【祈りは揺れる】 │ ヤンデレ猫ちゃんの使命 #7(day2)
アラームの音で、意識が浮上した。
「いつのまに寝てたんだろう……」
枕元にあるはずのスマホに手を伸ばし、目をぱちぱちと開けたり閉じたりしながら、音の根元にたどり着いた。
薄目を開けて見た画面には、7:45の文字。
▼このお話は、ヤンデレ猫ちゃんシリーズの続きです。単体でも読めます。
鳴らなかったアラーム(2日目・土曜日)
血の気が引いて飛び起きた。
娘がいつも玄関を出る時間をとうに過ぎている。
徒歩じゃあ絶対に間に合わない……?
娘の名前を呼び、「遅刻する!」と叫んだ。
ねむたそうに目をこすりながら息子も起きてくる。
ふだんはどんなに揺り起こしても目覚めない夫まで、ばっと勢いよく飛び起きた。
みんなで階段を駆け降りる。
娘に飲むヨーグルトをパス。
パジャマを剥ぎ取り、肌着とポロシャツをかぶせる。
着替えを手伝うのは幼稚園のとき以来だった。
夫が車に荷物を積み込む間に、水筒にどばどばと麦茶を注いだ。
──よりによって、今日。
「寝坊してごめん」
娘は寝ぼけまなこのまま、「ママねむれてなかったし、わたしも起きれなかったからいいよ」と言って、車に乗り込んで行った。
へなへなとその場に座り込んだ。
情けなさに涙がじゅわりと滲む。でも、こうしてはいられない。
あと40分後には、家を出なければいけないのだ。
8時近くまでアラームがならなかったのには理由がある。
きょうが土曜日だからだ。
通学のためのタイムスケジュールに合わせたアラームは、月曜日から金曜日までの繰り返しになっている。
けれども、その日は例外だった。
学習発表会だ。
昨夜、いつ寝たのか記憶がない。
おそらく漫画をめくりながら気絶するように寝落ちしたのだと思う。
いつもなら、アラームをいくつもかけて、目覚まし時計もセットして、絶対に起きられるようにするのに。
悔やんでも時間は戻らない。
息子のトーストを用意し、急いでメイクをはじめた。
人前に出るときは、すこし時間をかけてメイクをするのだけれど、その日はあまりにも時間がなかった。
顔色が悪い。
血色よく見えやすいカーキっぽいブラウンのアイシャドウを選んだ。時間がないからそれ一色、ざくざくと指で塗っていく。
少しでもきちんとしたくて、眉は長めに 。口角と目尻をつないだ長さまで書き足す。
「取れてしまうかも」と思いながらも、一応しっかりマスカラも。そして、普段なら絶対にかけないめがねを装着。
最後に濃いめの赤リップを塗って、ティッシュで押さえて派手さを減らす。
メイクが薄いときは、リップを濃い色にする。
娘を送って戻ってきた夫は、コンビニの袋を抱えていた。
「朝ごはん買ってきたから」
「……いらん」
「いいから。ほとんど食べとらんやろ。ゼリーでもいいから、食べんと」
押し付けられるようにして、わたしは、マスカット味のゼリー飲料を口に含んだ。
──やはり、半分しか食べられなかった。
死とは、眠るようなもの?
夫も身じたくを整えに、2階へ上がって行った。
「バロもしんだら、いやだなぁ」
ソファに寝ころび、先住猫のバロにブラッシングをしていた息子が、ぽつりと言った。

「ねえ、バロもしんだら、ねこが家からいなくなるね?」
息子がこちらを見る。
「パパがしんだら、ママがうんてんしなきゃいけないよ? わかった、ママ?」
息子は、言い含めるように、やれやれといった感じで口にした。
「そうだね」
「……でも、ママもしんだら、どうするんだろう」
次は、自問自答するように言った。
フカの死で泣かなかったのは、息子だけだった。
フカのことが大好きだったのに。

