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神になった夫と、毒を飲み干すわたし

強制的に席替えされた17歳のその日、ずっと先の未来で、隣の席の陽キャといっしょに山奥にいるだなんて想像すらしていなかった。


* * * * *

ようやく来てくれた秋が、荷物をまとめてしまったある平日の昼下がり。
夫とわたしは、ふたりきりで山奥にいた。まわりには人ひとりいない。

出番が来たばかりのマウンテンパーカーは、冬の襲来を防いでくれなくって、わたしは身体を抱き込むようにして小刻みに震えていた。

美霞洞渓谷(香川県)にて



ふたりきりの過ごし方を、手探りで見つける

夫は、平日と土日のどちらかに、一日ずつ休みがある。

だから、子どもたちがふたりとも入園したあと ”ふたりきりの時間” が急に生まれた。

わたしたちは親に子どもを預けて出かけるみたいなこともできなかったので、それまでの六年間には一切存在しなかったその時間を、持て余した。
そうして、少しずつ手探りで積み重ねてきた。


持て余したのは性格が理由だ。
わたしたちは、なにもかもが真逆。

陰キャのわたし、陽キャの夫。
活字中毒のわたし、動画ばかり見ている夫。
やりたいことがありすぎるわたし、だらだら寝るのが好きな夫……。

夫婦は似るというけれど、見た目もぜんぜん違う。

ガチャピンみたいで小柄なわたしと、松山ケンイチさんを強面にしてガタイよくした感じだと言われる、やや長身な夫。
(痩せていた若い頃は映画版の”L”に似ていると何人にも言われたので、とりあえず松山ケンイチさん似と言ってよさそう)


はじめて話したのは、英語の授業中。
ノートをガリガリ取りまくるわたしと居眠りする夫を見たイギリス人の先生が「ふたりはいっしょにいるのがいい」と、席を替えて無理やりペアにしたことだったりする。
17歳のときのことだ。

まるで彦星と織姫のように遠く離れた立ち位置のわたしたちは、人生の半分近くをいっしょに過ごした今でもなお、少しずつ、天の川を進んでいる。
ときに速い流れに足を絡め取られながら、ゆっくり距離を縮めている。

#なんのはなしですか

そんなふうにして手探りで見つけたいっしょに楽しめることのひとつが、”映えスポット”に出かけることだった。( #どうかしているとしか


一年前の、夫の望み

「雲辺寺に行かん?」

一年前、夫が突然言い出した。
わたしは驚いて、運転中の夫の横顔に目をやった。すでに車の中だ。目的地は父母ヶ浜のはずだったのだけれど……?

雲辺寺は、香川と徳島の県境に位置する場所。
以前はスキー場があったけれど、いまは「天空のブランコ」がある映えスポットとして有名だ。


天空のブランコ

夫はそこで紅葉が見たいという。
エモいものになど興味がなくて、むしろ、紅葉に行きたい紫陽花が見たいと提案しては却下され続けていたわたしは、夫の変貌に驚いた。

夫はあまり「これがしたい」というようなことを言わないので、尊重したい気持ちはむくむくと湧いてくる。
けれども、物理的に不可能だったのだ。


その朝も、夫はいつものように何度揺り起こしてもおきなくて、時刻はすでにお昼前。14時までに子どもを迎えに行くことを考えると、雲辺寺に行けるとは思えなかった。

というのも、雲辺寺というのは、駐車場について終わりではないからだ。そこからロープウェーに乗らなければいけない。もし、ちょうどいい時間のロープウェーがなければ、かなり時間がかかることになる。

夫は何度か行き先を変更しようと粘っていたが、やがて諦めた。
わたしたちは父母ヶ浜に行き、おしゃれなカフェでガレットを食べたり、波打ち際を散歩したりした。

夫の写真は大量にあるけれど、
ここ十年ほどのわたしの写真はほぼない。

父母ヶ浜は、香川のウユニ塩湖とも言われていて、時間帯と撮り方によっては空と海が同化したような美しい写真を撮ることができる。
休日の夕方は何百人もの人が殺到する人気スポットだけれど、素敵な店がたくさんできたので明るいうちに行くのもたのしい。


父母ヶ浜に行きたいと言い出したのも夫だ。
その後、子どもたちといっしょに
夫は執念でうつくしい時間帯に間に合わせた。


なぜ映えスポット? と、疑問が湧いた。

夫はインスタどころか、LINEすらやっていない。
80代のわたしの父でもやっているLINEを、していないレアキャラだ。グループLINEがわずらわしいとアプリごと削除してしまったのだ。

