「よかったの朝マック」
よもぎさんに捧ぐ
七月の終わりの夜だった。
昼の暑さがまだ地面に残っていて、公園のすべり台も、ブランコの鎖も、さわるとほんのりあたたかい。
瑞樹は一年一組の女の子だ。
その夜、なぜかぜんぜん眠れなかった。
天井を見て、ころころ寝返りをうって、ぬいぐるみをぎゅっと抱いてみても、やっぱり眠れない。
「ちょっとだけ外、見てこようかな」
小さな声でそう言って、そっと玄関を出た。
夜の空気はむっとしていたけれど、家の中よりは少しだけ気持ちよかった。
近くには小さな公園がある。
昼間は小学生たちでいっぱいになる公園だけれど、夜はしんとしていて、別の場所みたいだった。
街灯のオレンジ色の光が、すべり台のてっぺんをぼんやり照らしている。
風が吹くと、ブランコがきい……と小さく鳴った。
瑞樹はなんとなく歩いた。
理由はわからないけれど、きれいなものを見たかったのだ。
空には月があった。
丸くて、白くて、静かな月だった。
「きれいだなあ」
そう思って公園の奥まで歩いたときだった。
ベンチの下に、誰かが倒れている。
「えっ」
瑞樹の心臓がどきんと鳴った。
人だ。
近づいてみると、小さな女の子だった。
しかもよく見ると――
「木島?」
同じクラスの木島だった。
木島はベンチの下で、ぐったりしている。
顔は赤くて、手には青い棒が握られていた。
それはラムネバーだった。
夏になると駄菓子屋で売っている、あの冷たいアイスだ。
しかも、木島の足元には――
空のラムネバーの袋が三本。
「……え」
瑞樹は少し考えた。
一本。
二本。
三本。
(食べすぎじゃない?)
でも、木島はぴくりとも動かない。
「木島!」
瑞樹は肩をゆすった。
「木島! 起きて!」
すると木島は
「うう……ラムネ……」
とつぶやいた。
完全に寝ぼけている。
瑞樹は急に不安になった。
(もしかして大変なことなんじゃ)
ニュースで見たことがある。
公園で人が倒れていた、とか。
瑞樹は小さな体で、なんとか木島を起こした。
「よいしょ……」
一年生同士だから軽いけれど、それでも大変だ。
木島はふらふらしている。
「歩ける?」
「ラムネ……おかわり……」
「だめ!」
瑞樹は必死だった。
夜の公園は急にこわくなった。
木も、草も、昼とは違う顔をしている。
やっとのことで公園の入口まで来たころ、空が少しだけ明るくなっていた。
朝が近い。
遠くでカラスが鳴いた。
「もうすぐ朝だね」
瑞樹が言うと、木島はぼんやりした顔で空を見た。
「……あれ?」
「なに?」
「瑞樹?」
「そうだよ」
「なんでいるの?」
瑞樹は少し考えて、それから言った。
「木島が倒れてたから」
「え」
「ベンチの下で」
木島はしばらく黙っていた。
それから足元のラムネバーの袋を見て、顔をしかめた。
「……三本食べた」
「うん」
「四本目も食べようとした」
「うん」
「気づいたらここ」
瑞樹は思わず笑った。
「やっぱり」
木島はちょっとむっとした顔をした。
「笑うなよ」
「だってさ」
瑞樹は空を見上げた。
月はもう白く薄くなって、空の色が青く変わり始めている。
「でも」
瑞樹は言った。
「よかった」
木島は首をかしげた。
「なにが?」
瑞樹は少し考えた。
うまく説明できないけれど、心の中にある言葉だった。
「事件じゃなくてよかった」
「……」
「木島が元気でよかった」
「……」
「ラムネバー食べすぎただけでよかった」
木島はしばらく黙っていたけれど、やがてくすっと笑った。
「それ、変な言い方」
「そう?」
「うん」
朝の光がどんどん広がっていく。
公園の木の葉が風で揺れて、光がきらきら動いた。
「お腹すいた」
木島が言った。
「ラムネバー食べたのに?」
「アイスは別腹」
瑞樹は笑った。
「マック行く?」
「行く」
まだ朝早いけれど、駅前のマックはもう開いている。
二人は歩きだした。
朝の道は、夜とはまるで違って見えた。
人も少しずつ出てきて、自転車が通り、パン屋の匂いがする。
マックの前に着くころには、空はすっかり朝の色だった。
店に入ると、ポテトの匂いがした。
二人は席に座って、ハンバーガーを食べた。
木島はポテトを一本つまみながら言った。
「でもさ」
「なに?」
「瑞樹って昔から変だよね」
「そう?」
「うん。夜の公園で人助けとか」
瑞樹はポテトをかじった。
「木島も変だよ」
「なんで」
「ラムネバー四本」
木島は少し考えて、それから笑った。
「まあね」
窓の外ではカラスが飛んでいた。
瑞樹はそれを見ながら思った。
今日は学校だ。
算数もあるし、体育もある。
でも、なんだかよくわからない。
まるで大きなテストを受ける日みたいに、世界が広く感じる。
それでも。
友だちが隣でポテトを食べている。
さっきまで公園で寝ていた子が、今は笑っている。
瑞樹はもう一度言った。
小さな声で。
「よかった」
木島はポテトを食べながら聞いた。
「なにが?」
瑞樹は笑った。
「ないしょ」
そして二人は、朝のマックで、くだらない話をして笑った。
