月の蔵-あたう限りの肉体となりし眠姫ー第15話 送別
送別
白いグラジオラスの花々が、緑の芯を従えて起立している。その横には写真パネルが飾られていた。輝児は、その前に立とうとしたが写真の人物と対峙する勇気がない。そんなためらいを見せている彼に堀が声をかけた。
「気に入りましたか」
相手の存在に気付いてなかった輝児は、驚いて一歩後ろに下がってから顔を合わせる。
「堀社長、今日はありがとうございました。多くの方が集まってくださって、正直戸惑いましたよ。それにこの写真」
仲間を得た強みか、ようやく彼は写真の中の真の笑顔を見つめることができた。
「ついこの前インドネシアに行った時の写真だよ。訃報を聞いた現地スタッフが、送ってきてくれた中から皆で選んだ一枚さ。取り囲んでいる患者さんやスタッフが彼の全てを物語っている写真だからね」
「そうですね。僕の知らない真です」
その言葉には、彼の満たされた思いがあった。
お別れ会の最後に挨拶をした輝児は
「自分の知らない真が皆さんの心の中にいます。その真を大切にしてあげてください。ありがとうございました」
と締めくくっていた。彼らしいなと、堀社長は思っていた。
互いに依存し合いながらも、立場を理解し合い独立している。均衡の取れた関係。たとえ相手の存在が失われたとしても、その均衡は失われない稀有な関係。ある意味羨ましくもあったが、これは真似をしてできるものではない。彼らが生み出した宇宙の均衡だから。
「この前言っていた、京都のアテンドの件だけど」
二人は会場の片付けをしている係の間を抜けて廊下へと歩いていく。
「はい、真のことでカーンからお悔やみの電話をもらいました。今回の研修ツアーのことも聞き、再会する約束もできています。僕も久しぶりに京都に行くことができてよかったです」
「カーンが真と知り合ったのは、日本の大学に留学してた時だね」
その時、受付をしていた片野の声が聞こえてきた。
「もう会は終了したのですが」
「飛行機が遅れてしまって、間に合いませんでした。会費を受け取ってください」
「でも」
「寄付という形でいいですから」
男の声に二人は様子を見に行く。
「どうしました」
堀の問いかけに振り返った男は、輝児を認めた。
「三木先輩。久しぶりです。K学院で、桧垣真君と同窓の倉田和樹です」
相手の顔をしばらく見つめてから、輝児はふと思い当たった。
「この前空港で真と再会した倉田君」
「そうです。この度は、なんとお声かけしていいのか分かりません。とても残念です。ご愁傷様でした」
そういうと深々と頭を下げた。
「倉田君、この前うちの社に電話してきたのは君だね」
堀が問いかけると
「そうです。良太の心臓移植手術が成功したことを真に伝えたくて、連絡先を探していたら御社がわかり、電話を入れました。でも、亡くなったと聞かされて、思わず電話を切ってしまい、とてもその事実が信じられなくて、少し落ち着いてから、ボランティア先に確認をして、すみません」
堀に頭を下げる。
「いや、私だって今も信じられない、君の気持ちはよくわかる。それで、この会のことを知ったわけだね」
「はい」
「ありがとう。倉田君、真に会ってくれるかな」
そういう輝児の顔を不思議そうに見つめる倉田の背に手を当てると、再び人が行き交いテーブルや椅子が運ばれていく会場へと誘っていく。
祭壇の上のグラジオラスの花瓶は片付けられていた。一枚のパネル写真が、尋人を待ち受けていた。
「まこと…」
倉田は写真の前に両手を付くと項垂れた。両肩が、背中が徐々に震えていき、嗚咽する声が静かに伝わってくる。
その気配を感じた人々は立ち止まり、作業の手を止め改めて失われた笑顔に黙祷する。
「須川良太はね、良太の心臓はね、生まれ変わったよ。また、彼の鼓動を打ち始めたって伝えたかったのに。真の心臓が止まってしまったなんて、嘘と言ってくれるかい」
