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【音色、身に沁む】 │ ヤンデレ猫ちゃんの使命 #10 

糊づけされたみたいに離れがたいまぶたを、なんとか片目ずつ開いていった。
今日は、曇り。

毎日同じ時刻に起きていると、カーテンが閉まったままでもその日の天気がわかるようになった。

晴れの日なら、グレーのカーテンの隙間から朝の光が垂れてくる。
雨の日は枕元の窓からさらさらと雨音が染み込んでくる。どちらも違った。

だから、消去法で曇り。


ふとんの中でもそもそ動くと、「ニャア」と横から声がして、バロが濡れた鼻をこすりつけてきた。
夫はうつ伏せになってねむっている。

この日は平日休みだったので、起こさないように気をつけて階下に降りた。


▼このお話は「ヤンデレ猫ちゃん」シリーズです。愛猫フカが亡くなったあとの7日間で、生活をどう立て直したのかを綴っています。
単体でも読めます。
最初から読むとわかりやすいです。




朝の習慣になったふたつのこと


あくびをしながら、紐をたぐり寄せる。
リビングじゅうのブラインドを一つひとつ開けていく。


正解。
曇りだ。

開けてみたけれど、もう一度閉めて電気をつけなければいけないかもしれないなと思うくらいには暗かった。


朝起きてから1時間はスマホを開かないのがすっかり習慣になった。
それだけで朝にゆとりが生まれた。

たとえば天気を調べようとスマホを手に取る。LINEの通知に気づいて見てみる。表示されたネットニュースのタイトルが気になって開き……。そんな罠がスマホにはたくさんある。

罠にかからないだけで、時間はいくらでも増やせた。


もう一つ、新しく自然とできるようになったことがある。
それは、猫の様子を記録することだ。

フカが生きていたころ、わたしは、機械的に猫のトイレを片づけていた。
2匹いるのでどちらのものかわからない。それを当たり前にしていたことをひどく後悔した。


当時はやりようがないと思っていたけれど、シンプルな解決法は目の前にあった。

猫トイレの外側に、直接書いていくことだ。

ホワイトボード用のマーカーを使って、その日のトイレの数を、正の字で書いていく。これならその場で書けて、しかも消せるから便利だ。
消す前にスマホで写真を撮っておけば、診療時にもスムーズに伝えられる。

フカがいなくなったことで、2つあるトイレはほとんど汚れなくなっていた。
片づけるのがラクになったはずなのに、悲しかった。


クラスペディアの花言葉


キッチンの窓辺にあったフラワーアレンジメントを、寝室に移動させた。
骨壺とともにリビングに置いていたけれど、夫が子どもたちが気にするんじゃないかといったからだ。

ポンポンマムやカスミソウ、ユーカリポポラスなど淡いトーンでまとめられたそれは、前夜、動物病院から届いたものだった。

インターホンが鳴り、モニターを見ると見知らぬ男性が花を抱えて立っていたので「あの、うちは三條といいます。あの、ええと、……お間違えじゃないですか?」と思わず訊いてしまった。


