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月の蔵-あたう限りの肉体となりし眠姫ー第9話 手術 

#創作大賞2026
#恋愛小説部門

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手術

 心臓移植手術のカンファレンスが行われる会議室に入ると、薄暮のような光の中に張り詰めた空気が流れていたが、迎え入れてくれた藤木ふじき病院長の穏やかな笑顔がそれらを霧消させていく。

 ひと通り自己紹介が終わると、部屋の明かりが落とされてスクリーンにこれから行われる手術の概要が次々と映し出されていく。時折意見を交わしながら、皆の考えを同化させ成功への道筋を立てていった。

 明かりが再び灯され、医師、看護師、コーディネーターの自信に満ちた表情を互いに認め合い、カンファレンスは終了した 。

 ドナーからの臓器摘出は順調に進みそれを入れたアイスボックスの到着が待たれる。

 輝児は控え室に入ると開け放たれた窓から月の光が満ち溢れ彼の体を包んだ。両手を広げそれを受け止めながら真もこの光を受けているだろうか、いや確か関東は雨だったはずだ。

 大きく深呼吸をすると、それらの思いを頭から取り出し先ほどのカンファレンスの資料を今一度確認しようとしたとき、扉が叩かれた。

 返事をして開けるとコーディネーターの佐伯さえきが顎を少し引いて立っていた。

「三木先生、すみませんお願いがあって来ました」

「はい、何でしょうか」

「患者の須川良太さんが、高校の先輩だった先生に会って話したいと言っているのですが。須川さんのことはご存知ですか」

「はい、二学年下の後輩です。でも、彼は確か K市在住のはずでは」

「そうですが、レシピエントになられて病状が思わしくなく移植が可能なこちらの病院に転院されました。ご家族も共に転居されています」

「そうでしたか。わかりました、今からですか」

「はい、ご案内します」

 明かりの落とされた廊下は、昼の名残を示すかのように所々輝いて見える。渡り廊下を通るとき満月は容赦無く照らしまるで月へと導かれているように感じられた。

「綺麗な月ですね」

「ええ、全てうまくいくように思えます」

 佐伯の横顔には、人々を支えてきた自信とそれを力に変えていく謙虚けんきょさがあった。輝児は、そこから新たな力をもらう。

 白い扉の前に立つと、須川良太と書かれた名札が目に入ったが佐伯はそこを通り過ぎ、隣にある部屋の扉を開け中で少し待ってくださいと言い出ていった。

 空いた病室の丸椅子に腰を下ろすと、隣室での人の動きが感じられた。カーテンの閉じられた部屋でしばらく待っていると。窓の横にある扉が開かれてそこから佐伯が現れた。

「お待たせしました。ご家族の方がまだいらしたので、場所を変えていただきました。先生とのことは何も伝えていません。須川さんだけがご存知ですから。ご了承ください」

 彼女について隣の部屋に入ると、人工呼吸器と人工心臓の動く機械音が耳に届く。

「では、十分ほどで時間になったら迎えにきます」

そう言って一礼すると部屋を出ていった。輝児は目を伏せたままベットの脇に置かれた丸椅子に腰をかける。

「三木先輩。お久しぶりです」

 くぐもったその声に顔を上げるとそこには、髪型は変わっていないが顔は白く口と鼻は人工呼吸器のマスクに覆われベージュ色の寝巻きから伸びる腕は細く、彼に鉄拳を与えた手にはもうその力は残っていない。

