知りたがり向け深掘り解説 上原朔也『殴り殴られ詩人酒場』ep.86「変幻自在の文士様」
この作品は、シリーズの主人公・上原朔也という人物が、子どもたちとの一日を通して、「作家とは何か」「大人とは何か」を少しずつ学んでいく物語です。
笑える場面がたくさんありますが、その奥には、とても深いテーマが隠されています。
上原朔也は「何にでもなれる人」
この作品で朔也は、
馬
雄鶏
雌鳥
巡査
小学校の先生
赤ん坊
お父さん
など、次々と違う役になって遊びます。
これは単なる「ごっこ遊び」ではありません。
作家は物語を書くとき、主人公にも悪役にも、子どもにも老人にもなって考えます。
つまり、上原朔也は「想像力」で何にでも変身できる作家なのです。
だから題名の「変幻自在の文士様」は、朔也そのものを表しています。
「お父さん役」が意味するもの
作品の中で一番長く描かれるのは、お父さん役の場面です。
会社から帰宅し、妻に迎えられ、子どもたちと話をする。
すべて遊びなのに、本当の家族のような空気が流れています。
ここで作者は、
家族とは血のつながりだけではなく、一緒に時間を過ごし、相手を思いやることで生まれるもの
なのではないか、と読者に問いかけています。
「透明な物語」とは
ユリ子は「西瓜の馬車の王子様」の続きを聞きたがります。
しかし、その本は本屋にも学校にもありません。
なぜなら、その物語は上原朔也がその場で作っているからです。
朔也は、
「まだインクの色に染まっていない。透明な物語」
と言います。
これは、
物語は書かれる前が一番自由で、どんな形にもなれる
という意味です。
子どもたちが「さっきと話が違うよ」と言うたびに、物語は新しい姿へ変わっていきます。
完成していないからこそ、生きている物語なのです。
上原朔也が子どもたちを「怖い」と思った理由
作品で最も大切なのが、この場面です。
朔也は子どもたちの瞳を見て、
「恐ろしい」
と感じます。
それは嫌いだからではありません。
子どもたちの心が、あまりにも純粋だからです。
もし自分がいいかげんなことを話したら、その心を傷つけてしまうかもしれない。
作家には自由があります。
しかし、その自由には責任もあります。
だから朔也は、笑いながら遊んでいても、心の中では真剣に言葉を選んでいるのです。
「おとなげない」と言われる場面
最後に朔也は雪を投げ返そうとして、イヨさんに止められます。
「おとなげないね。」
と言われた朔也は、
「大人らしいって何だろう。」
と考えます。
作者はここで、
大人とは年齢ではなく、自分の気持ちを少し抑えて相手を思いやれる人
だということを描いています。
上原朔也はまだ完成した大人ではありません。
だからこそ悩み、考え、少しずつ成長していく主人公なのです。
「また明日」の本当の意味
最後、子どもたちは
「また明日。」
と言って帰ります。
朔也も心の中で
「また明日。」
と返します。
この言葉には、
「明日も一緒に遊ぼう」
という意味だけではありません。
明日も物語を語ろう。明日も子どもたちを笑顔にしよう。
そんな作家としての約束でもあります。
この作品で作者・上原朔也が伝えたかったこと
『変幻自在の文士様』は、にぎやかな子どもたちとの一日を描いた作品ですが、本当に描いているのは創作の喜びと責任です。
物語は、本に印刷された瞬間に完成するのではありません。
誰かが語り、誰かが耳を傾け、続きを楽しみに待つことで、生きた物語になります。
だから上原朔也は、何にでも変身できる「変幻自在の文士」であると同時に、子どもたちの未来を思いながら言葉を紡ぐ、一人の誠実な語り手でもあるのです。
