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#26 あくび混じりの片道切符が、自由切符に変わるまで

リハビリの途中で、相手の言葉がふっと遠のいた。

相手の顔はちゃんと見えているのに、声だけが海の底に沈むような感覚だった。

実際には、一瞬の寝落ちをしてしまっていたのだと思う。

それでも理学療法士としての責任感から、必死に目を開け、頑張って聞いて、診て、治療しているつもりだった。

けれど、どうしても埋められない数秒の空白が、私の意識の中にぽっかりと生まれてしまう。

私はうなずいていたが、相手の言葉は半分ほどしか聞こえていなかった。

その感覚は、最初はただの疲れだと思っていた。

けれど、疲れでは片づけられない眠気は、仕事以外でも牙をむいた。

楽しみにしていた休日に友人と遊んでいる最中や、一瞬の油断も許されない車の運転中。

普通なら眠るはずのない場面で、突然、意識だけが静かに沈んでいく。

仕事中も、移動中も、休日も、逃げ場はどこにもなかった。

私はそのたびに、自分の身体から少しずつ置いていかれるような気がした。

理学療法士として働いていた私は、単に身体の動かし方を教えるのではなく、患者さんの痛みや動きの制限に、誰よりも深く向き合う側の人間だった。

どうすれば少しでも日常が楽になるかを一緒に探し、その人の暮らし全体に寄り添ってきた。

身体のことは、ある程度なら理解できる。

そう思っていた。

けれど、ナルコレプシー2型になってから、その前提は静かに崩れていった。

理解していることと、実際に身体で抱えることは、まったく別だった。

そして私は、治す側ではなく、治される側に回ることになった。


第1章:完治のない国への片道切符

沈みゆく身体、届かない声

最初は、ただ眠いだけだと思った。

忙しかったのかもしれない。寝不足が続いていたのかもしれない。

そんなふうに言い訳をつくれば、まだ自分を保てる気がした。

でも、その眠気は、よくある眠気とは違っていた。

院内でのカンファレンス中、「今日は調子がいい方かな」と思っていた日、私はすでに3回意識が落ちていた。

休めば消えるようなものではなかったし、気を張ればどうにかなるものでもなかった。

会話の途中で視界が落ちる。
仕事の流れの中で、思考だけが少し遅れていく。

気づけば、自分の意識が身体からずれているような感覚があった。

いちばんつらかったのは、外から見えにくいことだった。

熱があるわけでもない。骨折しているわけでもない。

見た目は何でもないのに、内側では毎日が少しずつ削られていく。

そのしんどさは、説明しようとするほど、周囲との距離を広げていくようで伝わりにくくなった。

眠気は、ただ眠ることでは終わらなかった。

あまりの眠気は、私の仕事の自信を削り、何をする気力さえ起こらなくさせていった。

確保していた勉強時間は減り、友人との遊びの予定も、前日にキャンセルすることが増えていく。

楽しかったはずの仕事や休日は、ただ、モノクロの世界にしか見えなくなっていった。

「少し休めばいい」では済まないところまで、静かに入り込んでくる。

眠気は、私の知っていた身体から、知らない身体に変えていく存在となった。


見立てる側の誇りと、綻び(ほころび)