 輝児は椅子をベッドに引き寄せ状態をかがめると顔を近づける。するとその姿を捉えた瞳は黒く強い光に満ちていた。

「須川君久しぶり。私に話したいことがあるそうだね」

「はい、僕は運がいいな」

そう言うと笑い声が起こりその後少しむせてしまった。輝児はサッと良太の手首を掴み脈拍を確認する。弱々しい脈動が微かに触れる。

「大丈夫です」

 一呼吸置くと

「先輩に会って殴ったことを謝りたかった。ごめんなさい」

 はっきりとした謝罪の言葉を聞くとは思っていなかった輝児は相手の顔を見つめる。

「あの後、先輩を悪者にして、自分を誤魔化していたことに気が付きました」

「それはどう言うことだい」

 良太は視線を外すと天井に目をやり

「今は真と一緒ですよね」

 話題が変えられる。

「ああ、君の鉄拳制裁で私は目が覚めてね、あの後すぐに彼のいるところに留学し、それからはずっと一緒にいる。謝られるよりむしろお礼を言いたいくらいだ」

「それは良かった。僕と真逆です。僕は、それを知って今の生活を選びました」

 今の生活、妻と子どものいる生活のことを言っているのか、と言うことは

「君は真のことが好きだったのかい」

 輝児は思い切って聞いてみる。脈拍が少し大きくなる。

「真は僕の憧れで、彼のためならなんでもできそうな気になっていました。でも、正直わかりません。それに、転校してきたばかりなのにあなたがもうすでに傍にいましたから」

 二人は自分自身ではどうしようもなく、捉えどころのない心と体を持ち合わせていたあの頃を振り返っていた。

「そうだね。お互いすっかり大人になってしまった」

「あの、お願いがあります」

 良太が体を起こそうとし、輝児は立ち上がると彼を元の姿勢に優しく戻す。

「動かないで、そのままでいいから言ってごらん」

 良太は少し俯くと、思いを決したように相手に顔を向ける。

「手を握ってもらえますか」

 良太は黒い瞳で見つめたまま、繋ぎ止めるように輝児の手を握りしめる。手の冷たさが彼の熱を侵食していく。

 良太は輝児の両掌の温もりに、真を感じていた。いつも身近にいてくれた彼の熱が伝わってくる。

 輝児は相手の呼吸と脈が落ち着き、体全体から安堵感を感じ取っていった。

「大丈夫」

彼はそう呟くと、良太も頷き

「ありがとうございました」

そう言うと自分から手を解いていった。

 部屋に響く機械音は間も無く消え去り。彼の鼓動が新たに生まれてくる。そのことを互いに確信し合い二人は別れた。


 夜半に空輸された臓器は心保存液の中で、羊水で育まれた胎児のように命の芽生えをたたえていた。輝児が取り出すと掌の中で握り拳大の心臓は、生まれ変わるのを待ちわびている。

 藤木病院長はじめスタッフの適切な処置がなされていき、再び心臓は血液を運ぶポンプの役割を果たし始めた。

「相模教授、三木先生あとは我々で進めます。ご尽力ありがとうございました」

 深々と頭を下げる藤木院長、スタッフに答え二人は手術室を出た。

「無事に終わって良かったな。しかし、移植手術の体制が整わないと小耳には挟んではいたが」

 教授は手術着を脱ぎながら溜息をつく。すると、叩かれると同時に開かれた扉から片野が慌てて入ってきた。

「終わりましたか。三木先生、すぐ電話に出てください」

 そう言うと呼び出し音の鳴っている彼の携帯を手渡した。画面には、大木英治の名があり

 応答する声が聞こえた。

「もしもし、三木ですが」

「ああ、輝児君」

 大木の声が途絶える。

「どうかしましたか」

「輝児くん、真君が事故にあって亡くなった」

「はい」

 輝児の間延びした声が響き、教授と秘書は彼を見つめる。

「信じられないが、亡くなったんだ」

 輝児はその言葉を認めると、全ての感情を封印し落ち着いた声で答える。

「わかりました。付き添ってくださってありがとうございます。直ぐに行きます」

「いや、気持ちはわかるが、もう夜遅い朝来るといい、それまでは私たちがついているから安心してくれ」

「わかりました。ありがとうございます。では、失礼します」

 そう言うと片野に携帯を渡す。片野はそれを受け取ると、すぐに飛行機と車の手配を始める。

「三木君何があった」

 相模教授は、立ち尽くす彼に声をかけると、

「真が事故で急逝きゅうせいしました」

 と言う言葉が発せられた。

「まさか」

 教授は言葉を失った。その気配を感じた輝児は、ゆっくりと体を教授の正面に向けると

「大丈夫です。いや、申し訳ありませんが、朝一番に帰らせてもらいます」

「ああ、もちろん。片野君手配はできるかい」

「はい、7時のフライトが取れました」

 教授は輝児の肩に手を回すと控え室へと誘導しながら片野に幾つかの指示を与えていった。

 二人は部屋のソファーに腰を下ろした。輝児が口を開く。

「いつかは、必ずこうなるといつも二人で話していました。お互い納得していました。だから、大丈夫です」

そう言って教授を見つめる目は赤く色を失っている。

「わかったから、今はこれを飲んで明日の朝まで休みなさい」

 幼い子どもを諭すように、教授は片野が用意した睡眠薬を輝児に飲ませるとベッドで眠るように促し彼も素直にそれに従った。

 開け放たれた窓には、西へと帰路を急ぐ満月の光だけが映っていた。相模教授は、それを断ち切るように分厚いカーテンを閉めると部屋を出ていった。

 暗闇は輝児を眠りの淵へと沈めていく。

第10話 隠滅 >>

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