小暑、恋の橋を思う|私の二十四節気
今日は、小暑。
二十四節気では、夏至の次にやってくる季節です。
二十四節気とは、一年を二十四に分けて、季節の移ろいを表したもの。
昔の人たちは、太陽の動きや空気の変化を見つめながら、春夏秋冬をさらに細やかに感じ取っていたのですね。
小暑は、文字通り「小さな暑さ」と書きます。
けれど、ここから暑さは本格的になっていく。
梅雨の湿り気をまだ少し残しながら、
空の向こうでは、夏がぐっと身を乗り出している。
そんな季節の入口です。
そして今日は、七夕でもあります。
織姫と彦星は、今年も会えたでしょうか。
七夕の夜、天の川に橋をかける鳥。
それは「鵲」と書いて、かささぎ。
鵲の橋。
なんて美しい言葉でしょう。
鳥たちが翼を並べて、空に橋をかける。
その橋を渡って、一年に一度だけ、会いたい人のもとへ行く。
たったそれだけの物語なのに、
どうしてこんなにも胸がきゅっとするのでしょう。
現代では、鵲といえばカラスの仲間であるカササギを指すことが多いそうです。
けれど、昔の「かささぎ」は、今でいう青鷺を指していたという説もあるのだとか。
言葉って、不思議です。
同じ名前で呼ばれていても、
時代が変われば、そこに立っている鳥の姿も変わる。
私はその説を知ってから、七夕の橋が少し違って見えるようになりました。
水辺にすっと立つ青鷺。
細い脚で静かに佇んでいるのに、翼を広げると驚くほど大きい鳥。
青鷺は、日本にいる鷺の中でも一番大きいそうです。
もしも青鷺たちが天の川に集まって、
一羽、また一羽と翼を広げていったなら。
それはきっと、とても立派な橋になるでしょう。
灰青色の羽が夜空に重なり、
星の川の上に、やわらかな道をつくる。
鵲の橋。
あるいは、青鷺の橋。
昔の言葉の向こうに、大きな翼を広げた鳥たちの姿を思うと、
私にはそれが、恋の橋に見えました。
会いたい気持ちだけでは、渡れない夜がある。
どれほど願っても、
自分ひとりの力では届かない場所がある。
だからこそ、橋が必要なのかもしれません。
誰かの翼。
誰かの祈り。
誰かがそっと差し出してくれた言葉。
私たちの日々にも、そういう橋がある気がします。
遠くにいる人を思い出すとき。
うまく言えなかった気持ちを、もう一度言葉にしてみるとき。
会えない時間のなかで、それでも大切に思う心を手放さないとき。
目には見えなくても、そこには小さな橋がかかっている。
小暑の空は、もう夏の顔をしています。
暑さはこれから増していく。
日差しも、湿度も、体にこたえる季節になります。
それでも七夕の夜だけは、少し立ち止まって、
空の上の橋を思いたい。
鵲たちは、今夜も翼を広げているでしょうか。
青鷺たちは、星の川にそっと道をかけているでしょうか。
織姫と彦星は、無事に会えたでしょうか。
私もまた、
会いたい人へ。
届けたい言葉へ。
まだ見ぬ明日へ。
小さな橋を、ひとつずつかけていきたいです。
喜木 拝
久しぶりに参加できて、嬉しいです。
はしさん、よろしくお願いいたします。
いいなと思ったら応援しよう!
サポート頂けると飛んで喜びます!
本を買う代金に充てさせて頂きますね〜
感謝の気持ちいっぱいです!!