花を受け取って戻ったわたしに子どもたちは「なにそれ」「どうしたの」と聞いた。

「ど、どうぶつびょういんから……」と涙声になっていくわたしに、娘は冷めた目を向けた。

「え、まさかそんなことで泣かないよね……? ママ、ちょっとやばいよ」

むしろその言葉に、泣いた。


相変わらず、わたしの目は壊れている。
けれども、如雨露のように涙を排出し続けているけれど、その頻度はずいぶん減ったように思う。

花を飾ったときは余裕がなくてできなかったけれど、一つだけ名前を知らない花があった。このエッセイを書くに当たって調べてみた。

黄色くて毛糸のポンポンのように丸いその花は「クラスペディア」という花だった。

英名はドラムスティック。確かに似ている。
花言葉は「心の扉を叩く」。

わたしが泣いたのはきっと、この花のせいだということに、しておく。


後悔しないために動く


「ねえ、今日さ、動物病院に行こう」

起きてから2時間ほどが経った。
下の子を送って戻ってきたわたしは、そう言って夫を起こした。


フカが亡くなった日の夜、わたしはかなり錯乱していた。
フカが苦しむ瞬間が頭のなかで何度も何度もループされていた。

それはわたしが眠りそうになると、やがて夫に、子どもたちに、バロの姿へと変わっていき、ばっと飛び起きる。

それくらい追い詰められていた。


バロはフカより2歳も年上だ。

もともと、毎年膀胱炎になって、何度も何度も病院にかかっていた。次に詰まったら手術だと言われていた。


フカのときは、具合が悪そうな素振りはまったくなかった。
10年間、病気ひとつしなかった。

腎臓が悪いのは、体調を崩してはじめてわかったことだ。


定期的に動物病院には通っていた。
けれども毎年膀胱炎になるバロとは異なり、徹底的に検査するということはなかったのだ。


動物病院に着いたものの、ちょうど夫は仕事の電話が来たので、先に一人で入った。

フカと違ってずっしりと重く、持ち上げた腕がぐんと下に引っ張られた。
両手でキャリーを抱えても腕が痺れそうなくらいだ。

なんとか扉を開けて中に入ると、ちょうどドアから出てきた先生と目が合った。



「あ、……こんにちは」

先生は片方の眉を上げて怪訝そうに言うと、奥に戻った。

ひょこっと顔を出した看護師さんがわたしの顔を見て「三條さんです」と伝える。


わたしたち夫婦は一ヵ月もの間、ほとんど毎日のように病院に顔を出していたので、すっかり覚えられていたのだ。

先生もいつも、ひと目でわたしのことがわかっていたはずだけど、わからなかったのかな……? と考えて思い至る。


メイクだ。

そうだ、フカといっしょに来たとき、わたしのメイクはいつもどろどろに溶けていた。

わたしのメイクはかなり繊細なバランスで成り立っていて、たとえばカールさせたまつ毛がへにゃりと萎れてきたり、リップの色が落ちたり、アイシャドウがこすれたりすると、たちまち別人に変わってしまう。

