「何でもない夕食が、一生の思い出になる──『井上家の食卓──15歳の夏──』が描く家族の幸福論」
この小説は、「家族団らんを描いたほのぼの小説」だと思って読むと、半分しか読めていません。実は、この作品のテーマは「食べ物」ではなく、「人は他人の何を見て生きているのか」というところにあります。
知りたがり向けに深掘りすると、少なくとも5つのテーマが隠れています。
① 「気づかない人」が、本当は一番気づいていた
物語の冒頭で、お父さんは「出汁、変えた?」と言います。
作者は、お父さんをわざと、
髪の色が変わっても気づかない
猫が増えても気づかない
空気を読むのが得意ではない
という人物として描いています。
つまり読者に、「この人は鈍感な人なんだ」と思わせているのです。
ところが、誰も気づかなかった味噌汁の違いに真っ先に気づいたのは、お父さんでした。
ここで作者は、
人は「気づくこと」と「何に気づくか」は別の話なんだよ。
と言っています。
勉強ができる人が人の気持ちに気づくとは限りません。人の気持ちがわかる人が味の違いに気づくとも限りません。
人には、それぞれ見えている世界が違うのです。
② この家族は、みんなお互いを観察している
ケーキの話になってから、この小説は一気に面白くなります。
みんな、お父さんのことをものすごくよく知っています。
いちご味のお菓子が好き
練乳だけ舐める
子どもの頃はシロップ薬を舐めたくて仮病を使った
ショートケーキのいちごをお母さんにあげていた
つまり、この家族は「他人に興味がある家族」なんです。
実は、仲の悪い家族や会話の少ない家族は、ここまでお互いのことを知りません。
何が好きで、何が苦手で、どんな癖があるのか。そんなことを知っているのは、長い時間を一緒に過ごしてきた証拠です。
作者は、「家族の愛情」を「好きだよ」という言葉ではなく、「観察していること」で表現しています。
③ 主人公は15歳だからこそ、この時間の価値に気づき始めている
タイトルは、
「井上家の食卓──15歳の夏──」
です。
もしタイトルが「井上家の夕食」だったら、ただの日常小説になってしまいます。
わざわざ「15歳の夏」と書いているのには意味があります。
15歳というのは、
子どもでもない
大人でもない
少しずつ家族の外の世界を見る年齢
です。
高校生になれば部活や恋愛、大学に進めば一人暮らしをするかもしれません。
つまり、この何でもない夕食の時間は、永遠には続かないのです。
作者は、15歳の主人公に、
「今、この時間って結構すごいことなんじゃないか?」
という気づきを与えています。
④ 「食べ物」は、その人の人生を表している
この小説には、たくさんの食べ物が登場します。
味噌汁
胡瓜の漬物
ハンバーグ
チーズ
ケーキ
苺
練乳
煮干し
紅茶
麦茶
実は、食べ物は単なる食べ物ではありません。
お父さんは、
「苺が好き」ではなく、「苺味が好き」
という少し変わった人です。
つまり、本物の苺よりも、「苺の楽しさ」や「甘さ」が好きな人なのです。
これは、お父さんの性格を表しています。
子どもっぽい
無邪気
少しズレている
だけど愛嬌がある
作者は人物紹介をほとんどしていません。食べ方や好き嫌いだけで、その人の性格を描いているのです。
⑤ 最後の一文が、この小説のすべて
明日の天気、晴れ。
この一文は、とてもきれいな締め方です。
冒頭では、
夏の虫が鳴いていた
家族が固まった
味噌汁の話から始まった
そして最後には、
夏の虫がまた鳴き始める
ケーキを食べ終える
明日は晴れ
となっています。
つまり、一つの夏の夜がきれいに円を描いて終わるのです。
さらに、「夏はまだ始まったばかりだ」という言葉には、
この家族の夏には、まだまだたくさんの思い出が待っている。
という意味もあります。
15歳の主人公は、今まさに「家族との何気ない時間が宝物になる年齢」に差しかかっています。
深掘りまとめ
この小説が本当に描きたかったのは、「味噌汁の出汁」でも「ケーキの取り合い」でもありません。
「人は、自分が思っている以上に、愛する人のことを見ている。そして、その何気ない時間は、いつか必ず思い出になる。」
ということです。
15歳の主人公は、この夏の夕食を通して、「家族とは何か」を少しだけ理解し始めました。だから最後に「明日の天気、晴れ」と書けたのでしょう。読後にほんのり温かい気持ちになるのは、この小説が“特別な出来事のない、特別な夏の一日”を丁寧に描いているからなのです。
