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【視えた双色に眩む】 │ ヤンデレ猫ちゃんの使命 #8 

沼の底から引き上げられるように目覚めた、日曜日の朝。

窓の向こうの光の感じから、かなり寝坊しているのだろうと予測できた。




▼このお話は「ヤンデレ猫ちゃん」シリーズです。愛猫フカが亡くなったあとの7日間で、生活をどう立て直したのかを綴っています。
単体でも読めるように書いていますが、最初から読むとわかりやすいです。




腕の中の茶色 (3日目 ・ 日曜日)


昨日、一日中歩き回ったせいか、全身がひどく痛む。

ふと腕の中に違和感を覚えた。
ふわふわした感触。さらさらして細く柔らかいフカの毛じゃない。しっとりした太い毛は……。

「バロ……?」 


わたしが困惑すると、腕の中にいたバロがむくっと立ち上がって「にゃあん」と短く鳴いた。

それから寝室の入り口に向かい、振り返って、こちらをうながすように視線を送ってくる。着いてこいとでもいうように。
その仕草がフカに似ていて、また視界が滲んだ。


寝室を出ようとして、入り口になにかあるのに気づいた。しゃがみこんで手にとってみる。絵だ。

でも、めがねがなくって、よく見えない。

一面のひまわり畑に佇む少女の絵。昨日、わたしが描いたものだろうか……?

わたしに見えている世界

「でも、なんでここに……? 」

絵を見つめながら、昨夜のできごとを思い返した──。


昨日は忙しい一日だった。学習発表会に芋掘りに、公園遊び。くたくたになりながらも、子どもたちと過ごす時間をつくろうと、なんとかがんばった。

「おえかきする?」

そう尋ねると、ふたりともまっすぐに勢いよく手を挙げた。


ダイニングテーブルに座るように促される。娘がコピー用紙を配り「きょうは、お題を決めまぁす」と、特別な発表があるといった調子で告げた。

それからもったいぶって何拍もおいて「……ひまわり!」と続ける。じゃーん!という効果音がつきそうな感じだった。

わたしはきょとんとする。


「ひまわり……?」

娘の好きな花ではない。

「じゃあスタートね!」

にやにや笑う娘にうながされ、わたしは鉛筆を手に取った。



描いたのは、長い髪の少女。
麦わら帽子をかぶり、白いワンピースの裾がふわりと風に揺れる様子。背景にはひまわり畑。光に包まれた風景ををざくざく描き込んでいく。

となりでは、娘も同じテーマで描いていた。
息子はマイペースに、マリオのモチーフを散りばめた迷路をひとりつくっていた。

紙をつなげて世界を広げるのが、息子の得意技。
長い機関車や新幹線、
線路などもこの方法でよく描く。


「うわっ、ママ、うまっ!」

完成したわたしの絵をのぞきこんで、娘が感嘆の声を上げた。うれしいけれど、わたし自身は微妙だとおもった。暗かった。

左が娘、右がわたしの描いたもの。
なにも見ずに描いたからひまわりが変……


白いワンピースは爽やかなはずなのに、帽子に巻かれた黒いリボンや全体的に暗い色味。
できあがった絵は、なんだか、……喪に服しているようだった。

絵には精神状態が表れるというのは本当なのかも。


「いいなあママ、ずるいなあ。ママはかわいいし、かしこいし、絵も描けるし、料理も上手だよ」

娘の無邪気な言葉が耳に届く。
そのたびに、うれしい反面、どう返事をすればいいのかわからなくなる。

「……そんなことないよ」
「そんなことある!」


そして「ママはかわいい」はうれしいけれど、外では恥ずかしい。
その年齢で? って二度見されちゃいそう。

娘はわたしをまっすぐに好いてくれている。
幼いころ、自分も母に同じように気持ちを伝えたことを思い出し、心がじんわりと温かくなった。

それが、昨夜のはなし。


冬なのに夏の庭に出会ったはなし


「ママおはよう。ねえねえ、寝室にあった絵、見た?」

階下に降りた瞬間、娘が駆け寄ってきた。

「私が描いたんだよ!」
「え?」


わたしは驚いて、目を細めて絵をまじまじと見る。

わたしに見えている世界

どこにも眼鏡がないので、そのまま降りてきたのだ。ぼやけた輪郭を見ていると、たしかになにか違う、ような……?