もしかしたらそれで、わたしがわたしだと認識できなかった、のかもしれない。


やがて夫も合流した。

すこしフカの話やお礼を伝えたりして、本題に入った。

「バロの、健康診断をしたいんです。やっぱりフカのことで。安心したいなっていうのがあって……」

バロが検査をしている間、細部まですっかり頭の中に入っている待合室に並んで座りながら、わたしたちはぼんやりとニュースに目をやっていた。

それを見て、野球少年だった夫は大谷翔平選手について熱く語っている。
もう何度も聞いた話をくり返していた。


子猫に目を向けられなかった理由


「……うわ、ちっちゃ」

夫がわたしの肩をつつく。

わたしたちの隣には、子猫を連れた、若い夫婦、あるいはカップルが座っていた。
てのひらより少し大きいくらいの小さな子猫を、ケージから出して、抱いていた。


「かわいいな」

夫は頬をゆるめて言うけれど、わたしは、見たくなかった。
泣いてしまうから。


いろいろな人がその夫婦に話しかけていた。
その光景には見覚えがあった。

10年前の夫とわたし。
子どもたちがまだ生まれていないころ。

小さなちいさなフカと、今より活発だったバロを連れて東京の動物病院にいた。たぶんワクチンかなにかだったと思う。

たくさんの人がフカを見て、今の夫のような表情をした。

あのときは、本当に幸せだった。


膝の上のバロにだって、そういうときがあった。
今はずっしりと重たくて、太くてまあるくて、子猫時代に大好きだった「だるまさんがころんだ」ごっこもしない。

年齢を重ねても太くてもバロのことは好きだけれど、子猫のときにあった、未来がずっと広がっている感じは、わたしたちの中にはもうなくて。

それを突きつけられるようで、子猫のことは見たくなかったのだ。



猫たちが死んでしまったら世界が終わる。
ここ数年は、本気でそう思っていた。真っ黒な未来を、どう生きていけばいいのか、検討もつかなかった。

フカは子猫のときも可愛かったけれど、一緒に過ごすにつれて、一日ごとに、どんどんフカのことが好きになっていった。
上限が日々突破されていった。


けれども、実際こうしてわたしは日常を立て直している。それは良いことなのだけど、同時に辛くもあった。

フカが消えてしまったら耐えられなくて、すぐに他の猫を迎えるんじゃないか。

以前はそういう不安があった。


それはペットロスから回復するためにも、良い方法らしい。だから、その方法を選ぶのもひとつの道だと思う。

ただし、今のわたしには、無理だった。


だって、いくら可愛くたって、それはフカじゃない。
実際、バロがそばにいてくれても、バロでは埋められないものがある。

逆だったとしても同じだ。
バロの代わりをフカがすることはできない。

2匹はわたしにとって、ほかの猫とは違う、唯一無二の家族なのだ。
フカが消えた穴は、誰にも埋められない。


そういうことを思い知らされそうで、子猫を見ることはできなかった。

それでも猫たちを迎えたことは後悔していない。記憶を抱えたまま何度過去に戻ったとしても、絶対に2匹をまた家族にするだろう。


捨てられた猫のはなし


フカが亡くなったあと、わたしは、時折、見知らぬ人の子猫を思い出すようになっていた。


ずっとずっと前のこと。
リクルートスーツ姿でカフェに入ったときのことだ。夜に説明会があり、早めに駅についたのだ。

急に降ってきた小雨のせいで、ジャケットの肩が少し湿っていた。
傘立てにビニール傘を差し込んで扉を開けると、ふわりとコーヒーの香りが広がった。

横に人がいない席を選んで座るようにしているから、たぶん、店内は混んでいて、空いている席はわずかだったのだと思う。


注文を待っていると、隣のテーブルの女性たちの声が耳に入った。

わたしの位置からは、そのうちのひとりしか見えなかった。
長い爪に目を引かれる派手めの女性だ。キラキラのストーンがたくさんついた、重たそうなネイルが、カップの縁を軽くなぞっている。


「猫ちゃん、元気?」

友人らしきもうひとりの女性が、そう尋ねた。

長い爪の女性は、少し間を置いて「ああ」とだけ無機質に答えた。そして、こう続けた。


「もういないの」

「え……?」

「だってさぁ、バッグにおしっこしたんだよ。あれめっちゃ高かったのに。ブランド物なのにさ。ありえん。許せんやろー?」

長い爪の女性はそう言って、強めに巻いた髪の毛を指先でくるくる弄んだ。

「誰かに譲ったってこと?」

「ううん、外に捨てた!」


女性は紙くずをゴミ箱に放ったくらいの気軽さで言った。
その一瞬、隣のテーブルの空気がぴたりと止まった気がした。

わたしは思わず顔を直視しそうになり、慌てて思いとどまった。

まっすぐ前を向いた視界には、その人の手や髪の毛が映るけど、表情はわからない。
氷が溶けかけたグラスの水を、ごくごくと飲み干す。


想像、してしまった。
小さな子猫が突然外に放り出される光景を。

いまのこの外の風景のような、濡れた地面、冷たい風、そして見知らぬ世界の中で小さく震えるその姿を──。



あれは、もう15年近く前のことだ。
バロやフカが生まれる前の話。

あの子猫はどうなったのだろう。

室内で飼われていた猫が、いきなり外に捨てられて、生きていけるとは思えない。そんなことを思い出しては胸が痛む。


フカが亡くなってからというもの、生と死について、あるいは生きる意味について、考えずにはいられなかった。



しっかりと検査をしたので、2時間ほどかかった。

娘が帰ってくる時間が迫っていた。



30代、墓を買う?


