月の蔵-あたう限りの肉体となりし眠姫ー第11話 塵煙
塵煙
寝台車の中で片野は、遺体の横に座りビニール袋に入った携帯の画面を見つめていた。
待ち受けには、青いシャツに身を包み体を撮影者の方に向けている三木がいた。その瞳はまるで虚空を映し出すように黒く澄み渡り、真っ直ぐに相手を見据えている。
それは昨日見た三木の携帯の画面と重なっていることに気づき、彼は思わず目を閉じた。
画面に映る真の姿が瞼に残っている。三木と同じ場所時間に撮り合った画像の二人の瞳は重なり合い美しく同化を果たしまるでこの世とは別の次元に存在しているように見るものを誘う。
深い溜息が漏れた。それを聞いた納棺師が
「何かありましたか」
と声をかけた。
「いえ、ちょっと疲れていて」
「もう少しかかりますから、休まれてください。無理は体に良くありません」
「はい、そうします」
片野は、そのまま目を閉じると車の揺れに、まるで魔法にかかったように眠りに落ちていった。
斎場の駐車場に入ると見覚えのある車が止まっていた。
片野によると、遺体は病院を出て斎場に隣接した安置室で納棺を済ませてから火葬されると聞いていた。おそらく、相模教授経由で大木夫妻が片野に連絡し直葬の場所と時間を確認したのだろう。
輝児は斎場の中に入り待合所のソファに腰を下ろした。
一面が天井まで続くガラス張りで、目の前には緑の芝生が広がり、その先には雑木林があり遠くに青く山並みが連なっている。
街中より標高が高いせいか目につく桜の木の蕾は固い。片肘をつき青空の下に広がる景色をぼんやりと眺めていた。
いったい自分は何のためにここにこうやって座っているのだろうか。考えを巡らす。
ああそうだ、指ならよかったかな。右手の人差し指をもらっておけば良かった。
眠姫は唇に指を当てる仕草をよくしていたから。
輝児は人差し指を唇に当ててみる。そうか。眠姫は王子が来るまで眠り続ける。ああ、もし指をもらってしまったら今度会った時に困ってしまうな。
指を外して宙に円を描く。青い山、緑の広葉樹、灰色のコンクリートそれらを円で包んでは切り取っていく。指の動きを止めると目を閉じた。
「三木先生、準備が整いました」
耳元で囁かれ、顔を上げると片野が立っていた。立ち上がり彼の後に続くと白い布に覆われた棺が目に入ってきた。
そのそばには喪服を着た大木夫妻が立ち、三木を認めるとお辞儀をした。彼もそれに応え向かい側に立つ。
「では、柩を炉に納めさせていただきます」
係がそう言うと白く細長い棺が炉の中へと飲み込まれ扉が閉められていく。
輝児は扉を見つめている。点火の音が響く。
先ほど切り取っていった景色が目の前に広がっていき、鳥のように飛び立っていく。沙知子がすすり泣く声が聞こえるなか、係のものが声をかけた。
「一時間ほどかかります。待合所の方でお待ちください」
それを聞いた輝児は、
「私たちはこれで失礼します」
そう言うと名刺を取り出し、係のものに手渡すと
「遺骨の件は片野君から聞いていると思いますが、遺灰を粉骨にしていただいたら、こちらの方に連絡してください。受け取りに行きます」
それを聞いた沙知子がハンカチで目を押さえながら
「お骨を拾わないなんて、輝児さんあなたは何を考えているの。真が・・・」
言葉は突然途切れ、二人の間に割って入り今にも輝児の胸を掴みそうになった。彼はそっとそれを押し退けると両手を差し出し
「今日、私はこの両手に何を持っていたとお思いですか」
紗知子は不思議そうにその両手を見つめ相手の言葉を待っている。片野が大木の顔を見る。二人の合った目は戸惑いに溢れている。
やはり輝児は気づいていたか。二人の心に同じ言葉が浮かんでいた。
大木は妻のそばにより彼女の両肩を掴むと輝児の顔は冷徹な形相に怒りが込み上がっている。
「輝児君、やめなさい。あとは私たちに任せて帰りなさい」
沙知子は夫の強い語気に気押されその脇に寄った。
「三木先生行きましょう」
片野が声をかけ、腕を取ろうとした相手は思いを吹っ切るように大きく体を翻し斎場を出ていった。