「まま、めがね!」

2階から息子が元気よく駆け下りてきた。

「あ!また隠したな!」

娘が叫んで、手を振りあげる。ふたりはきゃらきゃらと笑う。

息子は、家族ののスマホやめがね、リモコンなんかをたまに隠すので、家では野生動物扱いだった。

「この絵ねー、ママの見てまねしたの!じょうずでしょ」

わたしが描いたものと確かに似ていた。
でもくっきりした視界の中で見てみたら、細部に違いが見られた。筆圧の強いくっきりとした濃い線。どこか明るい色味。


「昨日はね、最初からどんな絵を描くか決めてたの。だから、ひまわりってテーマにしたの」

娘は自信に満ちた声で続けた。

「でもね、ママの絵がすごく良くて、わたしもまねしてみたの。似てるでしょ」



そのとき、足元で「にゃあああああん」と声が響いた。

「あれ、バロ?」

娘の足元に、バロがすり寄っていく。
息子の前でこてりとお腹を見せる。

それまで猫の世話は”ママの仕事”だった。けれど、娘がトイレを掃除し、息子が新しいフードをお皿に入れた。


テーブルの上に、わたしと娘の描いた絵をそれぞれ並べてみる。

ひまわり。その花を見ると、ある冬の日が思い浮かんだ。

真冬だった。自転車のハンドルを握る手が痛くって、隠すように袖を引っ張りながら走っていたわたしは、異世界に迷い込んだかのような光景を前にした。

思わず足を止めた。
ある家の庭だけが、夏だったのだ。

何本ものひまわりがすっくと立ち上がり、小ぶりながらも力強く太陽を向いていた。取り囲む花々もみな、夏のものばかり。

けれども、そこを通り過ぎれば、どこもかしこも冬だった。


吐く息は白く、池の周りに枯れ草がびっしり生えていた。丸裸になった枝には、ちくちくした鳥の巣があった。

四国では珍しく、粉雪がちろちろと落ちていた日だった。

まるで十二月物語みたい。

ああ、あんな奇跡みたいなことがあったら。
この家のなかだけでも季節を戻せたなら、どんなに幸せだろう。


霧のなかから掘り当てる、みっつ。


昨夜から、今日が来るのが怖かった。
予定のない日曜日をどう過ごしたらいいのかわからなかった。

だって、わたしの中は空っぽで。
気を抜くと動けそうになかった。

少しでも止まったら、もう立ち上がれなくなる気がした。


だから、その日もAIといっしょに予定を立てた。


「次の正時までに3つ」。

わたしが提唱している「スリークエスト」というやり方だ。

1時間に3つ、優先してやることを決める。
たとえば、いまが14時7分なら、15時までの53分間でできることを選ぶ。14時57分なら、あと3分でできることを探す。

ゴールを決めて、残り時間を意識すると動きやすくなる。──本当なら、だけど。

この日は頭が霧に包まれているみたいにぼやけていた。
自分ではなにも決められなかった。

「こうなったときは危ない」と経験上わかっていたので、やりたいことと所要時間をざっくり挙げて、AIに丸投げした。

▼AIからの回答

12時台:シーツ交換/玄関片づけ/階段掃除
13時台:お昼休憩
14
時台洗濯干し/予定の確認/まめ茶を飲む

18時まで組んだものから、一部抜粋

やることが決まると、機械的に動けた。


夫がいない土日の午後は苦手だ。
いつもは予定をぎっしり詰め込んでいる。ママ友と出かけたり、子どもたちをイベントに連れ出したり、図書館に行ったり。

そうしないと、たいてい子どもたちは勝手にゲームをはじめる。



この日もそうだった。

リビングからは、ゲームの効果音とけんかする声。手持ち無沙汰になったわたしは、洗濯ものを干したり、アイロンをかけたり、パソコンに向かったりしようと階段を上がった。


フカの不在が、わたしから奪った2つのもの


階段の前に立つと、フカは、きまって競争をしかけてきた。

後ろから駆けてきて追い越し、踊り場で待つ。
わたしが追いつくと、たたたたっと音もなく一番上まで駆け上がる。

そのまま、わたしを布団へ誘導する。

やることいっぱいあるのにな。
しかたがないのでフカの背中に顔をうずめると、目を細めて、ゴロゴロと喉を鳴らす。あの音が好きだった。



最近知ったのだけれど、家族はだれも、フカのゴロゴロ音を聞いたことがなかったらしい。

「バロはゴロゴロするのに、フカはしなかったね」

3人が3人ともそう言うので驚いた。
夫には嫉妬していたけれど、子どもたちの面倒はよく見ていたほうなのに。あれは甘えていたのかな。