「なあ、フカの骨、埋めるのやめん?」

帰り道、車の中で夫がぽつりと言った。

墓地に埋葬したくない、見えるところに埋めたいといったのも夫で、わたしたちは、庭の、わたしの花壇を壊してフカを埋葬するつもりでいた。


「ひとりだけ地面の下にって、嫌やわ」

夫の声がしおしおと萎んでいる感じがあった。

「……ペットと入れるお墓、香川にも最近できたらしいよ。なんか広告で見た」

「それ、いいな」



じつは、趣味嗜好に合わせた広告が打ち出される今どきの”環境”が、不快だ。

このころ、Instagramを開いたら、ひたすら猫写真や、猫のグッズや、あるいは葬儀に関するものばかりが表示された。

考えたくないのに思考をずるりと引きずり戻される。

見知らぬ人に干渉されているようで不快だった。


けれども唯一惹かれたのが、その広告だった。ペットといっしょに入れるお墓。


「……いや、でもさ、俺らの年で墓買うんやばいやろ。まだ30代で墓買う人、なかなかおらんて。オカンたち世代やろ。そういえば親戚が最近、墓買ったって言うとったわ」

「そうだねぇ……」

結局答えは出なくて、フカの骨壷は、今も寝室にある。



家に着いてしばらくすると、娘が学校から帰ってきた。
短縮授業の日だったのだ。


思い出したのは、癒やしの方法


昼食のあと、娘がすぐにSwitchの電源を入れた。夫もまたパソコンに向かい、ヘッドホンをしてゲームをはじめた。

手持ち無沙汰になったわたしは、電子ピアノの蓋を開けて、ヘッドホンのコードを差し込んだ。
ボリュームのつまみを、どんどん右へ回す。


クラシックの本を引っ張り出してきて、フォーレにラヴェル、モーツァルト、ドビュッシーと学生時代から弾き慣れた曲を中心に、爆音で、弾いた。

ヘッドホンをしているから、気にしなくてもよくて、没入できた。

実家のときは、ふつうのピアノだったからできなかったこの機能がうれしいい。

弾きながら思った。
そういえば、小学校から高校まで、落ち込んだときはいつでもピアノを弾いて回復してきたな、と。


ピアノを習いたいと言い出したのはわたしだけれど、はじめは練習が好きじゃなかった。

母に時間を決められて、いやいや続けていたものが、いつの間にか何時間でも弾けるようになり、逆に「苦情が来たら困る」と怒られるようになった。

そうだ、ピアノを弾くことは、わたしにとって、気持ちを切り替える手段なんだ。


わたしがこれまでの人生で一番危ういメンタルになったのは、社会人時代なのだけれど、そのときは、家と職場を往復するだけの生活だった。

家にピアノがない。
絵を描く時間もない。
人とも話せない。

そういう、慣れ親しんだ癒やしのツールがない状態だったからこそ、気持ちを切り替えることができずに、深く、深く沈んでいったのだと、このときはじめて気がついた。

不思議だったのだ。人生の中で、もっと目に見えてひどいことをされたことなんていくらでもあった。それなのにどうしてここまで心が折れてしまったのか、と。
単にわたしが弱くなったのだと思っていた。