理学療法士は、ただ身体の動かし方を教えるだけの仕事ではない。

患者さんの身体を見て、動きを見て、何が負担になっているのかを客観的に考える仕事である。

そのためには、相手の話を聴きながら、症状だけでなく、その人の生活全体を想像する必要がある。

痛みがあるなら、どんな動作がつらいのか。

疲れやすいなら、どの時間帯がしんどいのか。

ただ症状を聞くのではなく、その人の生活を見ようとしていた。

それが、自分の仕事だと思っていた。

けれど、自分の身体が原因もわからない得体の知れない眠気に侵され始めてから、その丁寧な「見立て」の刃が、そっくりそのまま自分自身に向くようになっていく。

一瞬の寝落ち。埋まらない数秒の空白。

患者さんの生活を見ようとしているはずの私が、自分の身体の一日さえコントロールできなくなっていく。

プロとして、これほど恐ろしく、情けないことはなかった。

自分の異変を必死に隠し、平気を装ってリハビリの現場に立ち続ける毎日だった。

そんなある日のことだった。

「先生、あんまり無理しないでね」

そう言って、優しい笑顔で私の顔を覗き込んでくれた患者さんがいた。

その人は、身体の大きな痛みに耐えながら、私よりずっと必死にリハビリに向き合っている人だった。

本来なら、私がその人の生活を支え、守るべき立場なのに。

自分より何倍も大変なはずの患者さんに、そんな気遣いの言葉をかけさせてしまっている。

隠し通せていると思っていた私の綻びは、その温かい優しさに触れた瞬間に、痛いほどはっきりと浮き彫りになってしまった。


手放せない切符

周囲の人たちは、私の異変に気づいていた。

「一旦、仕事を休んだほうがいい」

そう何度も説得された。

結婚を間近に控えていた彼女――今の妻も、私の身体を心配して必死に言葉を尽くしてくれていた。

けれど、当時の私には、その優しさに耳を傾ける余裕なんてなかった。

結婚という人生の大きな節目を前にして、理学療法士としてのキャリアアップを重ねていくべき大切な時期。

今ここで仕事を離れるという選択肢は、自分の人生を諦めることと同義に思えた。

休む恐怖に比べれば、襲いかかる眠気に耐えるほうがまだマシだと、意地になって周囲の言葉に耳を傾けなかった。

しかし、強がりだけで保てるほど、身体は甘くなかった。

いよいよ体調は限界を迎えた。

あれほど誇りを持っていたはずの、患者さんの生活を想う余裕なんて、もうどこにも残っていなかった。

毎朝、仕事に向かう私の頭を占めていたのは、目の前の患者さんのことではなく、ただ「自分のこと」だけ。

この押し寄せる眠気からどうやって自分を守るか、今日という1日をいかにして何事もなく乗り越えるか。

それしか考えられなくなっている自分に気づいたとき、本当の限界が、私をのみ込んでいった。


手渡された診断書

そうしてついに休職を決断し、私は自宅で過ごすようになった。

休めば、睡眠時間が確保できれば、少しは楽になるのかもしれない。

そんな淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。

毎日家にいるのに、あの異常な眠気は何も変わらなかった。

何もしていないと、すぐに意識が落ちて寝てしまう。

洗い物も、洗濯物を干すことも、碌にできない。

ただ横になっているだけの毎日に、強烈な焦燥感だけが募っていった。

そんな日々が続き、私は遂に病院で精密検査を受けることになった。

しかし、過酷な検査が終わった後も、すぐに答えが出るわけではなかった。

結果が出るまで、1ヶ月弱。

ただでさえ仕事を離れて焦っているのに、原因もわからないまま、ただ待つことしかできない。

じっとしていること、休んでいることに、底知れない不安がのしかかってきた。

今振り返ってみても、あの期間は、どこか気が狂っていたのだと思う。

そして、ようやく、その日がやってきた。

医師から手渡された紙には、「ナルコレプシー2型」という診断名が書かれていた。

正直、原因がきちんとあり、気のせいではないと分かってホッとした。

