこの作品もまた、がんばってみようと思ったきっかけになった一つでもあるのだ。
子育てを言い訳にしないようにしたい。そう思った。
どの記事が最初だったか思い出せないのだけれど、コメントをもらったのをきっかけにしいもさんとの交流がはじまった。
単純なわたしは、ひっそりと読ませてもらっていたしいもさんに声をかけてもらったのがうれしくって、すぐに懐いた。
それからほどなくして、人生のなかでもとくに恐れていたことのひとつが起こった。猫の介護と、そして、死である。
こんなことを書いてもいいのだろうかと思いながら、暗い気持ちを、不安と後悔を、noteを通してそっと吐露した。
それも、しいもさんは読んでくれていた。忙しくて時間がないだろうに、うれしかった。
コメントやSNSでのやりとりを通して、まるで文通のような淡い交流を何度も重ねていくうちに、わたしのなかでしいもさんは、すっかり、勝手に、友だちのように思えていた。
しいもさんの綴る家族の日常が、出来事が、とても好きだ。好きのひとことで言い表せない作品もある。当たり前の日常の大切さを、愛おしさを教えてくれる作品に、いつもこころを震わせている。
働きながら子育てを楽しみながら、こんなふうに書き続けることができるのって、すごい。
そんなしいもさんが、ご家庭の用事で香川にやってきた。
しいもさんのSNSに香川のインターチェンジが載っているのを見てすごくふしぎな感じがした。
きっと予定が詰まっているだろうからお会いするのは難しいかな……と思っていたけれど、予定の合間を縫ってすこしだけ会えることになった。
今日でよかった。
車社会の香川では、夫がいなければ、お会いした場所に行くのはむずかしかった。幸い、予定も午前中だけしかない日である。
わたしたちがぽつりぽつりと話す横で、娘としいもさんの長女ちゃん、次女ちゃんがおえかきをしている。じつはしいもさんの長女ちゃんと娘が何度かDMでイラスト交換をさせてもらっていた。
娘もたのしみに、そして緊張していた。
しいもさんのご主人にも挙動不審な感じで挨拶をしたし(笑顔が素敵でものすごく優しそう……!)、うちの夫としいもさんが話しているのを見て、なんだか不思議な感じがした。
(なお、しいもさんは夫に挨拶するときにすごくわたしのことを褒めてくれていて、完全にいつもの優しい気遣い屋さんのしいもさんだった。あああわたしもそんなふうに伝えればよかった!気が利かなすぎると激しく後悔するのであった。無難な挨拶ですら緊張してしまう人見知り)
べつな世界線に迷い込んでしまった気分である。
あっという間だった。
ただでさえ人見知りなのに緊張して、普段どおりにはしゃべれないものの──それでも、子どもたちのこと、書くことなど、話題は尽きない。
ぽつり、ぽつりと、ひとことずつこぼれるたびに、緊張がほどけていくのがわかる。ずっと前から知っていたみたいに、自然に話せるようになっていく。
それは、しいもさんの子どもたちに対しても。
ふだんのわたしは、大人よりも子どもたちを前に緊張してしまうことが多い。なにを話していいのかわからないのだ。
でも、エッセイを通してきょうだいそれぞれを少しずつ知っていたからこそ、話すことができたというのもある。
長女ちゃんからすごくかわいい絵を描いてもらった娘は「ぜったいに折らずにきれいに持ち帰って」とくり返した。
後から合流した息子は、同い年の双子くんたちに、お気に入りのポケモンフレンダのカードを見せびらかしていた。
香川で暮らしているとnoteを書いている人、それも、仲良くしてくれている人に出会う機会なんてないわけで、はじめての邂逅はまるで夢のようだった。
画面の向こうにはたしかに人が存在しているのだと、良い意味で思い知らされた。
しいもさんご家族とお別れしたあとに、ふと、かばんの中から「うどーなつ」の余りを発見したわたしは急に恥ずかしくなる。
うどんのにおいを纏って会うことになってしまった……。
香川県民じゃないしいもさんには、気づかれていないといいな。
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