日本の美大卒デザイナーが面食らった、海外デザインスクールでの学び方②|スロベニア日記 #12
こんにちは!スロベニア、リュブリャナ大学のインダストリアルデザインの修士課程に通っているりんです。
今回も前回に引き続き、海外のデザインスクールで学んでみて、日本の美大と全然違っていて衝撃だったことについて、そして最後にまとめを。
前回の記事はこちら。まだ読んでない方はこちらから読んでいただくといいと思います。
以下の但し書きは前の記事にもあるのですが、念のためもう一度載せます。
日本の美大、海外デザインスクール、というと主語がデカめなので、正確には、いま通っているリュブリャナ大学のアート・デザインアカデミー(以下、略称ALUO)+ 交換留学で1年間かよっていたエストニア芸術アカデミー(以下、EKA)と、私が2018年に学部を卒業した日本の金沢美術工芸大学(以下、金美。カナビと読みます)におけるデザイン学生の学び方の違いについて、とします。
金美については、私が金沢で学んでいたときからCOVID-19も挟み時代も変わったし、卒業後に学科の編成が変わったり、校舎が移転しリニューアルされたりもしたので、当時からかなり変わっている部分もあるはず。あくまで私が通っていた当時を比較の対象にできれば。
地方の小さな公立美大をとって日本の美大というのは一般化しすぎかもしれませんが、それなりに歴史もあってまともな教授陣がいて、優秀なクリエイターも輩出し続けているのでそんなに見当違いな比較対象ではないと思ってます。
また、私は日本で大学院に行ってもいなければ、ヨーロッパで学部を出てもないです。そのため、これからあげる違いは国が違うことによるものじゃなくて、もしかしたら学部と大学院の違いから来るものの可能性もあるかもしれません。
前置きここまで!
2. システムにまつわること
他大学に交換留学できる
まずは、夢のような制度の紹介から。
ヨーロッパには、Erasmus+(エラスムスプラス)というEUが運営している留学プログラム+奨学金制度がある。制度の目的としては、学びの越境、学生の交流、「ヨーロッパ」としての一体感、アイデンティティの育成を促進していくことが掲げられている。

どんなシステムかというと、ヨーロッパ内の他の国の大学に1~2学期の間、交換留学で行くことができ、その期間の単位は自分の大学の単位に交換できてしまうという大サービスの制度。しかも、往復の旅費の補助と1ヶ月あたり600-700€(今の為替だと10万~12万円くらい。行く国の物価によって若干幅がある)× 1学期分(約5ヶ月)の奨学金までついてくるのだ・・・!私がスロベニアのALUOから更にエストニアのEKAに留学に行けたのもこのプログラムのおかげだ。
これはデザイン系の大学だけの枠組みではなく、どの専攻の学生でも使える制度で、留学のみならずインターンなどで他の国の企業に行きたい場合にも使える。交換先の大学では、もとの大学で行っているコースと内容が同じ/近いコースに行く必要がある(だから単位が交換できる)。たしか、ALUOから配られた交換留学先の選択肢のリストには60校近い大学が選択肢にあったと思う。
ポートフォリオとモチベーションレターを提出し、自分の大学内での審査と受け入れ先の審査に通れば、晴れて希望の大学に留学に行くことができる。
いやいや、そもそも日本だったら、国内でさえ在学中に大学間を行き来することも単位交換することもできない一方で(あるのかもしれないけどエラスムス並に国家レベルで浸透はしてないだろう)、国をまたいで他の大学に行けて、単位を交換できてその上生活費までもらえるなんて、さすがにすごいシステムすぎやしないか???
しかも1大学と1大学同士の協定とかでもなく、EU圏内27カ国にトルコなど近隣7ヵ国を含めた全34カ国の大学全体でそれを実装しているという徹底ぶり。最初に仕組みを思い描いて構築し、運営し続けている人たちには頭が上がらない。

私自身、エラスムスの制度のおかげで行けたEKAでの1年間の学びは修士全体の学びのなかでとてもいい収穫だったし、ホームの大学であるALUO以外の大学の雰囲気を知れたのもよかった。EKAで出会った、同じくエラスムス制度でいろんな国から来ている友人たちとはかなり仲良くなり、交換留学が終わった今でも連絡を取り合っている。

ソーシャルイノベーションの大家、エツィオ・マンズィーニ先生の講演会に参加できて質問までできたのも、私がEKAにいる間に彼がエストニアに来たからだ。毎年来てるわけでもなく、エストニアは初めてか2回目とかって言ってたから、私のために来たようなものだ。
1987年に開始されたこの制度、すでに35年以上の歴史があるので、かなり年上の人でも「昔エラスムスで〇〇行ってたよ〜」みたいな話を聞くことがある。人によっては、エラスムスの留学先で出会った人と結婚したり、その国に移住することにしたり、学部生だったらその大学の修士課程に進学することにしたりなども聞くので、目的通りEU圏内の人の流動性や一体感の向上に寄与していることは間違いないだろう。EUはエラスムス+に対して、2024年では43億€(約7,400億円)の予算を割いており、1,600万人以上がこの制度を利用している。

