極楽先生シリーズ(55) 「言葉の極意 (後半)」(その3)

「言葉の極意 (後半)」(その3)
~折口信夫さんの古代研究~
~ 回想 〜
焼き芋を頂きながら雑談(「前半」の続き)
H先生「そうそう、モグモグ。
極楽先生に今の“原初の言葉”のお話を伺っていた時に、以前お話しくださった、民俗学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)さんという方の研究を思い出していました。
あの、日本語の原点というようなお話も、すごく興味深いお話でしたよね。モグモグ。」
極楽先生「そうじゃのう。“まれびと”に、
“ほかふ”とかじゃったかのう~?(笑)」
H先生「そうそう。常世(とこよ/異界)の世界から、まれに現れる“まれびと”、“ほかひびと”~という話でしたっけね。😃(笑)」
太郎・花子・A子
「?…… ?…… ?…… モグモグ。」
極楽先生「ツー。(ワハハ)😄」
H先生「カー。(ハハハ)😄」
極楽先生「ホンに面白い仮説よのう~。
ワッハッハ。😄 モグモグ。」
H先生「ホント、面白い研究ですよね。
ハッハッハ。😄 モグモグ。」
極楽先生・H先生
「~ツー、カー、ツー、カー。ワッハッハ、ワッハッハ😄 モグモグモグ~」
太郎・花子・A子
「~?…… ?…… ?…… モグモグ~」
太郎「先生達、何話してるんだろうね?」
花子「さっぱり分からないわね。(笑)」
A子「二人だけで、とても楽しそうね。😄」
極楽先生「あぁ、焼き芋が美味かったのう。太郎君達も、たくさん食べたかい~。」
太郎「はい。ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。」
A子「お腹いっぱい!😄」
花子「幸せもいっぱい!😃」
極楽先生「良かったのう。😃」
太郎「あのう、今、お二人で楽しそうにお話しされていましたけど、何のお話をされていたんですか? 少し教えてもらえませんか~。」
H先生「ああ、そうだね。つい夢中になって、ごめんごめん。
で、君達は、折口信夫さんという方のお名前は聞いたことある?
多分、知らないと思うけど、もう何十年も前、昭和初期に『古代研究』というご本(全三巻)を出され、日本古代の言葉の起源のようなものを、とてもユニークな視点で研究されていた学者さんなんだよ。」
太郎「そうなんですか。僕は初めてお聞きしたお名前ですが、花ちゃんは?」
花子「私も初めてお聞きしました。」
極楽先生「そうじゃなぁ。機会があったら、調べてみると良いのう。」
H先生「そうですね。ぜひ、帰ったら調べてみると面白いと思うよ。
言葉ということに関して、『古事記』や『日本書紀』に記されてある内容が、どのように語り部(かたりべ)達の口伝によって伝えられてきたかを研究されていて、とても興味深い仮説もたくさんあると思うよ。」
太郎「そうなんですか。分かりました。
帰ったら、ぜひ調べてみます。折口信夫さんという方ですね。」
H先生「そうそう。國學院大学の先生をされていた方みたい。
で、さっきの極楽先生のお話の中で、『丁寧に話していたら一晩かかる』と言われてましたけど、“神様の言葉”から“人間界の言葉”への移行の秘密!?が、この研究の中にもたくさんあったなぁとか思い出して、今、そんな話をさせてもらっていたんだよ。😄」
極楽先生「そうじゃのう。ホンに、そんな面白い話はいくらでもあるのう。😄
それこそ、ここでそんな話を始めたら、泊まっていってもらわにゃならんからのう。帰ったら調べてみておくれ。😉」
太郎「はい、調べてみます。折口信夫さんですね。」
A子「う~ん。🤔 でも、そこまで言われたら~。ねぇ、太郎さん。~消化不良ですよね。せっかくなので、泊まらない程度に、その折口信夫さんのお話を、さわりだけでも~、ぜひ。😉」
太郎「えっ、う、うん。~そ、そうだよね。😅」
極楽先生「ハハッ。そりゃ、そうじゃろなあ。~まあ、せっかくじゃで、ごく簡単に話すと、“まれびと”というのは、ご先祖様とか、神様のような目に見えない尊い存在、異界の存在?であり、たまに、まれに人の前に現れて、人間にお告げのようなものを、響きとして伝えていく。
その響きを“呪言(じゅごん)”とかいう言い方をして、その響き、神様の言語?/波動?/言葉の始まり?を、人間の言葉に翻訳したものが、“ほかふ”というものらしい。」
花子「“ほかふ”というのは、神様?の言葉なんですか?」
H先生「う~ん? もしかしたら、宇宙人の言葉だったりして~? ハハハッ。(笑)
いずれにしろ、一つの例えというか、仮説として聞いてほしいんだけど、神様?とか異星人?と人間との会話というのは、きっと、アメリカ人と英語の分からない日本人との会話のようなものだったんだろうね?
だから、全く??だったのかも。(笑)
~どうだったんでしょうね? そんな場面を想像するだけでも笑えるよね。😄
とにかく、ジェスチャーとか真似から始まって(笑)、それらしき、正確ではない翻訳が色々と伝承されたというか、“ほかひびと”という語り部(かたりべ)が生まれ、口伝えに伝えられて、そこから、その神様?との尊いやり取りのエピソードのようなものが、芸能とか、しきたり、お祭りというようなものとして生まれてきたのでは?というような、
興味深い話がたくさんあるんだよ。
そうそう、だから芸能、能/狂言や武道、お花(華道)、茶道の礼儀作法の起源なんかも、本来は、神様?に喜んでもらうための捧げもの、おもてなしというものだったらしいよ。
そして、神様にも人にも喜んでもらえるものとして伝えられ、庶民文化として発展してきたものらしいと~。なんか、興味深いルーツの話じゃない~。😄」
太郎「それは、とても興味深いお話ですね。考えてみれば、古典芸能なんかは、そんな神様への捧げもののような、厳粛な雰囲気がありますものね。」
H先生「本当にね。礼儀作法の本来の意味も、そういう威厳のある神様?相手のものからだったとしたら、なんか納得もできるよね。まあ、さっきの極楽先生のお話が面白く聞けたんなら😄、この折口先生の仮説の研究も、絶対面白いと思うよ。
今は折口先生のことも、YouTubeなんかで簡単に調べられると思うので、ぜひ調べてみて。😉」
太郎「はい。調べてみます。花ちゃん、面白そうだね。」
花子「本当に。ぜひ、一緒に調べてみましょう。」
A子「調べたら、私にも教えてね。😉(笑)」
H先生「A子、お前はすぐ~。
自分で~、ムニャムニャ。(苦笑)」
