足もとの虹
松村早苗:麻衣子ちゃん、旦那と喧嘩しちゃったの。今か…
椅子にもたれて眠っていたが、スマホの振動で目を覚ました。
薄目で見たLINE通知にため息がこぼれる。
一気に覚醒した。
通知の中の途切れたメッセージの続きは、アプリを立ち上げなくてもわかっている。
『電話していい?』──だ。
麻衣子は、すっかり氷がとけて薄くなったアイスコーヒーを飲み干すと、LINEを開かずに仕事の続きに取りかかった。
息子が眠ったあとに、ようやく仕事に取りかかれた。
麻衣子の仕事はWebライター。ゴールデンウィークが近いから、いつもより早く納品してほしいと言われたのは昨夜の事だった。
夫が保育園や預かり保育はだめだというので、幼稚園に送ったあとの5時間ほどと、息子がねむったあとだけが麻衣子の仕事時間。
ようやく今日の目標本数を書き終えた麻衣子は大きく伸びをした。
途中、うとうとして机に突っ伏したりもしていたが、これでやっとねむれる。時計の針が午前2時を指していた。
ピコン。
LINEの通知音が鳴った。
松村早苗:よく考えたら寝てるよねごめんねまた明…
ひゅっと呼吸が浅くなる感じがあった。
最近、通知がくるたびにこういう気持ちになる。未読スルーをする後ろめたさ。
でも、もう疲れた。麻衣子はスマホを充電器につなぐと、崩れるように眠りに落ちた。
息子の幼稚園のママ友である沙苗は、同い年の女性だ。でも。
何度かこうして深夜にLINEが来たことがあった。
思い詰めた様子だったから電話に出たものの、舅に嫌味を言われたというはなしを、さめざめと泣きながら明け方まで繰り返された。
堰を切ったようにしゃべり続けるので口を挟めず、ようやく解放されたときには東の空が白んでいた。結局朝起きられず、息子を遅刻させてしまったことが、なんとなく尾を引いている。
とうの早苗は、パパが送り担当だったため家で寝ていたという。
なんだろう。同い年のはずなのに、まるで、高校生の多感な時期の少女と接しているような。
ふと、高校時代の親友のことを思い出した。
いつからか連絡が取れなくなってしまったので、そう思っているのは麻衣子だけかもしれない。
あの子は、多美は、焼きそばパンが好きな子だった。
麻衣子はいつも母の手作り弁当を持たされていたが、多美は焼きそばパンだけを3年間購買で買っていた。
色白で、肩上のボブカットで、笑うとえくぼができる多美は、男子に人気があった。その一方で、女子からのあたりはきつかった。
多美からは、よく悩みをメールや電話で相談された。
彼氏とのこと、友だちのこと、きらわれてるような気がする……とか。
深夜にかかってくる電話は特別で、麻衣子は自分が多美の支えになれていることがうれしかった。大人になったような高揚感さえ覚えていた。
いつでも惜しみなく伝えてきた。
『わたし、ずっと多美の味方だよ』
そんなふうに深夜の電話を歓迎していた時代もあったのだ。
でも、今の麻衣子には、友だち以外にも大事なものがある。
朝早く起きて、夫の弁当をつくり、息子を幼稚園まで連れていかなければいけない。
それに、自分でも大なり小なりの悩みにぶち当たりながら生きてきて、自分の機嫌を自分でとるようになった麻衣子からすると、早苗は同い年だと思えないくらい幼くて、気疲れしてしまうのだった。
アラームの音で意識が浮上した。
枕元に置いたはずのスマホをたぐりよせる。時間は6時半を指していて、慌てて飛び起きた。
弁当をつくるには時間が足りなかった。
ふと、昨夜思い出した多美のことが頭をよぎる。
焼きそばパン、つくってみよう。
冷凍庫から細切りにした豚肉と玉ねぎを出して炒めた。きゃべつもちぎって加える。それから具材を端に寄せ、自分の昼ごはん用に買ってあった焼きそばの蒸し麺を投入。
はじめはほぐさずに、少し焼き目をつけてから炒め合わせるのが好きだ。
鶏がらスープの素と、酒、オイスターソースを入れる。じゃあじゃあという小気味いい音とともに、ふわりと湯気と香ばしいにおいが立ち上がった。
混ぜ合わせるように手早く炒めていく。
マーガリンの入っていないパンを出してきた。黒糖ロールだけど……。まあいいか。
上のほうから切れ込みを入れてそっと開き、マヨネーズを塗る。できあがった焼きそばを挟んでいった。
一つずつラップで包んだ焼きそばパンを夫に持たせて、朝のいちばん忙しい時間を終えた。
寝室をのぞくと、息子はレースカーテンから差し込む光の中で、体をくっと丸めていた。ふとんをすべて蹴り飛ばしている。
そろそろ起こしたいけれど、5分後にアラームをセットしてふとんをかけ、髪の毛をなでた。
息子を園まで送ったあとは、YouTubeでポモドーロタイマー動画を流しながら仕事と家事に取りかかった。
テレビ画面の中では、自然音とタイマー映像が流れていて、25分動いたら5分休憩というサイクルを繰り返すものだ。
川のせせらぎを聴きながら、仕事に行き詰ったら家事、飽きたら仕事というように交互に作業をくり返していく。