息子は曾祖母の葬式に出たことがある。
でも当時3歳だったから、その記憶すらないのだろう。
あまりに淡々としたその様子に、ああ、息子は”死”という概念を知らないのだと知った。
眠るようなものだと思っているのかも。
それとも、幼稚園で学期末にお友だちがいなくなってしまうのと同じで、引っ越しのようなものだと捉えているのだろうか。
いずれにせよ、息子にとっては、たぶんこれがはじめて、死というものについて考えた瞬間だったのだ。
「ぼくたちもしんだらさ、このおうちはどうなるの?」
どんどん未来へと飛躍していく質問に、きちんと向き合ってあげたかったけれど、わたしの中には適切な答えがなかった。
また、時間も。あまりにもなさすぎて。
秋の朝顔
なんとか出発の準備を整えたわたしたち三人は、田んぼ道をひたすら歩いて学校へ向かった。
空には分厚い雲が何層にもなって重なっており、今にも降り出しそうだった。
もう10月も終わるというのに、民家の石壁から、濃い紫色の花が溢れ出すように咲いている。
あそこの朝顔は、夏休み前からあったなとぼんやり思う。
夏に時間を戻したい。
もし、フカの死が止められないものだとしても、もっといっしょに過ごしてあげればよかった。そう思えてならなかった。

学校では、子どもたちが頑張ってきた様子を見られて、久しぶりに心が上向きになった。
けれども、演奏を聴いていたら急に視界が滲み出して、焦った。
今朝は急ぎすぎて、いつもの厚手のタオルハンカチも、ポケットティッシュも持っていなかったのだ。
指の先で、なんとか涙を弾きながら、少し視線を上向きにして、滲む視界を誤魔化していた。
「りっちゃん、おはよう」
校内で何人ものママ友に声をかけられる。
普段ならうれしいのに、今日は、しまった、見つかってしまった、と思った。
わたしの容姿は、ふだんとだいぶ変わっていた。
実際、何度も話したことがある娘の友だちが、わたしを指して「この人だあれ?」と聞くくらいには違ったらしい。
曖昧に笑った。言葉がなかなか出てこないし、目元もきっと赤くて。
きっと、挙動不審だったと思う。
水底の耳に
「芋掘りにいこう」
家に戻ったあと、そう言い出したのは夫だった。
子どもたちは喜んだけれど、わたしはとてもそんな気分になれなかった。
動きたくなかったし、動く体力もなかった。
それなのに、有無を言わさず連れ出されてしまったわたしは、くったりと窓にもたれた。
その日は息子が助手席に座るといってきかないので、チャイルドシートを前に移動させ、わたしと娘で後部座席に並んで座っていた。
いつものように、夫が音楽を流す。
子どもたちは思い思いになにかをしゃべっている。
車窓の向こうに吹き飛んでいく風景にぼうっと焦点が霞んでくる。水の底にでもいるような感じで、音が聴こえにくくなっていく。
じつは、フカが体調をくずしたあたりから、耳がよく聞こえなくなっていた。
ストレスがすぐ耳に出るタイプで、毎年病院に行っては「ストレスですね」と言われている。
くぐもった音楽を聴いていたら、急に、ぼとぼとと玉のような大粒の涙が落ちてきた。
薄いブルーのデニムに丸い染みができていく。
わたしは焦った。
──なんだこれは。
わたし、泣くつもりなんてなかった。
いまはフカのことを考えていたわけじゃないのに。
意思に反して、涙は止まらない。
視界の端で、娘が目を見開いた。
わたしは体を窓側へ向けた。
娘のほうを振り向かずに手探りでティッシュを取って、涙を押さえる。
そうして気がつく。車に乗ったのは、フカが亡くなった夜以来なのだ。
あのときもこんなふうに音楽が流れていて──。
きっとそれが鍵になっているのだ。
芋掘りは意外と気分転換になった。
その日は雨予報だったのに、さすがは晴れの国・香川。
雲が時間が経つにつれ引いていった。

娘は学校やイベントなんかで野菜の収穫をさせてもらっており、もともと興味があったのだけれど、汚れるのが好きではない息子まで、手を真っ黒にして、イモを土から掘り出している。
新しい一面を見たような気がして、心が少し動いた。

収穫体験では、スタッフさんが野菜の説明をしてくれる。その話を聞いているだけでも面白く、ためになった。
外にいたほうが、ぐるぐる考えなくていいのかもしれない。
そのあとは子どもたちがどうしても公園に行きたいというので、近場の公園を検索して向かった。
手元を見ないで
「どんぐり、どんぐり♪」
右手にコンビニの空き袋を持った息子がどんどん奥に進んでいく。
息子は収集癖があり、綺麗な色の落ち葉や花びらを見つけては持ち帰り、ノートに貼っている。

