『路地裏創作局』
最初に、その紙を拾ったのは誰だったのか、誰も覚えていない。
たぶん風だった。
放課後の駅前。
古びた掲示板に、一枚だけ紙が貼ってあった。
白いコピー用紙。
中央に黒い文字。
ただ一行。
「なんのはなしですか」
説明なし。
連絡先なし。
募集要項なし。
誰かの悪ふざけだと思った。
だから高校二年の栞(しおり)は、その紙をスマホで撮っただけだった。
家に帰って、画像フォルダを開く。
今日撮ったもの。
黒板。
空。
コンビニの猫。
最後に、その紙。
なんのはなしですか。
意味が分からない。
なのに、閉じられなかった。
栞は投稿サイトを開いた。
書き始めた。
「今日、帰り道に紙を見た。」
ここで止まった。
続かない。
何を書く?
何が正解?
文章って苦手だ。
消した。
でも、その紙をもう一度見る。
なんのはなしですか。
……別に意味なくてもいいのか?
栞は続けた。
「紙だったのか、張り紙だったのか、もしかしたら紙ですらなかったのかもしれない。」
自分で書いて少し笑った。
意味不明だった。
でも投稿した。
タイトル。
『なんのはなしですか』
翌朝。
通知が一件。
コメント。
「たぶん紙じゃないですね」
意味が分からない。
返信した。
「何なんですか?」
返事。
「なんのはなしですか」
そこからだった。
誰かが続けて書いた。
『その紙を貼ったのは私です』
別の人。
『いや、私が風です』
さらに別の人。
『その掲示板は駅ではなく海底です』
誰かがイラストを描いた。
誰かが詩を書いた。
誰かが紙の折り方を解説した。
誰かが紙になりきった。
三日後。
栞の知らない場所で、
「紙観測日記」
「紙考察会」
「紙朗読配信」
が始まっていた。
誰も元ネタを知らない。
誰も設定を共有していない。
なのに、全部つながっていた。
栞は少し怖くなった。
自分が始めたわけじゃない。
責任もない。
なのに増えていく。
ある夜。
通知が届く。
メッセージ。
『路地裏創作局へようこそ』
意味不明だった。
開く。
本文。
――こちらは、意味の分からないものを保護する部署です。
――現在、あなたの「なんのはなしですか」が観測対象になっています。
――回収に伺います。
添付。
地図。
近所の喫茶店。
次の日。
栞は行ってしまった。
店内。
人がいた。
十人くらい。
全員、初対面。
机に紙。
絵。
詩。
小説。
工作。
ティッシュに書かれた文字。
誰かが言う。
「どれが元ですか?」
全員首を振る。
誰も分からない。
一人の女性が笑う。
「分からないなら全部元でいいですよ」
変だった。
意味がない。
目的もない。
でも、楽しそうだった。
栞は思った。
学校では、正解を探す。
SNSでは、評価を探す。
でもここには違うルールがある。
誰かが書く。
誰かが乗っかる。
誰かが変形する。
誰かが笑う。
終わり。
その日、帰り際。
出口にノートが置いてあった。
表紙。
『次の住人へ』
中は白紙。
最初のページだけ文字。
「書きたくなったら書いてください」
その下。
小さく。
「なんのはなしですか」
栞はペンを取った。
迷った。
文章なんて苦手だった。
でも書いた。
たった一行。
「今日、私は紙を見ていないかもしれない。」
閉じた。
帰った。
数日後。
通知。
知らない誰かの記事。
タイトル。
『紙を見ていない少女の話』
冒頭。
「たぶん私は、その日その場所にいなかった。」
栞は吹き出した。
違う。
そうじゃない。
でも、そうじゃないから面白かった。
コメントを書いた。
「なんのはなしですか」
すぐ返信。
「なんのはなしでしょうね」
その瞬間、栞は気づいた。
創作って、完成させるものじゃない。
火を渡すものなんだ。
誰かの意味不明を受け取って、
少しだけ自分の意味不明を混ぜて、
次へ渡す。
そうやって話は増殖する。
帰り道。
掲示板を見る。
紙はなかった。
でも端に新しい落書き。
小さく。
誰かの字で。
次はあなたの番です。
……なんのはなしですか。