わたしと違って、子どもたちが練習を好きになることはなく、奮発して買った電子ピアノの出番はあまりない。

でも、それでも、買ってよかったと思った。
これがあれば、わたしは、生きやすくなる。



あのときの、休息の理由


「銭湯、行かんの」

夜、絵の勉強の合間に飲み物を取りに降りてきたら、夫が言った。

「子どもら見とくよ。って言っても、家にいるだけだけど」

「いまはいい。先週行ったし……」


先週、フカが亡くなる2日前の夜、わたしは銭湯に足を運んだ。
夫が「行ってきたら」と言ったのだ。たぶん、気を遣ったのだと思う。

フカの介護は、ほんのわずかな日々だったけれど、なかなかに大変だった。作業量も多かったし、時間も決まっていた。繊細な作業で神経が張りつめていた。

なにより、終わりが近づいている感じに追い詰められた。


今夜、行かない理由は3つあった。

ひとつは、今は”絵を学ぶ”ことが回復手段だと思ったこと。
ふたつめは、単純にそういう気分になれないこと。

そしてみっつめは、前回行ったときに、ちょっと、嫌な気持ちになったことだ。


あの日は平日の夜ということもあり、サウナが貸切状態だった。
ひとりでじんわり温まっていると、入り口の扉が開いた。

「いやあー!」

その人は、突然叫んだ。

びっくりして振り向く。
大学生だろうか、若い女性がふたり。


「なにここ、……怖い」

先ほど叫んだ女性が、部屋じゅうを見渡すようにして言った。わたしの姿は目に入っていないのだろうか。

「無理無理。こわすぎる……」

いやだ、こわい、むり。
何度もくり返しそう言って、女性はバタン、と強く扉を閉めた。


一人残されたわたしは、とても不快な気持ちになった。彼女の目にはなにが見えていたというのか。

わたしにはなにも見えない。
それとも、わたしを霊と見間違ったとでもいうのだろうか。


そのときの嫌な感じがまだ尾を引いていた。


介護が長引くと思っていたからこその休息だった。
帰省も、夫は自分が残るから行ってきたらと言ってくれたけれど、フカのそばにいたくて取りやめた。

終わりが近いのはわかっていたけれど、それにしてもこんな早くいなくなってしまうと思っていなかったから、外に出られたのだ。

わたしは、それをずっと後悔していた。
だから行こうという気にはなれなかった。


それに、いまは、絵に没頭したい。

幸せでも不幸せでもない、ただフラットな勉強に身を投じることは、とても楽で、そして実りがあった。

シャッ、シャッと音を立てて線を引きながら、あるいは動画で学んだことを自分の言葉でノートにまとめ、図解しながら、思った。

そうだ、絵を描いたり、勉強したりすることも、わたしにとっては癒やしの手段だったのだ、と。


その日は久しぶりに安心して眠った。
心が軽い感じがあった。


バロは、長生きしてほしい


そしてもうひとつ。
バロの検査結果が、異常なしだったのも、わたしの心を軽くしてくれていた。

この日、先生は、血液検査にエコー検査などいろいろやってくれた。
フカを看取ったばかりのわたしたちにかなり気を遣いながら、丁寧に言葉をえらび、見てくれている感じがあった。


気になるとしたら、目と鼻。

わが家に迎えた日にはすでに猫風邪をひいていたバロは、基本的にいつでも泣いている。
流涙症というらしい。完治は難しい。

拭いても追いつかなくて、目の周りはすっかり涙やけしてしまった。


そんなバロとフカを見比べて「こっち(フカ)は可愛いけど、こっち(バロ)は可愛くない」と言った人がいた。

東京の動物病院で隣になったその見知らぬおばあさんのことは今も覚えてるし、たぶん、一生許さないと思う。


猫風邪は、ヘルペスに似ていて、潜伏して、弱ったときなどにまた再発するそうだ。
最近は、鼻水にも悩まされていた。

そうした細々とした心配はあるものの、検査結果の数値は悪くないと言う。


「強いて言えば……」

先生の言葉に、夫とわたしはごくりと息を呑んだ。

「……ちょっと、おデブですね」

夫もわたしも、笑った。





あとがき ─ 女王フカの不在


この章は、病院の順番待ちのあいだに車で書いている。
12月上旬だ。

わたしは後部座席に座っており、となりにはバロの入ったキャリーケース。拗ねたようにこちらに背を向けている。
「バロ」と声をかけても、見向きもしない。


じつは、バロも手術をした。
この章から1ヵ月以上が経った11月末のことだ。

フカのように命に関わるものではない。毎年のように再発していた膀胱炎が悪化し、完全に詰まってしまったらしかった。

手術以前にも、バロは立て続けに体調をくずしていた。


はじめにバロに異変が起きたのは、フカが亡くなってから2週間ほど過ぎたころだった。

夜中に、夫に揺り起こされた。

「いいから来て」

硬い声色で言われ、不眠続きだった中ようやく眠れた身体を無理やり起こす。

階下に降りた瞬間、濃い血の匂いが鼻をついた。


「なに……」
「バロの、鼻血」

夫がわたしに眼鏡を差し出す。

「はな、ぢ……?」

リビングには、点々と小さな血の跡が続いていた。
出血量は多かったが、少量ずつだったらしい。


夫が気づいたのは、ゲームを終えたときだったという。

バロの通ったであろうすべての場所に血が落ちていた。床に座って拭くと、むわっと鉄の匂いが立ち昇る。

換気扇を回し、夫とふたりで2時間かけて床をきれいにした。
けれどバロが動くたびに、また血の跡が増える。

仕方なく隔離部屋を暖め、シートを敷いてバロをそこに入れた。フカのときと同じように、猫用ドアから出られないよう、物を置いて塞いだ。

フカが亡くなったときの記憶が、一気にフラッシュバックしてくる。
せっかく拭いた床に、涙がぽたぽたと落ちた。


翌朝、隔離部屋を確認すると、バロは脱走していた。
脱走されたことに驚いた。よく考えたら、物を置いただけなので軽く体当たりでもすれば抜けられるのだ。フカがしなかったから、バロもできないだろうと思っていた。