この時期は、まつぼっくりやどんぐりを集めていた。
わたしはその表情をまじまじと見つめて、ふと、昔読んだ本のことを思い出していた。
書名も思い出せず、メモも残っていなかったので、文章を読んだ上での解釈として紹介する。
子どもがなにかをしているときに、手元を見てはいけないという話だ。
子どもの行動に目を向けると、忙しい生活の中で、焦りや苛立ちを感じてしまう。たとえば、どこかに走って行ってしまったり、準備が遅かったり。
なんでそんなことをするんだろう、って。
でも、そういうときに子どもの動きじゃなくて、目に注目するといい、という話だった。
真剣な表情や、なにかを見つけた驚きの顔。
目元をよく見てみると、まったく違った見え方になるのだという。
子どもたちの目は、いつもより大きく見開かれていた。
新鮮な驚きと、次はどこを探そうという期待に満ちていた。
つきりと胸が痛む。
とにかく日々を生きるのに精一杯で、こういう、大切な、いましかない瞬間を、いろいろ見落としてきたのではないか。

──そして、それはフカに関しても。
ただいっしょにいてくれるだけで幸せだった。
でも、フカにもらうばかりじゃなくて、もっと遊んであげたり、フカのためだけに時間を使うことができたんじゃないか。
そう思ったら、また泣けてきた。

目に映ったものは
帰りにスーパーに寄った。
「フカの供養をしようと思う」
それは、あらかじめ夫に話してあった。
夫もかつてのわたしと同じ、いや、それ以上に”目に見えないもの”への拒否感があるタイプだったので、不安に思ったけれど、意外なことに「いいんじゃない」と肯定的に言われた。
「でも、ずっと続けんの……?」
「ううん。一週間でやめる」
「ふうん」
ところが、線香がどこに売っているのかさっぱりわからない。
広大なスーパーの敷地内を何度も歩き回り、夫と手分けして探した。
ほかに必要なものを買いまわりながら十分ほど歩き、ようやく見つけたそれは、生花コーナーのそばにあった。
「そうか、お供えの花とセットになってるんだ」
馴染みがなさすぎて、知らなかった。
煙やにおいがほとんどないと書かれていたことと、フカが亡くなる少し前まで金木犀の香りが漂っていたことから、なんとなく、金木犀のものを選んだ。
夜、リビングに飲みものを取りに降りたら、バロが近づいてきた。

