いいエッセイって、なんだろう。
「なんか分かる、それ」って思った瞬間に、スキを押している自分がいる。
noteでエッセイを書いて読むようになってから、何度こんな瞬間に出会っただろう。
誰かの文章のなかに、心の奥底に沈んでいた感情が、そっとすくいあげられるような感覚。
それはたしかに、共感だった。
けれど、あるとき、ふと立ち止まった。
「それって、ほんとうに“いいエッセイ”だったのかな?」
りんごさんの記事を読んだからかもしれない。
書く部で、話題になっていたので、私も考えさせられた。
共感の文章は、読みやすくて、心地いい。
だけど、読み終わったあと、ふわっと消えてしまうものもある。
まるで、ぬるめの紅茶のように。温かいけれど、すぐに飲み干せて、忘れてしまう。
その一方で、納得を与えてくれる文章には、どこか「残る感じ」がある。
「そういう考え方もあるのか」と、頭のどこかに引っかかって、
数日後、洗い物をしているときや、電車のなかで、ふいに思い出されるような。
そんな文章に出会ったとき、私は少し背筋を伸ばして、読み返したくなる。
でも、それでもやっぱり私は、
「うんうん、わかるよ」って言ってもらえる文章が好きだし、
「それって、もしかして私のことですか?」なんて言われると、
ちょっと照れくさくて、でも、すごくうれしい。
じゃあ、私は“いいエッセイ”を書いているんだろうか。
“共感”と“納得”、そのあいだを行ったり来たりしながら、
今日もまた、エッセイを書く。
「いいエッセイ」とは、「忘れられないエッセイ」なのかもしれない。
読んだその日だけでなく、
数日後も、数ヶ月後も、ふとした拍子に思い出すような。
あの一行が、あの比喩が、心のどこかにひっかかって離れない。
共感でも、納得でも、反発でも、かまわない。
その人の中に“何か”を残すことができたのなら、
それはきっと、「いいエッセイ」なのだと、私は思っている。
先日読んだエッセイには、日常の風景を独特な言葉で切り取る、まるで詩のような表現が散りばめられていた。共感というよりは、その感性に心を奪われ、何度も読み返したくなった。また、あるエッセイでは、自身の失敗談を赤裸々に語りながらも、そこから得られた深い学びが綴られており、読後、自分の過去の経験と重ね合わせて深く考えさせられた。
「忘れられないエッセイ」とは、読んだ瞬間の感情だけでなく、その後もふとした瞬間に思い出される、心のどこかに長く留まるものなのだろう。それは、心を揺さぶるような鮮烈な言葉だったり、ハッとするような新しい視点だったり、普遍的なテーマを深く掘り下げた考察だったりするのかもしれない。
今日もまた、私は“忘れられない何か”を求めて、エッセイを書く。
「いいエッセイ」の形は一つではないけれど、読んだ人の心に、何かしらの種を蒔くことができる文章でありたいと願っている。
喜木 拝
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