幸い鼻血はその後止まり、以降再発していない。朝イチで病院へ行き、ひとまず問題ないとの診断にほっと胸を撫で下ろした。


だが、それもつかの間、翌週、膀胱炎が再発した。粗相やしっぽの震え、トイレを繰り返す様子から、すぐに気づいたわたしたちは、迷わず病院へ。
数日の通院を経ても改善せず、最終的に手術となった。

手術後、バロは元気に走り回り、力強く鳴いていたが、数日後には急に食欲を失った。大好きなちゅーるさえ食べない。

フカの最期を思い出し、胸が痛くなる。




診察が終わった。
バロが食事を拒否したこと、何度も吐くようになったことが不安で受診した。

この章で書いたもの以来、二度目の健康診断。
「異常なし」との結果を聞いたときは、ようやく肩の力が抜けた。

ストレスか、あるいはほんの些細な不調だったのか──。


ペットロスについて調べていたとき、同居していたペットが亡くなると、遺されたペットのほうにも変化があったというケースが見られた。

バロの場合もそうだったのだろうか。

シニア猫とはいえ、膀胱炎以外はずっとすこぶる健康だった。
ここまで連続して体調を崩すというようなことはなかったのだ。


いまの家に引っ越してから、2匹はそれぞれ気に入った場所を見つけていたので、寄り添っていることは少なかった。

フカのエンゼルケアをしてくれていた先生に「2匹は仲が良かったんですか」と聞かれたときも、夫とわたしは首をひねっていた。

「悪くはないけど……」


けれども写真を整理していたら、2匹がぴったりくっついて眠る写真が何枚も何枚も出てきた。


バロは、死を理解していないと思う。

けれども、わたしたち同様、消えてしまったフカのことで、ショックを受けているのかもしれない。


わたしたち夫婦は、消えてしまう順番は、バロが先なのだろうと予想していた。
バロのほうが2歳歳上だったし、何度も病院にかかっていたからだ。

その場合、遺されたフカは悲しむかもしれないけれど、病んでしまうことはないと思っていた。
フカが執着しているのはわたしだったからだ。


けれども逆だったら、どうなるか想像できない、と思っていた。そしてその順番になってしまった。

寄り添っているたくさんの写真。近づくのはすべて、バロからだった。
バロはフカを見つけると毛づくろいしに走る。いっしょに遊びたくてちょっかいを出しては、手ひどくやり返されていた。

フカはまるで女王のようだった。

子猫のときは、じゃれついてくるバロの、自分より何倍も大きい身体を引き倒して、首を締めていた。バロは本気で逃げようとしてじたばたしているのだけれど、フカのほうが強く、ちょっと太めのおなかをゆらしてもがいていた。

バロはフカに毛づくろいをするのが好きだ。フカからは、しない。
ペロペロと頭を舐められると、しばらくは気持ちよさそうに目を細めているのだけれど、だんだん飽きてくる。
しっぽがバタン、バタンと強く素早く動く。それでもバロがやめないと、気分を害し、バロの頭をバシッと叩いて飛び去る。


フカが亡くなったあとに立て続けに体調を崩したことをみると、バロはわたしよりも、もっと深い部分まで喪失感を覚えたのかもしれない。

そう思えてならなかった。


この通院のあと、バロがフードを食べはじめた。
やっと落ち着いた。──そう、思いたい。


▼最後までお読みいただき、ありがとうございました。

▼次回のおはなし

『不透明度30%の猫を重ねる』

フカが亡くなったあと、わたしの視界にはいつも”フカ”がいた。それは霊などではなくって、意識の残像みたいなもの──。少しずつ立ち直りつつあるわたしの元に、夫が突然の、そしてはじめての出張になったと告げられる。


▼最初から読む

※1、2話は、フカが生きていたときに書いたのですこしトーンが違います。


#創作大賞2025
#オールカテゴリ部門


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡

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