しっぽをぴんと立てて、左右にゆっくりゆらゆら揺らし、こてりと目の前に寝そべる。
それは「撫でろ」という意思表示。
フカのときみたいに後悔したくなくて、バロの横に膝をついて、冷たいタイルの上に腹ばいになった。
フカはお腹に触れられるのをひどく嫌がっていたけれど、バロはお腹を見せてくる。
わたしはわしゃわしゃとバロのお腹を撫でた。
そのとき、不思議なことが起こった。
いつものように目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしていたバロの目が、少しずつ見開かれていった。
口がぽかんと空いている。
瞳孔が開いて、目が真っ黒になった。
「バロ……?」
バロはふらふらと立ち上がった。警戒するように背中が丸くなっており、毛が逆だっている。
片足を上げて、一歩、踏み出した。
わたしは不安になって夫を呼んだ。
「ねえ、バロが変なの」
ヘッドホンをつけてゲームをしている夫は気がつかない。
「ねえってば」
バロの視線の先を見る。
そこは、キッチンの横、フカが亡くなった、猫部屋の入口。
まさか虫かと思ったけれど、そこまで行っても虫の姿は見当たらなかった。もちろん、フカの幽霊がいる……なんていうことも、なかった。
バロはしばらくそのままドアのほうを見つめていたが、やがて、香箱座りになった。
「うわ、いたのか。風呂入った?」
わたしが1階にいるのに気づいた夫が、ヘッドホンを外してこちらを向いた。
わたしははっとして、首を振る。
「早く入りな」
「……気分じゃない」
「後回しにしたらどんどん面倒くなるやろ」
なにもしたくなかったけれど、わたしは仕方なく立ち上がった。
バロが「ニャア」と不満げに鳴く。わたしはその頭をわしゃわしゃ撫でて、お風呂に向かった。
さっき、バロの目に映ったものが、フカだったならよかったのに。
ここにいてくれたらいいのに。
熱いシャワーを浴びてはじめて、身体が冷えきっていたことに気がついた。
いまは、幽霊を信じたかった。
浴室のドアを開ける。
今までは、そこにフカがいた。お風呂から出たわたしと目が合うと、鳴きながら駆け寄ってきていた。
幽霊を信じたかった。
でも、なにもいなかった。
ああ、この2階の空間は、わたしとフカがふたりきりで過ごした思い出が、多すぎた。
なにもかも、すべての行動がスムーズに進む。
進んでしまう。──それが悲しい。
お風呂上がりに眠れず、すこしパソコンに向かった。
自分の中にある、なにか大事なものが枯渇してしまったような感覚。
なにも書けるとは思えなかった。
机のうえのカレンダーを見ると、去年契約したイラスト講座の受講期限が、そろそろ切れてしまうことに気づく。
自分への投資として、かなりお金をかけたものだ。
イラスト講座を再開することにした。
多趣味で飽きっぽい性格だから、一年間の講座も、最初と最後にがんばろうと思っていたのだ。
そう思いながらも、受講期間はあと2週間しかないくらいという時までサボってしまった。
フカが亡くなってから仕事をする気にも、SNSを見る気にもなれなかった。
今期はめずらしくたくさん見ていたドラマも、大好きなWeb小説も、なにも受け入れられなくなっていて。
フラットなものを探す
昔、ビジネス講座を受けたときの先生の話を思い出していた。
「人に会うとき、どんな表情がいいと思いますか?」
指名された人は「笑顔だと思います!」と答えた。
「笑顔!いいですね。それもありです」
でも、と先生は続ける。
「私はフラットな表情をおすすめしているんです。
フラットっていうのは、楽しそうでもなく、不機嫌そうでもなく、感情が出過ぎてない表情の事ですよ」
無表情のことだろうかと思ったが、違うという。
「表情がないというよりは、柔らかい雰囲気がもちろんいいんです。でもね、あまりににこにこして、楽しさ全開という感じはね、あまりおすすめしてないんですよ」
とても意外な話だった。
「自分が悲しくて、絶望してる。そういうときに、やたらとニコニコされたら、なんだかいやでしょ。相手は事情を知らないのだから仕方がないけど」
──明るいものが見られない。
ハッピーエンドが好きなのに、読んでいて目がすべる。
だから、イラスト講座を受けるのは正解だった。
ただ学ぶというフラットな行為が合っていたみたいだ。つらくならなかった。
それでいて、動画だから人の声もある。静けさを減らしてくれていた。
ここから2週間ほど、わたしは取り憑かれたように絵の勉強に夢中になり、学んでいる間だけは無心になれたからだ。
深夜0時、1%に賭ける
「あ、0時だ」
時計を見て、わたしは、階下に降りた。
Kindleで小林薫さんの漫画を開き、必要なものを準備していく。
線香を立てるものはなかったので、アルミ製の皿を買っておいた。
そこに塩を盛って、線香を刺すのだという。
ペットの場合は、半分に折った線香を使う。
恐る恐る火をつけた。
実家の仏壇でもたまーに線香をあげたけれど、わたしはこの火をつける作業が苦手。なぜか線香に火が移らないのだ。
