これ書いて死にたくない─身削りエッセイのわたしの答え

これ描いて死ね。わたしの好きな漫画です。

主人公たちが漫画研究会を作り漫画を描くはなし。顧問である元漫画家の先生は研究会をつくる条件に「本気にならない。これ描いて死ねなどとはけっして思わないこと」と釘をさします。

先生は過去、まさに「これ描いてしね」と思いながら描きあげた作品で賞をとりデビューする。そのあとの経験から生徒たちに同じ思いをさせないための言葉だ。
(作品はめっちゃ明るい楽しい漫画です)


これを描いて死ぬとは究極の身を削ることだと思う。


先日身を削るエッセイについて投稿した。

わたしの中ではけっして問題提起!のようなつもりではなかった。

でもこれを読んでたくさんの方が、「いいエッセイとは」と考えて、記事を書いてくださった。たまたまその記事を書いたけど、生きるとは?人生とは?のようなでっかくて、人それぞれに答えがあるタイプの話のはずだ。

この記事を書いたのは、ほかならぬ創作大賞がきっかけだ。みんながいいエッセイを書きたくて、選ばれたくて臨んでいる。

わたしも昨年たくさん書いて、応募した。選考は通らなかった。通った方々の作品も読んだ。

そのとき思ったのは、あれ、重たくないな…ということ。身を削ったような作品はあまりない印象を受けた。もちろん作品を作ること自体がとても体力がいって、大変なことだけど、なんかちょっと、わたしが書いたものと毛色がちがうぞ?と思ったのだ。(そりゃレベルがちがいます、ってことは置いといて)

あたりまえなことに気づくんだけど、創作大賞は出版社の方やnoteの会社の方が思う「いいエッセイ」を選ぶ場なんだ。だから出版社の方が求める作品の情報も出るし、それを見て対策しているんだ。


な、なんか…場違いだったな…(汗)というか勉強不足だった!と思った。みなさんあたりまえにされていると思うんだけど、わたしはそのとき気づいたのだ。恥ずかしくて、今まで言ってなかった。

では!!!本題に入りたい。
場違い激おもエッセイ(わたしのやつ)はダメなエッセイなのか。選ばれなかったエッセイはいいエッセイじゃないのか。

それはちがう、と自分を含めておきながら言いたい。

出版社の方々には選ばれなかったけど、みなさんが「いいエッセイとは」と考えた答えが人それぞれちがうように、それは誰かにとっていいエッセイかもしれない。そして自分にとっていいエッセイ、よく書けたエッセイなのだ。だから応募するんじゃないのかな。

数ヶ月後、創作大賞の発表があってまたいろんな想いが出るだろう。
それでも、そのために書いた作品はあなたにとっていいエッセイなはずだ。


常々思っているのは、渾身の身削りエッセイは続かないと思っている。量産はできない。少なくともわたしは。

も、もしもですよ。渾身身削り激おもエッセイがすばらしかったので本を出しましょう!あと20本同じようなのを書いてください。と言われたら。

わたしは無理だ。

なにかで名を残したいときに、そこに魂をかけて作品を作り出す気持ちは必要なのかもしれない。


でも、わたしはずーーーっと創作がしたいのです。イラストも描きたい、文章も書きたい。できるだけ長く続けたい。

これを書いて死にたくないのです。

それくらいの覚悟といわれれば、そうですとしか言えない。
でも、いいエッセイを書きたい、なにか伝わるものが書きたい。わたしもいいのが書けた!って思うものが書きたい。
そんな気持ちはずっと、これからも、持ち続けます。


***

そんなことを思いました。
みなさんのアンサーnote(勝手に名付けた)にさらにアンサーを重ねてちょっとしつこかったですよね。すみません。

今回たくさんの方のいろんなお話を読めてとても楽しかったです。めちゃくちゃ勉強になったし、確かに確かに〜と頷きっぱなし。

誰かに届けたいという気持ちと、自分も大切にできる気持ち。

いいですよね(^^)

これからも書いて、考えて、1つでも多くのいいエッセイを書けたら。とても楽しく充実できる気がします。そんな日々をめざして。

ありがとうございました!


音羽しーなさんがマガジンにまとめてくださっています。こういうの、わたしは思いつきもしなかったからすごい。

これ忘れられた1ヶ月後にでも完成させようかと書いてたら、病院の待ち時間が長すぎてできちゃったのでもう投稿しました。

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夏山りんご いつもありがとうございます!