その本は、たぶん家にあります
ついに、夫に怒られた。
「本、片づけて」
正確にいえば、これまでにも何度か言われている。
しかし今回は、私にもわかった。
これはお願いではない。
片づけなさい、である。
わが家には、本棚がある。
本棚があるのだから、本は本棚に収めればいい。
とても簡単な話だ。
私は司書である。
図書館では、決められた場所に本を並べている。
分類記号を確認し、著者を見て、同じ番号の本が並ぶ棚へ戻す。
背表紙が少しでも前後していれば整えるし、違う場所に紛れ込んでいる本があれば、正しい住所へ連れて帰る。
本を並べる仕事については、素人ではない。
それなのに。
自宅では、本が所在不明になる。
「このあいだ読んでいた本、どこに置いたっけ」
本棚を見る。
ない。
机の上を見る。
ない。
鞄の中を見る。
ない。
枕元を見る。
ない。
正確には、枕元には本がある。
机の上にもある。
鞄の中にも二冊ほど入っている。
ただし、探している本ではない。
探している本以外の本なら、たくさん見つかる。
これは蔵書検索でいえば、検索結果が多すぎて、目的の資料にたどり着けない状態である。
わが家にもOPACがほしい。
書名を入力すれば、
「寝室・布団横」
「リビング・机の下」
「外出用鞄・内ポケット」
などと、現在地を表示してほしい。
ところが、家庭内の本にはバーコードがついていない。
貸出処理もされていない。
誰が、いつ、どこへ移動させたのか。
記録は一切残っていない。
最終利用者は、たぶん私である。
夫が言う。
「読んだら戻せばいいんじゃない?」
もっともである。
あまりにも、もっともである。
図書館でも、すべての本が好きな場所に置かれていたら困る。
料理の本が哲学の棚にあり、小説が旅行案内の棚にあり、絵本がチラシの下に挟まっていたら、利用者さんは本を探せない。
私だって困る。
しかし、自宅に帰ると、なぜか分類という概念が薄れる。
読みかけの本。
これから読む本。
もう一度読みたい本。
記事を書くときに使う本。
表紙を眺めていたい本。
近いうちに読むつもりの本。
近いうちがいつなのかは決まっていない本。
それぞれに理由があり、それぞれが手の届く場所にいてほしい。
そうして、本は本棚から旅立っていく。
帰る予定は、たぶんある。
ただ、帰宅日は未定である。
とはいえ、ついに夫から正式な片づけ命令が出た。
司書なのに、これでよいわけはない。
私は決意した。
まず、本棚を整理しよう。
どの棚に何を置くか決め、読みかけの本にも仮の住所を与えよう。
机の上の本を一冊ずつ手に取る。
これは、あとで読みたい。
これは、記事を書くときに使いたい。
これは、返却期限が近い。
これは、なぜここにあるのかわからない。
そして、一冊の本を見つけた。
先ほどまで探していた本である。
こんなところにあったのか。
私は嬉しくなって、その場でページを開いた。
数分後、夫が部屋をのぞいた。
「片づけてる?」
私は本を持ったまま答えた。
「いま、必要な本かどうか確認してるところ」
夫は何も言わず、部屋を出ていった。
その本は、たぶん家にあります。
どこにあるかは、わかりません。
喜木 拝
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