おとなになっても不器用なのは変わっていないのだと苦笑した。
漫画の中で、供養は0時ごろするといいと書かれてあった。
"気づかれやすいから"と。
本当は、ペットの魂に声がけし、自分の名を名乗り、成仏できるように祈るそうだ。
けれども、これまで目に見えないものは読みものとして楽しむルールで生きてきたわたしは、それをすべては信じきれなくて、100%書いてあったとおりにはできなかった。
でもそれでいいと思えた。
自分ができることだけで。
死は、やっぱり”無”だと思うけれど。
それでも1%でも可能性があるのなら、ここに戻ってきてほしいと願った。
斎さんの漫画の中で、ペットを亡くした飼い主のもとに、またその子がやってくるだろうという終わり方をしていた。
それは、”上がった(成仏?)”からこそ。
見えなくても、信じきれなくても、1%に賭けてみたかった。
でも、別にこの家じゃなくてもいい。
フカがもう苦しくなくて、どこかで幸せに生きられるのなら、わたしのそばじゃなくてもいいのだ。
だから、お願いだから、ただ、この世界のどこかに存在してほしい。
そう願ってやまなかった。
煙も匂いもないと書いてあったけれど、結構気になる。
──線香が燃え落ちるまで待たなければ。
わたしはソファにくったりともたれた。
バロがとっとっとっと足だけ動かす漫画みたいな走り方でやってきた。ソファの座面に両手をつき、こちらを見あげると、もたもたしながら跳んだ。
フカもバロも、それぞれ「甘えポイント」がある。
フカの場合はいつでもどこでも、特に洗濯室や寝室が多かったけれど、バロのそれは、このソファだ。
誰かがソファに座るとやってきて、撫でろと催促する。
そういうとき、しっぽは太くぴんと立っていて、ゆらゆらと海の中を漂う藻のように揺れる。
フカの場合は、はてなマークのようにもう少し弧を描いていたっけと浮かんでまた泣いた。
しばらくバロを撫でたあと、線香が燃え尽きたのを確認して、わたしは寝室に戻った。
──眠れない。
やっぱり眠れない。
電気を消すことすらできなかった。
何度も寝返りを打つもののだめで、わたしはいま唯一読める、斎さんの漫画に目を落とした。
「にゃん」
鳴き声がして、ばっと身体を起こす。
「フカ……?」
「にゃー」
ドアのところにいたのは、バロだった。
バロは喉を鳴らしながらやってくると、ふとんの周りをうろうろした。そうして、わたしの枕元にぽふりと寝ころんだ。
フカがいつも眠っていた、定位置に。
バロは必ず1階のソファで眠るので、どうせすぐいなくなるんだろうな。
そう思いながら、ふわふわの毛並みに触っているうちに意識が遠のいていく。
ところが翌朝目を覚ますと、バロはまだ、腕の中にいたのだった。
あとがき─カフェに2人で
11月上旬。
用事があって出かけたショッピングモールで、夫が珍しく「カフェ行きたいんじゃないの」と言った。
夫はカフェが好きじゃない。
だから意外だった。
たぶん気を遣ったのだろう。
そのころのわたしは、フカが亡くなって2週間以上が経つというのに、子どもの送迎以外はずっと家に引きこもっていたから。
この頃は、もう気持ちもかなり落ち着いてきていたものの、外に出ない生活に慣れたら、なんとなくそうなってしまった。
夫がそう言ったのは子どもたちが習い事に行っている間の1時間だった。
夜に外で夫とコーヒーを飲んでいるなんて、いったい、何年ぶりだろうと思った。
変な感じがした。
大学時代、近所にあるおしゃれなカフェによくいっしょに行ったのを思い出す。
そこはノンアルコールカクテルみたいなおしゃれなドリンクがたくさんあって、しかも、一つひとつに映画のタイトルがつけられている。
すべて手描きでイラストも素敵なメニューがあって。
遠距離恋愛だったわたしたちは、長期休暇をどちらかの家で過ごすことが多かった。
夫は折りたたみ自転車を買って、わたしの部屋の玄関に置いてあった。
わたしたちはカフェを後にして、自転車に乗って坂道をのぼり、銭湯で汗を流して、家に戻って行くのだった。
そこには必ず、「またね」があった。
あのころは、身軽だった。
その一方で未来がとても不透明だった。
付き合っていた彼氏、つまり今の夫といる未来はなんとなく確定していた。
でもそれ以外はまったく見えなかった。
ちっとも大人になれた気はしないのに、そう考えてみると、ずいぶん遠くまで来てしまった気がした。
子どもたちの迎えの時間になった。
わたしたちは、バロの待つ家に帰った。
▼最後までお読みいただき、ありがとうございました。

▼次回のお話
#8『視えた双色に眩む』
フカが亡くなってからはじめての日曜日。普段から予定がないと動けないタイプのわたしは、この日が来るのを不安に思っていた。
何とか乗り切るために、10年培ってきたものと、AIを活用していく。
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最後までお読みいただき、ありがとうございます♡