調べたところ、日本の大学も一部の大学はこのエラスムス+のプログラムに参加していた。大学生の人は調べてみたら自分の大学からもこの制度で行ける大学があるかも。
卒業延ばしがち
修士の授業は2年のカリキュラムが組まれているが、EKAやALUOでは基本的に2年で卒業する人は少数派で、1年のアディショナルイヤーを取る人が多い。なぜなら、学生のなかにはすでに働いていたり、子育てしながら来ている人も多いし、そういう事情がなくても学外のプロジェクトで忙しかったりすると、授業の単位は取り終えていても、修論に十分に時間を割けなかったりするから。そのため、プラス1年かけて修論を仕上げたり、修論書きつつインターンに行ってる人もいる。
なんてったってEU圏出身の学生は基本的には大学の学費を払う必要がなく(22%の消費税もこういうところに使われていると思えば納得せざるをえない・・・)、国をあげた新卒一括採用の制度もないので、1年卒業を伸ばしたところで、日本における「留年」がイメージさせるようなマイナスを被ることはない。このあたりが追加の1年を取る心理に貢献してるんじゃないかなと思う。実際は、働いてても子育てしてても一時的に負荷をかけて馬力を出せば2年で修論まで終えることは可能だとは思うけど、それよりはゆとりを持ちながらほどほどの負荷で取り組むことを好む、という地域性もある。

かくいう私も、働きながら学生をやっているのもあり、もう少しじっくり修論に取り組みたかったし、ありがたいことに追加の1年に対しては非EU圏出身の学生でも学費を払わなくていいので(いいんですか???)1年卒業を延ばすることにした。
教授の女性比率が高い
ALUOは学部長とコース長が女性だし、EKAでは学長も女性だった。調べてみたら、ALUOの母体であるリュブリャナ大学の教員、研究職の男女比はほぼ半々だった。

どこかの組織や企業が5か年計画の目標値に設定するだけしてるような割合って、本当に実現できちゃうのか・・・としみじみと仰天してしまった。
私がEKAにいる間にはちょうど学長の選挙があって、学長選挙前には候補2人のディベートが講堂で開かれていた。観客は満席。

後日そのグラレコがエントランスに掲示されていたのも印象的。これならGoogle翻訳で読めるのでありがたい。

3. 学生生活にまつわること
先輩後輩の概念がない
これもかなりシュワっと爽やかな新体験だったのだが、ヨーロッパでは日本のように文化的に染み付いた学年の上下による先輩・後輩の関係はまるでなくてとてもフラット。でも、日本のアニメやマンガにその概念が度々出てくるので、今や「センパイ」「コウハイ」は海外でも通じるようになってきている。

同級生もお互い何歳かよく知らないこともよくある。人種もバラバラだと何歳か推測もつきにくい。知ったところでそれはおそらく、日本で星座を知った程度の情報量で、コミュニケーションに大して影響はしない。
例えば、学内のイベントでいろんな学年の人が集まるとき。日本だと異なる学年の人が入り交じる場では、先輩は先輩仕草を、後輩は後輩仕草をしようとする心理が無意識に働いて会話が進んだり、準備のタスクが分かれていったりすると思うけど、そういうのが一切ない。学部生も院生も、1年も3年も普通に同じ友達って感じ。これは本当にこの文化圏にいることでしか体験できないな〜と思う。制度として導入できるようなものではない。日本で育った人同士で同じようにしろって言われたら全員が全員気持ち悪いだろう。
文化が先か言語が先かはニワトリタマゴの話ではあるけど、ヨーロッパで使われている言語に敬語というジャンルがないのもこの文化に強く関係していると思う。英語でもエストニア語でもスロベニア語でも、教授などに使う「丁寧な言い方」みたいなものはあるにしろ、日本のように明確な敬語とタメ口の区別はない。日本ではさらに敬語が丁寧語・尊敬語・謙譲語に分かれていると彼らが知ったらたまげるだろう。
言語は、話し手たちの必要に応じて変化・発達していくものだと考えると、いかに英語などでは上下関係が意識されていないかが伺い知れる。
4. 比較を通して考えたこと
ここまで、海外デザインスクールでびっくりしたことを日本の美大と比較しつつ書いてきた。大学のカリキュラムはそれぞれの目的があって設計されているので、どちらのスタイルが絶対的に良いとか悪いとかはない。(でも、EU内の国をまたいで留学できるエラスムス+の仕組みはないよりあったほうがめっちゃいいと思うので国内でも参考にしてほしい)
学部時代にもあったら良かったなと思うもの
ただそれでも、個人的に衝撃を受けて、日本の学部時代でもこういう学びができたらよかったのにな〜と思うのは、前の記事で書いた、論文や本を読んだりディスカッションする授業。
前回のnoteでは、それがいかに私にとって慣れないものであったかにフォーカスして書いてしまったが、どんな内容を扱っていたかが本質的には重要なのでもう少し補足したい。内容をぎゅっとすると、社会の問題と識者の意見に触れながら、デザイン倫理や責任、デザイナーの役割、デザイン教育、デザインの未来について考えていくというものだった。
友人の一人は「あの授業で、デザインがいかに広いものを対象にできるかを知った」と言っていた。別の友人は「あの授業は、もっともcoolな授業のうちの一つ」とも。加えて、こういう授業を教養科目の先生がやっているわけじゃなくて普通にデザインや写真のバックグラウンドを持つ先生が教えているのもいい。
金美の学び
もちろん、頭だけで考えて文章での表現ばかりに偏っていくのがいいとは思わない。私は、美大受験予備校で練習したデッサンや、金美の「手で考えて、心でつくる」を理念に据えた演習中心のカリキュラムから実にたくさんのことを学んだ。そのほぼ全ては、やってみることでしか体得できないものだっただろう。「わかる」と「できる」と「高いクオリティでできる」は残酷なまでに全く違う。

