自分を愛する方法をさがすこと

「帰りたくないなぁ」

小学生のわたしは学校の帰り道、そう思うことが多かった。

おばあちゃんが口をきいてくれないだろう、とゆううつだったからだ。

おばあちゃんは怒ると口をきいてくれない。

ごはんも、せんたくもしてくれる。でも口をきいてくれない。前の日にわたしがしたことが悪いってわかってる。でもすぐに謝りたくない。わたしにだって思うことがあるんだ。

でも時間がたつと、かなしくって、またお話がしたくって「ごめんなさい」と言う。言えないときはお手紙を書く。おばあちゃんは手紙を読んで、ときには泣きながら、わたしをだきしめる。

今ならわかる。おばあちゃんは大変だったのだ。とってもとっても大変で、怒ることもあったのだ。

もう子育てもとっくに終わったのに、母を亡くした3歳と1歳の孫がやってきて、育てないといけなくなったから。今のわたしよりも上の歳で、どんなに大変だっただろう。

そんな大変さもわからずに、わたしと弟は言うことを聞かなかったり、わがままだったり。
そりゃ、怒るときだってある。

おばあちゃんは普段とってもやさしい。
夜になると布団のなかで、わたしたちは「ギューッとして」といつもねだっていた。
おばあちゃんは順番に「ギューーーッ」と言いながらだきしめてくれた。あたたかい。その瞬間がだいすきだった。

30年ちかくたったあと、わたしはうつ病になった。
そのときは実家に住んでいた。心配をかけたくなくてうつ病のことはだまっていたけれど、結局知られてしまった。

参加するはずだった法事の日の朝、わたしはふとんから動けなくなった。

なんとか起き上がって「今日、むりかもしれない」と台所でおばあちゃんに言う。30歳もすぎているのに、わたしはボロボロと泣いていた。
おばあちゃんは、背中をさすりながらだきしめてくれた。


わたしにはこの愛されている記憶がある。たとえこの先ひとりぼっちになっても、悲しいことがあっても、この記憶は消えない。


わたしはメンタルを病んでから、はじめて自分と向き合った気がする。ずっと考えている。どうしたら調子を崩さずにいられるのか。わたしにできることは何なのか。

だいたいは「自分を大切にする」「ご自愛する」などという言葉に行き着く。このありきたりな、それっぽい言葉がどういうことなのか。いろんな本も読んで知ろうとしたけれど、なんだかピンとこない。


祖母からもらった愛をしっているはずなのに、わたしはいま自分を愛する方法をさがしている。


ふと、おばあちゃんにしてもらったことを思い出す。
ギューっとしてもらったことがうれしかったから、自分で腕をさすりながらだきしめてみる。セルフハグというらしい。

おばあちゃんの料理がおいしかったから、自分のためを想って、さとうじょうゆ味の卵焼きを作って食べる。

いつもわたしに笑ってくれたから、鏡のまえで自分で笑ってみる。

そうやって愛されたと思ったことを自分にしてみたりする。本に書いてあったことかもしれないけれど、自分に落とし込んでやってみるハードルは高い。

ご自愛をさがしていて、さいきん気づいたことがある。

ご自愛とは「自分のちいさなすきを見つけること」から始まるんじゃないかと思う。まず自分のすきを知ること。それから、うれしかったことを思い出す。ここちよかったことを自分にしてみる。そして、大切な人にもやってみる。

いい歳をして、こんなことのスタート地点にたっている。遅くって、できなくってはずかしい。

それでも、たとえおばあちゃんの歳になったときだとしても、自分にも大切な人にも愛をあげられる人でありたい。


おばあちゃんはもういないような感じだけど、90さい、まだまだ元気です。




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