押し入れを片づけていたら、ふと卒業アルバムやサイン帳が出てきた。
なつかしくって開いてみる。
『アサちゃんがいたから、あたしは生きてこれたの。多美』
多美は、丸っこい字でそう綴っていた。胸がぎゅっとする。
結婚することになったとき、多美に招待状を送りたくてメールした。でも、戻ってきてしまった。ショックだった。
──親友だと思っていたのに。
でも、たとえば携帯が水没したとか、ほかの可能性もあったはずだ。
そう思った麻衣子は、高校の同級生であるユミにLINEをしてみた。在学中はかかわりがなかったが、大学が同じで仲良くなったのだった。
顔が広いユミなら、繋いでくれるかもしれない。
お迎えはいつもより20分早く向かった。
LINEを無視してしまった手前、早苗に会うのがうしろめたかったのだ。家のことや仕事をしていたせいで、結局まだ返信できていない。
早苗の娘と息子を見つけてどきりとした。
けれども、手をつないでいるのはパパの方だった。
「リクちゃんママ、すみません」
早苗の夫に声をかけられた。神妙な顔に、LINEの未読スルーのことを責められるのかとどきどきしてしまった。
「……うちのヨメが、迷惑かけてませんか」
眼鏡の奥の瞳は真剣だった。
「え……?」
「5年くらい前から、人が変わったみたいに幼くなって。先生を通して苦情ももらってたんです。仲のいいおかあさんができると、夜中にしつこくご連絡してしまったりするようで」
顔が強ばった。
「ああ、やっぱり。すみません、……放っておいてもらって大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ない」
「そんな……。あの、きょう、沙苗さんは?」
「寝込んでます。たまにあるんですよ。……もう、お祓いとか行ったほうがいいのかな」
「え?」
「変な話してすみません。人が変わったって思ったきっかけがね。いわく付きの場所に行ったことなんです。ふつうに観光地だと思ってたんですけどね……」
「観光地で……?」
早苗の夫がうなずく。
「夕ヶ浦大橋って知ってますか。紅葉の名所の。あそこに行ったんですけどね、その日、橋が封鎖されて。ヘリもすごく飛んでて。下を見たら、……あったんですよ」
彼は周りを確認して声を潜めた。
「死体がね」
「え……」
「いや、本当にそうだったのかわからないんです。何しろ、橋はものすごい高さにあって。木々ですら小さく見えるんですから。人のように見えたってことと、その日飛び降りがあったらしいってこと。それだけで」
「飛び降り……」
「じつはね、封鎖される少し前に、沙苗が言ったんです。橋の欄干にね、靴があるって。強い風が吹いてすぐに落ちていったそうです」
夕ヶ浦大橋が心霊スポットだったなんて知らなかった。
あの場所はわたしにとって、思い出の場所なのだ。
足元の虹を、見たことがある。
夕ヶ浦大橋でのことだ。
あれは紅葉がうつくしい時期だった。
秋のうちに進路が決まった多美と麻衣子は ”プチ卒業旅行”をした。
駅前から観光バスに乗って、市外の夕ヶ浦大橋まで向かった。
橋の手前には遊歩道の入り口がある。整備された歩道だが、かなり傾斜がきついし、落石の可能性があるからとヘルメットを渡された。
一番下まで降りるのにはずいぶん時間がかかったのを覚えている。
でも、ふたりでいれば気にならなかった。
話題はいくらでもあった。クラスメートのこと、恋のこと。未来が目の前に無限に広がっているような、何でもできて無敵な感じのする時代だったと眩しく思ってしまう。
渓谷の下まで降りると、清冽な流れが目の前にあった。
見たことのない水色をしていた。浅葱色というのに近い気がする。
淡くて、でもグリーンがかった不思議な色だった。
流れが早く、散り始めた紅葉の赤い葉っぱがくるくると回転しながら流されていく。そこには水音と鳥の鳴き声しかない。
まるで人間のほうが異端者のような感覚だった。
あんなに静謐な世界で過ごしたことは、後にも先にも、あの一度きり。
麻衣子も多美も、無言だった。
でも、言葉がなくてもいい。ただ隣にいるだけですべてを分かち合えてしまいそうな、不思議な感覚があった。
多美が恐る恐る麻衣子の手をつかんだ。
麻衣子は笑ってにぎり返した。
きつい登りを経てなんとか橋に戻った。
ところが、急に雨が降ってきた。
空は晴れているのに、糸のような雨がさらさらと落ちてくる。二人はきゃあきゃあ言いながら走って、橋のそばの休憩小屋で雨宿りをした。
雨はすぐに止み、歩いて橋を渡ることにした。
「ここさ、深さが100m以上もあるんだって」
麻衣子が言った。
慎重派の麻衣子は、イレギュラーな行動をするときは徹底的に調べるタイプだった。
「走ったら12秒くらいかあ」
「私は14秒かかるけどね」
走るのが遅い麻衣子は顔をしかめた。
「跳んだらどれくらいで着くんだろう」