自分のせいでもなく、気合や根性ではどうにもならないことなのだと。

自分を責め続けていた心の荷物が、少しだけ軽くなった気がした。

しかし、だからといって、不安がすべて拭い去られたわけではなかった。

理学療法士である私には、分かってしまう。

ナルコレプシーが、現代の医学では完治が難しい病気であるということが。

原因が分かった安堵のあとに、今度は、もっと大きな新しい悩みがのしかかってきた。

一生、この身体のまま生きていくのだろうか。

私はまた、あのリハビリの現場へ、そもそも社会復帰できるのだろうか。

そして、結婚を間近に控えた彼女を、私は本当に幸せにできるのだろうか。

――結婚してしまっていいのだろうか。

かつて誰かを「治す側」だった私は、完治のない病を抱える「患者」になっていた。


第2章:迷い込んだ迷路と、ぶら下げた肩書き

晴れない視界、剥がされる誇り

「ナルコレプシーは、服薬でコントロールできる人が多い」

ネットや教科書には、そんな言葉が並んでいる。

原因が分かり、いよいよ身体に適応する薬を使った治療が始まった。

これできっと、自分の身体を自分の意思でコントロールできるようになる。

そう信じたかった。

しかし、現実にそう甘くはなかった。

始まった服薬生活は、ただただ自分の身体を使った終わりの見えないリハビリのようだった。

期待を込めて飲む薬。けれど、そう簡単に良くなるわけもなかった。

毎日薬を飲んでいるのに、すっきりと晴れることのない頭。

いつ、この眠気の波が収まるのか。

本当にいつか、普通に動ける日が来るのだろうか。

薬を飲み始めてもなお、一向に晴れない視界の中で、あの不安がまた黒く膨んでいく。

一生このままなのか。私は、社会復帰できるのだろうか。

期待が裏切られるたびに、あの新しい不安は、募る一方だった。

そんな中、さらに追い打ちをかけるような現実が突きつけられた。

当時、私が働いていたのはクリニックだったため、拘束時間そのものが長かった。

医師から告げられたのは、残酷な一言だった。

「今の勤務形態は、今後辞めた方がいい」

いつ治るかもわからない身体。コントロールしきれない眠気。

日常生活を支えるクリニックでの理学療法士にはもう戻れない。

現実を突きつけられたとき、私は「理学療法士として復帰することは諦めなければならない」と考えた。

あれほど憧れ、目指し、自分の誇りだった場所。

ボロボロになりながらも、必死にしがみつこうとしていた未来。

やっと辿り着いた道を、自分の手で手放さなければならない。

悔しくて、情けなくて、仕方がなかった。

そして、私は、あれほど人生の目標にしていた「理学療法士」の肩書きを、下ろすことになった。


ちいさな仕事、小さな居場所

しかし、ずっと暗闇のままではなかった。

少しずつ、光明が差し始めてきた。

試行錯誤を繰り返すうちに、薬の容量がようやく自分の身体に合ってきたのだ。

朝起きたときの強い疲労感や眠気は、まだ確かに残っている。

けれど、あの日々を支配していた「日中の強烈な眠気」が、徐々に、確実に減っていった。

薬を飲めば、動ける。起き上がっていられる。

その実感が湧いたとき、私はすぐに「もう大丈夫かもしれない」と思ってしまった。

早く社会に戻らなければ。早く次の仕事を見つけて働き始めなければ。

焦燥感に背中を押され、すぐにでも動き出そうとする私に、妻は静かに言葉をくれた。

「焦らなくていいよ」

妻は、私を急かすようなことは一切しなかった。

それどころか、「今はまず、身の回りのことを自分でできるようになろう」と、小さな課題を一つずつ渡してくれた。

洗い物をすること。洗濯物を干すこと。

かつて、眠気に負けて碌にできなかった家事の数々。

普通であれば片手間で、短時間でできることでさえも、できたときには妻は「ありがとう」と言ってくれる。

妻がくれたその小さな課題は、当時の私にとって、まるで「新しい仕事」をもらったかのように嬉しかった。

仕事を失い、何者でもなくなってしまった私に、妻は家庭の中での役割を、居場所を作ってくれたのだ。

