なぜ朔也は「腹減った」と言ったのか?―『老耄の揺り椅子』を深掘り解説
この小説は、実は「揺り椅子を直す話」ではありません。テーマは、「家族とは何か」「大人になるとは何か」「人はどうやって誰かに受け入れられていくのか」です。
しかも、作者はそれを一切説明してくれません。読者が行間を読んで、自分で感じ取るタイプの文学作品です。
① タイトル「老耄(ろうもう)の揺り椅子」の意味
まず、「老耄」という言葉ですが、
年を取って物忘れをすること
老いて少しぼんやりすること
という意味があります。
でも、このタイトルには二重の意味があります。
古びた揺り椅子そのもの
年を取った藤吉やイヨさん
まだ若いのに、不器用に生きている朔也
つまり、
「人はみんな不完全で、壊れている。でも、それでも誰かと生きていく」
ということを表しているんですね。
揺り椅子は、人間そのものなんです。
② なぜ障子を張り替えるシーンから始まるのか?
文学では、「家」は「人の心」を表すことが非常に多いです。
この作品では、
障子が破れている
扉が壊れている
箪笥の取っ手が取れている
揺り椅子が壊れている
家の中のものが全部壊れています。
これ、実は偶然ではありません。
壊れているもの=登場人物たちの心
なんです。
そして藤吉は、どんどん直していきます。
障子を張る
扉を直す
箪笥を直す
揺り椅子を直す
つまり藤吉は、
「物を直しているようで、人の心を直している」
という役割を持っているんですね。
③ 藤吉は何者なのか?
一見すると、
酒飲み
エロ親父
ヤニ臭い
下品
口が悪い
どうしようもないおっさんです(笑)。
でも、この作品で一番「愛情深い人」でもあります。
面白いのは、藤吉は一度も、
「朔也、お前のことが大事だ。」
とは言いません。
代わりに、
障子の貼り方を教える
鉋の使い方を教える
仕事を横取りする
お腹が減ったことを笑う
一緒に晩飯を食べる
という行動で愛情を表現しています。
昔の職人や父親って、こういう人が多かったんです。
この小説は、
「言葉より行動の愛情」
を描いています。
④ なぜ朔也は「自分に似ていなくて嬉しい」と思ったのか?
ここが一番重要なシーンです。
「目の前の男に、自分の面影がひとつも見当たらないことが俺は嬉しかった。」
これ、実は少し切ない文章なんです。
普通なら、
「親父に似ていて嬉しい」
となるはずですよね。
でも朔也は違います。
つまり彼は、
「本当の父親」や「家族」というものに、どこか傷を持っている人物
なんです。
だから、
血のつながりなんてなくてもいい。
と思えるようになった。
これは、朔也が精神的に少し成長した瞬間でもあります。
⑤ 揺り椅子は誰を表しているのか?
私は、この揺り椅子は三人を表していると思います。
イヨさん
藤吉
朔也
です。
イヨさん
優しい
家を守っている
人を受け入れる
藤吉
ボロボロのおっさん
でも人を支える
朔也
まだ壊れたままの若者
自分の居場所がわからない
揺り椅子は、
「片方の脚が欠けている」
状態でした。
これも意味深です。
人は、一人では完成しない。
だから、
欠けている部分を誰かが支えてくれる。
というメッセージにも読めます。
⑥ 最後の「チョコレイト」と「腹減った」
ここ、めちゃくちゃ文学的です。
それまでの朔也は、
反抗的
口が悪い
大人ぶっている
少年でした。
ところが最後に、
「チョコレイト……」
と言います。
突然、小さな子どもみたいになるんです。
つまり、
「朔也は、この家でようやく子どもになれた。」
ということなんですね。
安心できる場所では、人は無理をしなくなります。
人は安心すると、
お腹が空く
んです。
これは心理学的にもよく言われることです。
つまり、
「腹減った」
という一言は、
「ここは自分の居場所だ。」
という告白でもあるんですね。
まとめ
この小説は、
「壊れた揺り椅子を直す話」
ではありません。
本当は、
「居場所を見つけた少年が、血のつながらない大人たちの愛情によって、自分の心を少しずつ修理していく物語」
なのです。
障子も、扉も、箪笥も、揺り椅子も、みんな壊れていました。しかし、最後には家の中が少しずつ整っていきます。それは、そのまま朔也の心が整っていく過程でもあります。
タイトルの「老耄の揺り椅子」は、「人はみんな不完全で、少し壊れている。それでも誰かと支え合って生きていけばいい」という、この作品全体のメッセージを象徴しているのです。