多美は神妙な顔で言った。
手すりに指をかけると、強い風が指の隙間を鳴らして通り過ぎた。
耳に届くのはうなるような風の音だけ。
「吸い込まれそう……」
今まさに感じていたことを、多美が口にした。顔色が青白い。
「高いところ、苦手なんだっけ」
「うん。でも……」
続く言葉はなかった。
綺麗。
欄干の向こうには、山が燃えていると錯覚するような、真っ赤な紅葉が広がっている。
傾斜が急で、V字に切れ込んでおり、谷底を流れる清冽な水の流れは、まるでつくりものみたいだ。
岩に当たって泡立った部分の白さが妙に目立っていた。
「あ」
多美の目がまんまるになった。
虹が、橋の下に回り込んでいる。
「虹って、本当に丸いんだね」
「うん……」
もう言葉はいらなかった。
あの日、多美と見た光景は奇跡みたいで。もうすぐ離れ離れになる寂しさを癒やしてくれたと、そう思っていた。
でも、多美にとっては違ったのかもしれない。
麻衣子は県外の大学に進んけれど、高校の同級生と付き合い、ふたりでふるさとに戻って結婚した。
大学時代は何度か多美と会っていた。もともと華奢な子だったけれど、心配になるくらい痩せていた。
麻衣子が言えるのはいつものあの言葉だけだった。
『わたし、ずっと多美の味方だよ』
ある日、多美は眉を吊り上げて言った。
「……じゃあ、なんであたしを置いていったの」
消えてしまいそうな声だった。
今でも聞き間違いだったのかと思っている。それから彼女に会えることはなく、結婚式の招待をした5年前から連絡も途絶えていた。
LINEの通知が鳴った。びくりと身体が硬くなったが、通知を見てほっとした。
Yumi.:いま、一瞬、電話いけるー?
こちらからかける。久しぶりと明るい声でユミは言った。けれども、続く言葉は重たいものだった。
多美は亡くなっていた──。
電話をしていたほんの少しの間に、LINEの通知が増えていた。
44件。背筋が凍った。
意を決して、未読メッセージを開く。
松村沙苗:なんでなんでなんで
松村沙苗:だれと電話してるの
松村沙苗:ずっと味方だよね? ねえ、アサちゃん
「なに、これ……」
最後のメッセージを見たとき、欠けていたパズルのピースがかちりと嵌まったような感覚があった。
沙苗がおかしくなったらしい時期も、多美と連絡が取れなくなったのも、そして彼女が橋から飛び降りたのも。
5年前の紅葉の時期だった。
深夜2時。
また、通知音が鳴った。
松村沙苗:谷底にはね、5秒で着いたよ。
(5,000字)
▼今週もヤスさんの企画に参加。お題は「サイン帳」「焼きそばパン」「深夜2時のLINE通知音」でした。
*あとがき*
わたしが書くとなんでこの系統になっちゃうんでしょうか……👻
( #なんのはなしですか )
ちなみにホラーを1週間投稿したら、
フォロワーさんが10人減りました。
わたしは好きで書いているけれど、
苦手なものを見せてしまっていたら申し訳なく……。
* * *
さて、今回の”夕ヶ浦大橋”にはモデルにした舞台設定があります。
地元、城ヶ倉大橋(青森県)です。
子どものころ、従兄弟家族と行った記憶があるんだけどすごくこわかった。高さも美しさも。
最近気がついたんですけど、わたし子どものころ、公園に連れて行ってもらったことあまりなくて。
親と出かけるときって、ほぼ山とか海だったんですよね。
山って綺麗だけど怖くて。
霊感とかないし、洒落怖は読み物として楽しんでいるんですが……。
子どものころに一度、すごく気持ち悪くなった場所があったんです。
その夜、家に帰ったらちょうど「日本の心霊スポット100」みたいなテレビが入ってて、まさにその場所が出てたから背筋が凍ったことがあります。
ちなみに前回の”首刈峠”は、今住んでる香川で”首斬峠”という地名を見かけたことからつくりました。
今回の話もそうだけど、橋のロケーションは参考にしつつ、降りた渓谷の方は親や夫と行ったいくつかを混ぜて思い出しながら書くなど、モデルにする場所はあってもまったく同じにはならないようにしてみています。
↓渓谷のイメージのひとつ。
「ニセドリ」は舞台設定をきちんと考えて、ホラー小説部門に臨もうと思います。
検索してたらAIによる概要でこんなワードが。
香川県は幽霊の多い都道府県として2位にランクインしています。
香川県は、幽霊率が102.2%で、和歌山県に次いで2位となっています。
幽霊率ってなんのはなしですか……?
ふつうに住んでて出会ったことはありません……
* * *
ヤスさん、今週もお題ありがとうございました。
どんどんアイディアが降りてきてめちゃくちゃたのしいです。
#木曜日は3ースデイ
#洒落にならないくらい怖い話
#洒落怖
#なんのはなしですか
#なんのはなしです怪
▼Talesわたしのページはこちら。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