わたしたち夫婦はショートメールでやりとりをしており、スタンプがなくて不便なので、猫写真をステッカーにしてスタンプ代わりに使っている。

だから、載せる場所もなければ、送る相手もおらず、写真も好きではないので(その割に上手いのが腹立たしい)撮るのは年に数回。
実際、映えスポットに行っても、写真を1、2枚、撮るか、まったく撮らないこともあった。

単に、年齢を重ねるにつれて、観光や自然に興味を持つようになったらしかった。



結局、わたしたちは雲辺寺行きを諦めた。
そのうちに紅葉の季節は終わってしまった。

だから、一年前のリベンジとばかりに紅葉を見に行くことを提案してみたのだった。

あいにく雲辺寺には冬に子どもたちを連れて出かけてしまったので、検索して見つけたのが「美霞洞渓谷(みかどけいこく)」という、やはり徳島と香川の県境付近に位置する場所だ。


山奥にふたりきりになって、考えたこと

早起きして子どもたちを送り出し、洗いものと洗濯を終えたころ、ようやく夫は起きて身じたくをはじめた。
間に合わないのではとひやひやしたり、ナビに山奥のくねくね道に誘導され、「警笛鳴らせ」の標識をはじめて見たりとトラブルは続いたものの、なんとかたどり着いた。

かなり山奥にあるけれど、道の駅の駐車場から、歩いて降りていけるので意外と便利な立地だ。道の駅には、レストラン、売店、温泉まで併設されていて楽しみにしていたのだけれど、その日は休みだった。

わたしたちは、カイロ代わりに自販機で暖かい缶入りほうじ茶を買って、渓谷へ向かって降りていった。


美霞洞渓谷への道はしっかり舗装されている。


残念ながら、葉っぱはほとんど散っていた。

わたしは重たいミラーレス一眼を抱えて、行ける限界までどんどん進んでいく。

水の透明度に感動。
水清ければ魚棲まずというけれど、
生き物はまったくいなかった。


ふと振り返ると、夫は、スマホゲームのイベント時間になったらしく、立ち止まってスマホに熱中していた。
こういうとき、わたしは夫を遠く感じる。

イベント中の夫。

人の手が入った渓谷だけれど、川と足場の間に柵はない。

川の水がほんの少しだけ外に滲み出して、足場の平たい岩に、ごくごく浅い水たまりをつくっていた。
わたしはショートブーツが濡れないように、つま先立ちで跳ぶようにそこを抜けて、さらに足を進める。

水たまりから溢れてきた水で
濡れた足場の様子。

紅葉の葉が散って、くるくる回りながら流されていく。

紅葉はほぼ終わっていたものの
これはこれで綺麗だった

橋の下を抜けて、少し悪くなってきた足元を気にしながら進む。


やがて、小さな滝のような流れにたどりついた。

その先は、すこし深いのか、翡翠色のにごりのある水で、底が見えない。
美霞洞渓谷のどの場所かはわからないけれど、大蛇が棲んでいたという伝説があり、深さがいまだにわかっていないと書かれていたのを思い出して、すこし、畏怖を覚えた。

夫の姿は、見えなくなっていた。

のちに調べた感じ、大蛇伝説はここではなく
記事冒頭の場所かも……?

足場はそこで途切れている。
さらに向こうも、上の道からなら行けるようだけれど、あいにくお迎えのタイムリミットを迎えていた。

ようやくイベントが終わったらしい夫が、水のたまった部分に嫌そうな顔をしながらこちらにゆっくり向かってくる。


ふと、以前ママ友に驚かれたことを思い出した。

「パパ平日休みなんだよね。休みのとき、何してるの?」
「うーん。カラオケとか映画とかですかね」

夫とわたしは、趣味もかなり違っている。
唯一重なるのがカラオケとアニメ映画を観ることだった。
ママ友は「え?」と目を見開いた。

「めちゃくちゃ仲いいんだね」

今度は逆に、わたしが驚いた。
夫とわたしは、よくお互いに怒っているので、娘に「けんかばっかり」とたしなめられていたのだ。

深刻なけんかをすることはほぼないけれど、些細なことでお互いによく怒っている。でも、よく考えたら、わたしは家族以外の人に怒ったことがないかもしれない。


神になった夫と、毒を飲み干すわたし


心が波立たないわけじゃない。
むしろ、人よりいろいろ気になりやすくて、いつでも心は忙しない。苦しいし、悲しい。

気弱そうに見えるからなのだろう、傷つくような言葉を投げかけられることの多い人生だった。

でも、それを外に出さずに、投げつけられた毒を静かに飲み下して、ひとりで蝕まれていくといった感じだった。

けれども夫といると、たいていのことは、口からぽんぽんと飛び出す。
もし毒を投げつけられたら、それを三倍くらいの大きさにして投げ返す。さらに三倍のものをぶつけられる。そういう感じだった。