あぁ、私はここに存在していて良いのだ。

理学療法士としての仕事ができていない自分になっても、この人は変わらずそばにいてくれる。

その確信が持てたとき、私の心を満たしていた底知れない不安が、すうっと溶けていくのが分かった。


ぶら下げた肩書き

余計なことは、もう考えなくていい。

あれほど絶望して下ろしてしまった「理学療法士」という大切な肩書き。

だけど、それを完全に捨て去る必要なんてなかったんだ。

背負えなくなったのなら、お守りのように、そっと腰にでもぶら下げておけば良い。

そうやって、私は自分の心の大枠を、少しずつ改め直していった。

心が軽くなると、私の視野は再び外の世界へと広がり始めた。

私は理学療法士として、誰かを「治す側」にいた。

そして今、ナルコレプシーの当事者として、誰かに「治される側」にいる。

両方の立場を経験したからこそ、強く想うようになった。

あの時の私のように、限界を超えてまで働き、壊れてしまう人を一人でも減らしたい。

休職することは、決して悪いことでも、人生の終わりでもないんだと、伝えていきたい。

医療従事者である自分ですら、自分の身体の異変に気づけず、病名が分かるまであんなに苦しんだのだ。

専門知識のない他の人たちなら、なおさら自分の限界に気づけず、余計にどうしていいかわからないはずではないか。

だったら、あえて理学療法士としてではなく、「患者側」として、私が経験したすべてを発信してみよう。

お金が発生するような「ビジネス」としての仕事ではない。

それでも、自分の言葉を紡ぎ、画面の向こうの誰かへと届けること。

誰かの心を少しだけ軽くするその発信は、いつしか、失った肩書きに代わる、私自身の「新しい大切な仕事」のように思えるようになっていった。


第3章:あくび混じりの足跡と、自由切符

名前をもらった、小さな相棒

発信を始めようと決めたとき、私は一つの壁にぶつかった。

「理学療法士」としての私を表に出せば、どうしても言葉が硬くなってしまう。

正しい知識を伝えようとすればするほど、それはどこか上からの「医療従事者のアドバイス」になってしまう気がした。

今、暗闇の中でボロボロになっている人が求めているのは、そんな正論ではないはずだ。

少なくとも、自分はそうだった。

もっと寄り添うような、誰も傷つけない、優しい姿で言葉を届けたい。

そう考えていたとき、私の頭の中に一つの愛らしいキャラクターが浮かんだ。

それが、「リハ犬」だった。

理学療法士として、患者さんの生活を支えてきた日々。

そして今、病気を抱えながら、もう一度社会へ戻りたいと願う、私自身のこれからの日々。

その2つの意味を込めた「リハビリ」に、もともと大好きだった「犬」の姿を掛け合わせた。

そして自分を表現するために、「あくびのリハ犬」と名乗るようにしました。

なぜだか、そのゆるい姿に強く惹かれた。

今思えば、張り詰めた糸を切って、少しでも心を緩ませたかった、私自身の心の表れだったのかもしれない。

専門家としての私ではなく、この愛らしい柴犬の姿をした相棒に、私の想いを託そう。

アイコンに描かれたその小さな犬は、どこか抜けていて、ゆるくて、見ているだけで心がほっと緩むような表情をしていた。

かつて時間に追われ、張り詰めた糸の先で生きていた私は。

この小さな相棒の姿を借りて、ようやく、自分の本当の言葉で話し始めることができたのだ。


ゆっくり歩く、犬の散歩のように

最初は、ただ、つらつらと自分の辛い現状を書き連ねていた。

誰かに私の苦しみを知ってほしかったし、どこかで、慰めや励ましを求めていたのだと思う。

仕事を失い、何者でもなくなってしまった自分。

先の見えない迷路の中で、私はまだ、心の中で「早く戻らなければ」と少し早歩きになっていた。

そんな私の背中を、言葉たちが優しく引き留めてくれた。

仕事をしながら、文句一つ言わずに私を懸命に支え続けてくれる妻。

そして、画面の向こうから届く、「ゆっくりでいいんですよ」「焦らなくていいんだよ」という見ず知らずの誰かからの、温かいコメントの数々。