ドナーの心臓。その心臓に私たちは新しい命を与えた。
真は死んではいない。ドナーとなった瞬間、真の全ては私の中で生き続け、私の命が尽きたとき、初めて真の死が完全となる。
輝児は心の中で叫んでいた。
車の前に来ると輝児は後部座席のドアを開けていた。
片野は助手席の扉に立っている。輝児はゆっくりと後ろを振り返った。大きなガラス窓に覆われた建物に先ほど見ていた風景が映し出されているだけで彼の後には誰もいない。彼は少し笑い声を上げた。
「習慣って怖いな」
そう言うと扉を閉める。風が吹いた。周りの木々が一斉にざわめき始める。先程の輝児の行動を慰めるかのように。
片野は助手席に座り、しばらく扉の側に佇み風を受けている輝児が乗り込むのを待っていた。扉が閉まる音とシートベルトを引き出す音が響く。
片野を家に送り届けようと言う輝児に、お腹が空いたから昼食をとりましょうと提案した。そう言われれば昨日から何も食べていなかったなと言い相手の提案を受け入れ片野は店に予約を入れるとカーナビに店の場所を入力する。
「手慣れたものだね。君は食べ物にうるさいのかい」
「いえ、相模教授のおかげです」
その答えに輝児は相手の顔を見疑問を投げかける
「相模教授の食事って張り込みの刑事って言われてるけど。いつも菓子パンと牛乳やジュースじゃなかったっけ」
「ええ、そうです。その方が仕事に集中できるとおっしゃってますが、病院の外では、あれこれうるさくて、出かける度に色々店を指定されたり探すように言われたりしています。これからいくところも、教授のお気に入りです。直葬の後なので、普茶料理にしましたが」
「そうなんだ。普茶料理か懐かしいな」
車を始動させながら言った輝児の言葉に驚いた片野は
「知っているのですか」
「ああ、父がね黄檗宗の僧なんだ。お寺でよく食べていたよ。好きじゃなかったけどね」
「じゃあ変えましょうか」
「子どもの時のことだから、大人になった今はもう大丈夫だよ。お気遣いありがとう。本当に昨日から助けてくれて感謝している」
「いえ、気にしないでください。当然のことですから」
輝児は少し窓を開ける。通り過ぎていく春の風が後部座席の存在を優しく誤魔化してくれていた。
食事が終わりかけたとき時計を見た片野が
「一つお願いしていいですか」
「何、いいよ」
箸を置いて輝児を見た片野の表情が柔和になっている
「保育園に娘を迎えに行きたいのですが」
そう言う相手の表情に、ああ、これが父親の顔なのだなと思いながら
「構わないよ。保育園に寄って家まで送り届けるよ」
「保育園まででいいです。チャイルドシートがない車に乗ってしまうと交通違反になりますから」
「そうなんだ、じゃあ保育園までで、娘さんは幾つになるの」
相手の携帯画面を見ながら言う。それを感じた相手は、赤ん坊を抱いた片野と妻の画面を見せる。
「八ヶ月になります。伝い歩きが始まって目が離せませんよ」
「可愛いね」
笑顔の赤ん坊は無垢の塊のようだ。
子ども、他人同士がお互いの遺伝子を繋ぎ止め生まれ出た者。そして、血縁が出来上がりその繋がりが良くも悪くも社会の中で重要視される。
真は自分とは全くの他人だ。社会的な繋がりなど無い。お互い信頼し合い心身ともに繋がり合っているにもかかわらず。一枚の公的な紙切れが無いばかりに社会から一歩追い出される。
今、相手を失った自分は社会の中に戻れるのだろうか。いや、変わりはしない。いや、戻りたくもない。
「大丈夫ですか」
心配そうに顔を覗き込む。
「ああ、平気だよ。いつもの癖でね、ついつまらないことを考え込んでしまうから。では、行こうか」
二人が店を出ると、いつの間にか青空は灰色の雲に覆われていた。
家に帰り着くと輝児は、相模教授を始め関係者に一通り報告を終え真の部屋へと入っていった。
閉まったままのカーテンを開ける。
灰色の空の底辺が薄赤色に染まっていた。明日は晴れるのか、そう思いながら窓を開けると部屋の空気が外へと流れ出ていく、彼は思わず窓を閉めた。
真が連れ去られる気がしたからだ。馬鹿だな。そう呟くと真のベッドにうつ伏せ目を閉じた。