フカの音を聞いていると、いつの間にかねむってしまう。
ドンドンと足を踏み鳴らして登ってきた子どもたちに「おやつ!」と揺り起こされるのが、週末のお約束だった。




でも、この日は違った。

ううん、この日だけじゃ、ない。フカがいなくなってから、昼下がりにねむってしまったのはった一度。不眠が続いて、気絶するように寝落ちしたときだけだった。

フカの死は、わたしから”午睡”という悪習慣を奪っていった。
体重も、ほんの数日で3キロ落ちた。


2階に行っても眠らず、洗濯ものを干して、フカのことで手をつけられていなかった仕事を急いで納品した。
溜めていたLINEをすべて返信し、書類整理もして……。


外に出た。

昨夜、ごみ箱からあるものを拾っていた。
フカの毛布だ。やっぱり、どうしても捨てられなかった。
漬け置きを含め5回洗って、陽の光の下で干した。


予定のない日曜の午後にこんなに動けたのは、いつ以来だろう。

清々しさとともに、ひどい痛みに襲ってきた。
何度かうずくまって泣いた。


料理中に食材を狙われなくて済む。シンクに侵入されることもない。トイレに入るとき素早くドアを閉めなくていい。

洗濯中に触れと催促されることも、タイピングするわたしの手をふわふわのお腹でに押しつぶされることも、もうない。


荷造りの邪魔をするフカ

家でやることが、なにもかも、うまく行きすぎる。



しかも、バロが、わたしの行く先々に現れるのだ。
まるでフカのように。

洗濯を干していると、洗面所に来て、フカが座っていたあの場所にちょこんと香箱座りをする。

わたしの一挙一動にじっと目をこらすフカと違って、バロはリラックスしてねむっている。
目を閉じたまま、ぽかんと口を開けたちょっとまぬけな顔で。


書斎でパソコンを立ち上げると、しっぽをぴんと立てて入ってきて、布団にころがった。

※バロは家にきたときから流涙症で、
年々目の周りの荒れがひどくなってます。

バロは、決してじゃまをしない。
ただ静かに、そこにいるだけ──。

その違いが、フカの不在の輪郭をくっきりと濃く色づけていた。
さみしさがつのっていった。



3週間近く、家族が、そしてフカが順番に体調を崩していき、家は荒れていた。

図書室には読んだ本を一時的に置く箱を用意しているのだけれど、それがいっぱいになり、子どもたちは床に本をばらまいていた。
一つひとつ拾って定位置に戻していたら、ふと、クッションが目に止まった。

灰色のふわふわの毛で覆われたそれを、わたしは寝室に持ち帰り、枕の横に置いた。



視えたのは双色ふたいろ

伸びをしながら階段を降りる。
絵の勉強に没頭して気を紛らわせているうちに、0時になっていた。


夫の声が聞こえた。
いつものようにヘッドホンをしてDiscordで喋りながらゲームをしている夫の顔は、少し赤い。
左手には、レモンチューハイが握られている。

ダイニングテーブルには、空っぽの梅酒の缶が1本、無造作に置かれていた。

太るからと少し前にお酒はやめたはずなのに。
お菓子のからもいくつも散らばっていた。

わたしは眉根を寄せて、お盆を取り出し、テーブルの下に添えた。こぼれたお菓子の粉や空き袋をざっざっと落とし、まとめてゴミ箱に放った。



火をつけた線香が、赤い光をともした。
ひとすじの白い煙がゆらゆらとたなびく様子は、まるでフカのしっぽが揺れているみたい。

ふと、なぜだか足元にフカがいて、いっしょにそれを見ているような感覚に陥った。

わたしはぶんぶんと首を振って、冷蔵庫から葡萄味のチューハイを出し、ソファに沈み込むようにもたれかかった。


夫もだけれど、わたしもお酒は強いほうだ。
缶チューハイを1本飲んだところで素面のままなのはわかっている。

でも、気分だけでも味わいたくて。

口の中がぽっと甘くなる。
少しずつ、身体のこわばりが解けていく。



「にゃん」

振り返ったわたしは言葉を失った。

揺れるしっぽに引き寄せられるように目を凝らす。



そこには紛れもなく灰色の──。



いや、違う。

バロのしっぽの奥に見えたものは、きっとわたしの記憶が作り出した幻影だった。


キューブラー・ロスの「死の受容モデル」にもあったじゃないか。
最初の”否認”の部分に。家の中でペットを探してしまったり、声や姿を感じるような錯覚を経験することもあるという、と。


