赤い実、初めての嘘、そして秘密
「パチン。そのとき、6年生の綾子の胸の中で、何かがはじけた。」
国語の教科書に載っていた『赤い実はじけた』という物語。
主人公の女の子が、幼なじみの男の子を見たある瞬間に、胸の中で何かがはじけるような感覚を覚えるお話です。
先生はそれを「恋」だと説明していました。
ですが、小学生の私はピンときませんでした。
そんな気持ちになったことは、一度もなかったからです。
「ねえ、好きな人いる?」
小学校高学年になると、その質問をされることが増えました。
周りは恋愛の話で盛り上がり、それが当たり前のような雰囲気でした。
でも、私にはまるで別の世界の出来事のように感じられました。
「好きな男の子? そんなの考えたこともない」
それが私の正直な気持ちでした。
ある日、仲の良かったひとりの友人に「好きな人、誰?」と聞かれ、「いない」と即答した私。
すると、友人は不思議そうな顔をして言いました。
「え、ありえないでしょ! みんな誰かしら好きな人がいるよ。」
まるで、「好きな人がいないなんて、おかしい」と言われているようでした。
クラスのほとんどの子が、誰かの名前を挙げていたからです。
「誰にも言わないから、教えてよ!」
そう言われた瞬間、逃げ場がなくなったように感じました。
本当はいないのに、「いない」と言い続けることが、なぜか難しくなってしまいました。
「じゃあ……なおくん」
とっさに、同じマンションに住む幼なじみの名前を口にしました。
それは、まるで口から泡のように出てきた、軽はずみな言葉でした。
これが、私が初めてついた嘘でした。
「え! なおくん?!」
友人は目を輝かせ、秘密を共有できた喜びを隠そうともしません。
「絶対誰にも言わないから!」
それからしばらくして。
廊下は、昼休みのざわめきが嘘のように静まり返っていました。
私は、突然呼び止められました。
「私がなおくんの彼女だから、ゆずってあげる」
目の前には、いつもリボンをきっちり結んでいる、クラスでも目立つ女の子がいました。
彼女はまっすぐに私を見つめていました。
「えっ……」
頭の中が真っ白になりました。
なおくんに彼女がいるなんて、本人から聞いたことがありませんでした。
それに、ほとんど毎日私の家で一緒にゲームをしていたのに。
「えっと……ありがとう?」
そう言うしかありませんでした。
でも、それってどういうことなのでしょうか。
恋は、誰かから何かをゆずり受けるものなのでしょうか?
なんだか、不思議な気持ちになりました。
その日の帰り道。
私はマンションのエントランスで、なおくんとばったり会いました。
気まずくなって、そそくさと自分の家のドアを開けようとしました。
「なあ、なんかさ、オレ、誰かにゆずられたらしいんだけど?」
なおくんはケラケラ笑いながら言いました。
「へぇ、よかったね!」
私もなんだかおかしくなって、一緒に笑いました。
まるで、最初から何もなかったみたいに。
ですが、ひとつだけ、胸の奥にひっかかるものがありました。
「誰にも言わない」と約束したはずの友人が、すぐに秘密を広めてしまったこと。
大げさかもしれませんが、友人に初めて裏切られた気がしました。
胸の中で、何かが小さくはじけた気もします。
まるで炭酸の泡が弾けるような、ほんの少しの痛みと、裏切られたような寂しさが混ざった、複雑な感情でした。
そして、ほんの少しだけ、不安になりました。
私は、一生「恋」というものを経験できないのではないかと。
のんびり、ぼんやり過ごしていた私の、小さな苦い思い出です。
恋は「落ちる」ものだと知ったのは、もっとずっとあとになってから。
でも、それはまた別のお話です。
あなたには、初めてついた嘘の記憶がありますか?
よかったら、おしえてください。
喜木 拝
*黒木郁さんの記事で知った地中海性気候さんの企画に参加させていただきました。
じわっとあたたかくなる、素敵な思い出でした!
みなさんのドラマ、私も気になります。3月独特の瞬間の不思議をみなさんと分け合いたい気持ちに共感いたしました。
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