あれがさいごの添い寝だった
子どもの頃、「なぜか全く眠れない夜」がたびたびあった。
普段は二段ベットで兄と寝るのだけれど、目が冴えてしまうとどうにもこうにも寝つけなくなる。
1時間たち、2時間たち、さらに夜が更けて、両親が寝室に入る音がする。
私の脳は冷凍庫に入れられたようにカチカチで、自分ではもうどうしようもない。
私は思い立ってベッドを出る。兄に気づかれないように。
両親が寝ている和室の引き戸を、そっと開ける。
父に歓迎された記憶はほとんどない。寝ているか、あるいは、すこし苦い顔をするか。
一方で母はいつも、「眠れないの」とやさしく迎えてくれた。しょうがないねぇ、というふうに。
「おいで」
母は父に背を向けて「く」の字をつくる。
私はその中におさまり、「≪」のようなかたちになる。
母の布団は温かく、背中からやわらかにほどけていく。母の匂いにつつまれると、まるでそれまでが嘘のように、あっという間に眠ることができた。
◇
母がなくなるまでの、さいごの一か月間。
私は毎週末、東京から和歌山までを往復した。
20代の半ばだった。お金がなくて、毎回、いかに安く往復するか腐心していた。
その日は夜行バスで帰り、朝の病院に直行した。
よく眠れなかった。まぁ夜行バスなんてそんなもんだ。ぼんやりとしたまま病室の丸椅子に座っていると、母が急に、親の口調になって言った。
「ここで寝なさい」
さすがに私は断った。26歳の成人である。
末期がんの母が入院しているベッドに、ちょっと夜行バスで眠れなかったからといって横になるのはためらわれた。
それでも母はゆずらない。
「寝ていきなさいよ」
目の前にはベッドがあり、私はたしかに眠かった。ここで言葉を重ねるより寝てしまおう。眠気に白旗をあげるようにあっさりと翻意し、私はその白いシーツにすべり込んだ。
糊のきいた清潔すぎるシーツは、よそよそしかった。
部屋は水色のカーテンで仕切られた4人部屋。
母のベッドは右手側に窓があり、私はその窓側に招き入れられた。
背中に母の気配があった。
私はそして、あっという間に眠りに落ちた。
どれくらい経った頃だろう。自分と同年代の看護師が検温にきて、私は恥ずかしくなって飛び起きた。
「まだ寝ていなさい」
それを見た母が、ぴしゃりと言った。それはまるで外敵から子を守るような真剣さで。
思わず母の言うとおりにもう一度横になり、それでもやっぱりきまりが悪くて、ベッドを出た。
「もうすこし寝ていればいいのに」
靴をはいていると背中から、少しつまらなさそうな母の声が聞こえた。
◇
夜。
娘と息子を寝かしつけるために、一緒に布団に入る。
最初は公平になるよう仰向けになる。
両隣のふたりはすぐにウトウトしはじめる。
あっちに行ったりこっちに行ったり、壁を蹴ったり、母を蹴ったり。
それに合わせて私も動き、最後は娘と一緒に「≪」のかたちに落ち着く。
おしりのあたりを太ももで温めながら、眉間をゆっくり指先でなでると、娘はゆっくりと眠りに落ちる。
息子に背を向けるかたちになるが、心配はいらない。
息子は私の髪をさわりながら寝るのが好きだ。
後頭部が自分のほうにあるのをいいことに、さわりさわり、毛づくろいでもするように触る。
息子のそれを感じつつ、普段はちょっぴりクールな娘の後頭部に、思う存分頬ずりをする。
あまい匂いを堪能し、大福もちのようにやわらかなうすい皮膚をあじわう。
子育てをしていると、過去の記憶のふたがとぶ瞬間がある。
子どもの頃に経験し、だけど忘れていたことを、親になって似た経験することで鮮明に思い出す、ということが。
娘を抱きながら、あの夜の和室と、あの病院のやりとりを思い出し、そして私は唐突に理解する。
ああ。あの日、母はさいごにもう一度、私と添い寝がしたかったのだ。
いくつかの母の口調を、表情を思い出す。
そしていま、自分にぴったりとくっついて眠る娘への気持ちが重なって、その思いつきは確信にかわる。
私も同じ立場になれば、きっと同じことを娘に言うだろう。
自分が親になってみれば、26歳なんてまだまだ子どもだ。本人は大人になったつもりで、親からみると危なっかしい。まだまだ守ってやりたいと、思う気がする。
添い寝をしながら、母は、一体なにを考えただろう。どんな顔をしていたのだろう。
あれがさいごの添い寝だった。
温かくて、不器用で、甘え下手な。
母という人、そのもののような添い寝だった。
地中海性気候さんの企画に参加させていただきました。
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