それらに触れているうちに、私の硬くなっていた心が、少しずつ、柔らかくほどけていった。

ゆっくりで、いいのだ。焦らなくても、いいのだ。

それはまるで、大好きな犬との散歩のようだった。

先へ先へと急ごうとする私を、小さな相棒が「まぁまぁ、そんなに急がずに」と引き留め、隣を並んでゆっくりと歩いてくれるような、穏やかな時間。

そうやって、早歩きをやめて足元を見つめ、ゆっくり歩けるようになって初めて、私は周りの景色がよく見えるようになった。

それまでの私は、暗闇の中で孤独だと思い込んでいた。

けれど、周りがよく見えるようになると、私を支え、助けてくれていたのは、妻だけではなかったのだと気づくことができた。

画面の向こうで言葉をくれる人たち。私の発信を受け止めてくれる人たち。

私を取り巻くすべての人が、私を支えてくれている。

孤独な迷路だと思っていた場所は、実は、たくさんの温かい手で満たされた、ゴールのない迷路ではなく、全てが繋がっている優しい世界だったのだ。


新しい切符、そして「あなた」へ

そして、今。

私の中に、変化が起き始めている。

あの頃はあれほど翻弄されていた病気と、少しずつ、うまく付き合えるようになってきたのだ。

体調のコントロールができるようになり、私の目の前には今、かつて手放したはずの「社会復帰」という未来の兆しが、確かに見え始めている。

けれど、もう昔の私のように、焦って早歩きをすることはない。

この休んだ期間に、妻や周りの人たちから教えてもらった大切なこと。

ゆっくりと景色を見渡しながら歩くこと。

そして、私を取り巻くすべての人への、深い感謝と尊敬を胸に。

あの日、病気を宣告されたときは、まるで人生の終わりに向かう。
島流のような「片道切符」を渡されたかのように絶望していた。

けれど今の私は違う。

どこへ行くのも自由で、いつでも立ち止まっていい。
そんな人生の「自由切符」を、私は今、この手にしっかりと握りしめている。

あの時、立ち止まらなければ。

あの時、思い切って休まなければ、絶対に気づくことのできなかった、見えなかった景色がここにはあった。

だからこそ、今、かつての私のように暗闇の迷路の中で、限界を超えてボロボロになりながらも早歩きを続けている「あなた」に、どうしても伝えたい。

もっと、人を頼っていい。

もっと、周りの意見に耳を傾けて、それを取り入れてみたっていい。

そして何より、たまには歩くスピードを落とすこと、時には思い切って立ち止まることも、あなたの人生にとって、ものすごく大切なことなんだ。

休むことは、決して終わりなんかじゃない。

新しい、優しい景色に出会うための、大切な時間だから。

もしも今、辛い時。しんどい時。身体の不調に心が折れそうになった時。

どうか、私の分身である、このゆるい姿の「リハ犬」を思い出してほしい。

あなたは、一人じゃない。

私はここにいて、あなたの隣で、どこまでも一緒にゆっくり歩きます。

今度は、私の番です。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。🌱

今回の記事は、私がこれまでに投稿してきた内容や、症状悪化から今日までの軌跡を振り返り、改めて一つのエッセイとしてまとめてみたものです。

過去の自分のつまずきや、そこから周りの人に支えられて気づくことができた大切な想いを、ギュッと凝縮した内容になりました。

1つの区切りとして、どうしても、このタイミングで投稿したかったのです。妻へ、家族へ、友人へ、私を支えてくれている全ての人へ感謝しています。

この記事が、ナルコレプシーという病気を伝えること、いま当時の私と同じように暗闇の中で迷っている誰かにとって、少しでも心を緩めるきっかけになれば嬉しいです。😌

これからもあくびしながら、リハ犬として、皆さんと一緒にゆっくり歩んでいきたいと思います。
これからもよろしくお願いしますね。🐶

あくびのリハ犬

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