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写真館 「接触」

おはようございます。

本日は「接触」をテーマにして写真を撮ろうと思います。
言葉は違えど、同じような場面の撮影が多くなっているのに気づきます。

それは、たった一枚の写真であったとしても、そこに含める「思想というのは多様に存在する」ということの表れだとも思えます。

たとえば、「境界」として撮った写真が「支える」であったり「重なる」であったり、色々な意味が含まれているのだと思います。

そういえば先日、「距離」の感覚で撮影(2026年8月1日)した時の月は、満月に近かったのですが、今日はだいぶ欠けています。

しかも、直上だったのでかなり頭を上に上げて撮影しました。
自然の変化と時の流れを感じました。

それでは今日も、カメラのテーマで、保土ケ谷公園にレッツゴー♬

親父のためにプレゼントで買ったカメラが、「使えない」という理由で返された、という物語です♬

今回、保土ケ谷公園の中で「接触」をテーマにすると、そこら中にたくさんの雑草は生えているし、木々が鬱蒼としていますので、一体どこが「接触」かというのは難問だと感じました。

ひとまず、私の思う「接触」は、ある程度「何らかの体をなすもの」が「接触」であろうとしました。下の写真は絡まっているというよりも、「巻き付いている」という意味で、「何らかの体をなして」います。

そして、「異なる個体」の間で「何らかの体を成すもの」としました。

下の写真では「這っている」が近いのでしょうか。

下の写真では、「クモの糸」がハッキリと葉の先端にくっついています。
確かな土台として葉がクモに使用されていると思います。

下の写真は、しっかりとトンボが鉄の細い柵に「接触」しています。

下の写真は、葉とその茎が枯れた状態で柵に巻き付いている状態です。

実際に歩き回って、手で触ってはらったり、覗き込んでみたりしますが、何をもって「接触」とするのか、本当によく分からなくなります。

「異なる個体」が「何らかの体をなしている」その現場がどこにあるか。

これは非常に難しい問題に感じます。

道路わきの杭に巻き付いている植物の姿としては、何とも美しい関係に見えますが、それが本当に私の思う「接触」なのか・・・。
まだまだ時間がかかりそうです。

先日はこの時計の隣に見えていた月が、まだ真上にあります。

2026年8月5日 保土ケ谷公園の時計
2026年8月1日 保土ケ谷公園の時計

さようなら、保土ヶ谷公園。また来ます。

次回も何かの「縛り」で楽しんでみますね🎵

いつもありがとうございます!!

Have a nice day!!


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