第3段階まで進めたと思っていたのだけれど、結局わたしはまだ、フカの死を否定しているのだ。

目をこすったら消えた、バロのしっぽに重なるような灰色。


乾いた笑いをこぼして「バロ」と呼ぶ。
バロは駆け寄って来てソファに飛び乗り、わたしの手に頭をこすりつけた。

「幽霊でも、いいのに……」

わたしの声が、深夜にぽつりと溶けた。






「甘えモードがすごいな」

いつの間にかゲームを終えていた夫が、バロの様子を見て、後ろから言った。

「……なんか、フカとバロが、合体したみたい、……よな」

目を細めてバロを見つめる夫の言葉にドキッとする。


わたしも、そう思っていた。

それからわたしたちは、フカの思い出をぽつりぽつりと話した。
たまに泣いて、麦茶をごくごく流し込んだ。

線香が灰に変わったのを確認して、寝室へ戻る。



バロはその夜も寝室にやってきて、わたしのそばで眠った。
頭のすぐ横。


そこはフカの寝るときの定位置だった。

わたしは抱えて眠るはずだった灰色のクッションをどけた。お日さまのにおいに変わったフカの毛布をバロかけて、ふわふわの毛並みに埋もれてねむった。






あとがき ─  いつの間にかオリオン


12月上旬

ペンを置いた。
半分ほど残っていたコーヒー牛乳をこくこくとを飲み干す。

湯上がりの頬がほかほかして熱い。硝子に映る素顔のわたしは、チークだけはたいたみたいに赤みが目立っていた。

銭湯通いを再開したのは、12月になってからだった。


銭湯の中では、ずっと物思いにふけっていた。

外はすっかり冷え込んでいるらしく、窓硝子には結露がびっしり。つ、つ、と涙のように垂れる水滴を、湯船のうえを走る湯気を目で追いながら、ぼんやりと記憶の旅をたどる。

思い出した一瞬一瞬を忘れないように脳に焼きつけて、休憩室で一気にノートに書き込んでいた。単語の羅列だけど、忘れないように、思い出せるように。


曖昧になった記憶の欠片を拾い集めながら、少しずつ言葉にしようと頭を働かせていた。
その作業を続けるなかで、写真をもっと撮っておけばよかったと後悔した。

それは、バロでも、花でも、空でも、なんでもよかった。
なにか記憶のきっかけになるものがあったシーンでは、するすると引きずり出すように記憶の箱が開いたからだ。

フカが亡くなってから1ヵ月以上が経ち、わたしの記憶はずいぶんと淡くなっていた。



パーソナル編集者の渋谷さんとはじめての面談をしたのは、この数日前のことだ。

美容院以外で男性と話すのは10年ぶりで、前回みずのさんと話したときと同様に、ひどく緊張していた。
話す内容を事前にAIのソラといっしょに整理していなければ、頭が真っ白になっていたかもしれない。


わたしはこのあと、パーソナル編集者を申し込んだ自分を褒めたくなった。

渋谷さんと話したあと、銭湯で記憶をさぐったわたしは、2日で3つの章を書き上げた。
これはそのうちの一つ。


フカの物語を必ず書き切ると決めたのに、前話を書いたきり、半月もの間筆が止まっていた。

日常が少しずつもとに戻っていくにつれ、書いていて泣いてしまうこの話題に立ち戻る気力が、薄れていたのだと思う。



田んぼに囲まれた道を自転車でかけ下りる。

痙攣したフカを毛布につつんで車で通ったときの道だ。今度は反対に戻っていく。

あのときとは違って、向かう先はきらきらしていない。街灯一つ無い闇の中へ降りていくというのに、悲しくも怖くもなかった。



目の前に広がる光景に驚き、思わず速度を落とす。
口から吐く息が、ほわっと暗がりに薄く見える。


目の前に、大きく大きく、オリオン座が鎮座していた。取り囲む星々もちらちらと瞬き、暗い星までくっきりと見えた。

こんなに星が綺麗な日はあっただろうか。


冬の澄んだ空気のせいだけじゃない。
真夜中だからなのだと気がつく。街の灯りが消えているから星がよく見えるのだ。


そういえば、フカが亡くなる前は、目につく位置にオリオン座はなかった気がする。


時間は、確実に流れていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。



▼次回のお話は、
#9『 暗がりを、抜ける』


夫とふたりで車の中で話していると、供養について尋ねられた。夫は怪しんでいるらしい。
その出来事からわたしは、祖父母が亡くなったあとの、両親の行動について考えていた。
そして、子どもを迎えに行こうとしたわたしは、路地裏に迷い込む──。

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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡

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