クリエイティブがいかにおびただしい数のきめ細やかな発散と収束の繰り返しで、一生かけても修めることなど到底できない、けれどもそれが楽しくて向き合い甲斐のある営みであることを私の骨の髄まで4年かけて染み込ませて教えてくれたことは疑いようがない。

また、唯一の正解はないが、だからといってなんでもいいわけでもない、ということも知った。これはまじで感謝してる🫶🏻

スキルの鍛錬と人としての成長
ただやっぱり、かなり制作課題の比重が高くてスケジュールがみちみちすぎたので、もうちょっと社会的なトピックについて、批判的な眼差しを持ちながら考えて話す機会が授業のなかであったら、より人間性の滋味を育めたんじゃないかなと思う。(もしかしたら、今のカリキュラムにはこういう視点が取り入れられてるかも)
素晴らしい建築を見に行ってその仕上げや細部の納まりに圧倒されたり、展示に足繁く通って美しい表現をたくさん観ることで品質を知り、自分らしいテイストが少しずつ出来上がっていくように、たくさんの本や意見に触れることで見方は獲得でき、考え方の指針も少しずつ醸されていく。
やりすぎると頭でっかちになりかねないけど、でも、そうならない程度に、日本の美大芸大でも「大きなテーマについてデザインと絡めて考える」と「それを言葉で表現する」力を育むチャンスはもっとあっていい。
そう思う理由はいくつかある。
社会に出たらかなりの会議は現時点では言語がメインのコミュニケーションツール。そのなかでビジュアライズ以外の伝達方法でも考えを伝え、イニシアチブをとったり、議論を促進する必要がある
企業に入ったら良くも悪くも慣習が多く、それに従うほうが楽だったりもする。自分なりの哲学や意見を持つ練習をしてないと真っ当なデザイナー、人間で居続けられない。あと働き始めると大きなテーマに面と向かって思い巡らす時間と心の余裕も作りづらい。たとえ時間があってもお金も得ているのでどっか行ったり遊んだりできちゃう
独立して事務所を構えてやっていくにしても、豊かな土台に根ざした提案ができるようになるのではないかと思う。そういうところにいいクライアント、いい案件が来るはず
もっとあるかもしれない。
その先にあるもの
レイモンド・ローウィが言った、「デザインはデザイナーだけに任せるには重要すぎる」という言葉がリアリティを増し、デザイナーの役割が社会においてどんどん重要になってきている現代。デザインのアプローチが必要だと思われる領域が増えてきたことに伴い、賢い一般の大学にデザイン学科が爆誕し続けている昨今。
そんななかでゴリゴリに作ることを美大芸大やそれに近い場で学んだデザイナーがそのポテンシャルを発揮して、もっと社会の根っこのデザインから関わっていけるようになってほしい(関わっていくことに興味を持つようになってほしい)、と出身者としては願う。そんなとき、「大きなテーマについてデザインと絡めて考える」「それを言葉で表現する」といった力はより大事になってくるんじゃないだろうか。
そして、使う人の視点や、プロトタイピング、つくることの責任と覚悟を腹落ちして知っているデザイナーが、あらゆる活動の上流や仕組みの設計から関わっていくようになれば、少しずつでも、より包容力があり無理なく続く社会になっていくのではないだろうか。
日欧の学び方の違いについて考えていたら、こんなことに思い至った。
まあずっと、誰がどこからものを言ってるんって感じではあるんですけど、落ち葉や野菜の皮から堆肥ができるように、私の行き場のない気づきが誰かの考え事の材料になったら嬉しいです。
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ID 👉️ rin_togo
カバー写真:エストニアでとってた授業で一緒だったTõnis Bender!
記事内の写真:スクショと特記がないものは筆者撮影
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