毒を溜めずに吐き出している。
だからなのか、しばらくするとけんかしたのを忘れたようにどちらからともなく話しかける。けんかの途中でふいにアニメの話になったりすることもある。

だから、お腹の底に、鉛のように沈むものは少ない。

対して夫は、わたしに対しては正論やら毒を投げつけてくるけれど、他人にはすごくうまくやる。

毒を投げつけられたら、そのまま投げ返すのではない。
とにかく何百倍にも希釈して薄め、相手に寄り添い傷つけないように注力しながらも、うまく言い返す。
その匙加減が、絶妙にうまい。


この間、10年いっしょに暮らした猫が、死んでしまった。
手持ち無沙汰になるたびに、古い写真を見返すのがくせになった。(そしてたまに泣いてしまう。)
ある写真を見て、思い出したことがある。

20代前半のころだったと思う。夫とわたしは、都内の花火大会に足を運んだ。

そのとき夫は「神」と呼ばれた。
#なんのはなしですか

わたしたちは、自由観覧スペースというか、アスファルトにただそのまま座る場所で花火を眺めていた。

周りの人たちすべてが座っているのに、ただ一人だけ、立って写真を撮っている男性がいた。わたしが撮った花火の写真にも、すべてその人が映り込んでしまっていた。

まわりはかなりざわざわしていたと記憶をしている。後ろにいた女子高生たちが「まぢムカつく」「なんなん」とずっと騒いでいたけれど、花火の音にかき消されて、男性の耳には届いていないようだ。

わたしたちは、男性の真後ろに座っていた。
夫は、しゃがんだ体制のまま静かに彼に近づいて、男性になにかを伝えた。
隣にいたわたしにも聞こえないくらいの声量だった。

彼ははっと後ろを見渡して、慌ててしゃがみこんだ。恥をかかせず、神経を逆なでせずに、うまく伝えたのだと思う。

「神……」
「神がいる……」

真後ろから聞こえてきた声に、わたしはぎょっとした。

「お兄さんまぢ神すぎ」

二人はずっと夫を絶賛していた。


わたしたちを引き合わせた先生の言葉が、ふと蘇る。

凸凹だから、いっしょにするといい、ということ。なんだそれはと思ったし、話したことの無い、垢抜けて友だちも多いタイプの夫が、はじめは正直怖かった。

でも、わたしは夫になら毒を投げ返すことができるし、夫もわたしの前では神にならなくていいのかも。
そこには、もしかしたら、長年積み重ねてきた信頼みたいなものがあるのかもしれない。

※これを書いているときも、書斎まで来て子どもの身支度が終わらなくて焦ってイライラしていたことを怒られていて中断し、全然進まなかった…… しかも途中から急に血液型の話をされてお互いになんのはなしかすこんと忘れてしまったのだった。そんなわけで、誤字脱字が多く、気づいたら加筆修正しています…

夫はやりたいことが少ないけれど、もし数少ない望みがあるなら、なるべく叶えてあげられるように全力でサポートしている。

逆にわたしが毒を投げつけられたとき、そしてそれが、あまりにもひどいときは、夫が前に出てくれる。


だからこそ、こんなにも毎日のようにけんかをするのに、一緒にいるのがしっくりくるのかもしれない。


〈巻末付録〉 夫婦の通信簿

最後に、昔、ブログで書いて評判がよかった「夫婦の通信簿」について紹介したいと思う。
ブログでは、書き込み式シートが喜ばれたけれど、noterさんはたぶん、文章で書くほうが好きなのではと思い、質問形式で用意してみた。

毎年この日に、質問に答えてみるのはどうだろうと思っていて。
10個の質問があるけれど、書きたいものを、書きたい分だけどうぞ。


"いい夫婦の日”に振り返りたい夫婦の通信簿

1.楽しかったことは?

2.嬉しかったことは?

3.悲しかったことは?

4.腹が立ったことは?

5.どんなことで喧嘩をした?

6.言い過ぎたと思うことは?

7.してもらったことは?

8.してあげたことは?

9.報連相はお互いにできていた?

10.この1年を5段階で表すと?


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