「『嘘じゃないよ。本当のことだよ、遠くから会いにきてくれてありがとう。良太のことは頼んだよ』真はそう言っているよ。彼は大丈夫だから、本当に来てくれてありがとう」
背後から輝児の声が響いてくる。
それはまるで真の声と同調しているように優しく和樹の悲しみを和らげていく。顔を上げて、人々に囲まれ幸福なひとときの中で笑顔を見せている真の顔を直視すると、和樹はメガネを外しハンカチで涙を拭き一礼した。
輝児に背中を支えられながら会場を後にする時、もう一度振り返って祭壇のパネル写真を見ようとしたがそこにはもう真の姿は無かった。
廊下に出ると、片野がやってきて
「こちら領収証になります。ご協力ありがとうございました。寄付の使途明細は改めて書類で報告させていただきます」
封筒を和樹に手渡す。その様子を見ていた輝児が
「倉田君、帰りの飛行機は取ってある、よかったら空港まで車で送ってあげるよ。堀社長、お先に失礼して良いですか」
「ああ、いいよ。また、連絡するね」
「はい、ありがとうございました、今後ともよろしくお願いします。片野君も、ありがとう、また、職場で会おう」
「はい、お役に立ててよかったです。倉田さんも気をつけてお帰りください」
二人は改めて挨拶をすると、重厚な会館の階段を降りていった。
車に乗り込み、目の前に広がる公園の桜並木を走り抜けて行く。桜の木々は桃色に染まったことなんか忘れてしまったように、新緑を際立たせ始めている。
「桜の満開の頃は綺麗でしょうね」
「そうだね。でも、人は花が終わると木々のことを忘れてしまう。そうか、来年は皆でお花見ができるね」
輝児の言葉に和樹も顔を上げると、
「そうですね。良かった、楽しみです」
と言ってから
「すみません。不謹慎なことを言って。もう真はいないのに。良太のことばかり言って」
車は風をきって一般道から空港へ向かう高速へと緩やかな坂を上がっていく。目の前に青い空が広がっていき、白い三日月の穴が開いていた。月を認めた輝児がそれに答える。
「良太君は、襲ってくる死に苦しんだが、それを撃退することができた。良かったじゃないか。真はもう安らかに眠っている」
軽くハンドルを握り直すと、輝児は眠姫の寝顔を思い出していた。永遠の眠姫にそれは今変わってしまっていたが。
「遠いところを来てくれて本当にありがとう。良太君は、順調なのかい」
「はい、でも今いる病院から地元に戻るのはしばらくかかりますが、移植を待っている時のことを思うと比べものになりませんね」
「そうだね」
穏やかな話ぶりに、学生の頃と変わっていない芯のブレない先輩の姿を見出すことができた和樹は
「先輩は、大丈夫ですか」
と相手を思いやる視線を送る。それを受け止めると
「ありがとう。大丈夫だよ。僕は昔から完璧な先輩だろ」
そう言って軽く胸を張る。その横顔はあの頃と変わらない自信に満ち溢れている。
ああ、この人だから真は共に歩む道を選んだんだ。きっとこれからもこの二人は一緒に歩んでいくに違いない。
和樹はまた、空港で今度は真の恋人と食事をすることになるとは思いもしなかった。
窓硝子に映る少し色目の薄い青空を見つめながら、これは踏んでも良い地雷ですよねと冗談めかしく不動明王に聞いてみた。明王は含み笑いで答えただけだった。
搭乗口まで送り届けてくれた輝児は、最後に和樹に言った。
「真はこの前君が会った時のままでいさせてくれるかな」
その言葉を聞いた和樹は、相手の中に潜む悲しみに心が少し震えた。
「分かりました」
「特に、良太には。約束してくれる」
「はい」
そう言うと和樹は右手の小指を差し出した。輝児もそれに答えて小指を硬く結ぶ。
「ありがとう」
「さようなら」
自動ドアを通り抜けながら、和樹は輝児が須川のことを良太と名前で呼んだのが気になったが、荷物検査員に声をかけられ、慌ててカバンと携帯電話を取り出し、籠とトレーに置いた。
その瞬間思いは途絶え、今回の突然の小旅行の言い訳をどうしたものかとその理由を考え始めていく。
