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基礎年金のCR化構想 - その裏側 -(1)



第1回

なぜ日本の年金は「わからない人が損をする制度」になったのか


—— 複雑さは不可避ではなかった ——


はじめに

年金制度は、理解できた人への報酬であってはならない。
老後の安心は、知識量や情報感度によって左右されるものではないからだ。
それにもかかわらず、日本の年金制度は長い間、

  • よく調べた人は損をしにくく

  • 知らなかった人ほど不利になる

という構造を内包してきた。
なぜ、こうなったのか。
そして、それは本当に避けられなかったのか。

本稿では「制度の中身」ではなく「制度の構造」に注目し、
日本の年金が「わかりにくくなっていった過程」を整理する。


「年金は難しいから仕方ない」は、本当か


年金の話になると、多くの人がこう言う。

「制度が複雑なのは仕方ない」
「国の制度だから、どうせ理解できない」

だが、これは半分しか正しくない。複雑なのは事実だ。しかし、複雑である必然性があったかどうかは、ほとんど検証されてこなかった。

制度が複雑になるとき、そこには必ず理由がある。

  • 異なる目的を一つにまとめた

  • 異なる財源を混ぜた

  • 異なる人たちを同じルールで扱った

日本の年金制度は、この「混ぜ方」に大きな特徴がある。


年金制度の「混在構造」

日本の基礎年金は、一見すると「全国民共通の制度」に見える。

しかし中身を分解すると、
性質の異なる3つの要素が一つの箱に詰め込まれている。

  1. 全国民共通の最低保障

  2. 保険料に応じた給付

  3. 就労形態による区分(第1号〜第3号)

本来であれば、

  • 最低保障 → 税方式

  • 保険料対応 → 保険方式

と分けて設計されるべきものが、一体化されたまま運用されてきた。
この「混在構造」こそが、制度のわかりにくさの根源にある。


免除制度が生む、最大の矛盾


この混在構造は、具体的な矛盾を生み出す。
その代表例が保険料免除・猶予制度だ。

失業や低所得によって保険料を免除・猶予されると、将来受け取る基礎年金は減額される。つまり、今が苦しいから免除を受けた人が老後も苦しくなるという構造になっている。

最低限の生活を守るはずの制度が、人生のある局面で困窮した人に二重の不利を課している。これは「運用の問題」ではない。設計の問題だ。

共働き世帯、専業主婦世帯、自営業者、それぞれが抱く『なんとなくの不公平感』の正体をここから解き明かしていく。


第3号被保険者という、もう一つの歪み


もう一つの象徴的な例が第3号被保険者制度である。
会社員に扶養される配偶者は、自ら保険料を納めなくても基礎年金の受給資格を得る。一方で、自営業者などは満額の保険料を負担する。

この違いは、個人の努力や選択では説明できない。

第3号制度は「基礎年金が保険料で成り立っている」という前提の上に作られた。しかし、実際には基礎年金の財源の半分は税で賄われている。

前提と実態がズレたまま制度を重ねた結果、不公平感と複雑さが拡大した。


問題は「誰が悪いか」ではない


ここまで書くと、誰かを批判しているように見えるかもしれない。
だが、そうではない。この制度は、その時々の社会状況に対応するために善意で継ぎ足されてきた。

  • 低所得者を守るため

  • 専業主婦を不利にしないため

  • 急激な変化を避けるため

一つひとつの判断は理解できる。

問題は、全体構造を分解しないまま対処療法を重ねたことだ。


「わかりにくい制度」は、必ず人をこぼす

制度が複雑になると、必ず起きることがある。
それは、制度を知らない人が脱落することだ。

  • 免除申請を知らなかった

  • 手続きが難しくて諦めた

  • 自分が対象だと思わなかった

こうして、制度上は存在するはずのセーフティネットから人が静かに落ちていく。これは個人の責任ではない。設計の責任だ。


では、どうすればよかったのか?


ここまで読んで、こう思った人もいるかもしれない。

「だったら、もっと単純にすればいい」
「全部税でやればいいのでは?」

実際、そうした案には大きな魅力がある。

だが、制度設計の現場では、
「正しい案」がそのまま「選べる案」になるとは限らない。

なぜ、一見もっとシンプルな解決策が採用されなかったのか。その理由を知らなければ、どんな改革案も「机上の空論」に見えてしまうだろう。


数字を置いた瞬間、改革は止まる


制度改革の議論は、たいてい抽象の段階では支持される。
理念は正しく、方向性も理解でき、問題意識も共有される。
ところが、そこに具体的な数字を置いた瞬間、空気は一変する。

「いくらかかるのか」
「誰が負担するのか」
「結局、増税なのか」

こうした問いが出た時点で、議論は設計の是非ではなく、感情と立場の衝突に変わる。年金改革は、その典型例だ。

本来、数字は制度を前に進めるためにある。しかし現実には、数字は改革を止めるための材料として使われることが多い。負担の大きさが強調され、世代間の対立が煽られ、制度全体の意図は切り刻まれる。

だからといって、数字から逃げることはできない。数字を出さない改革論は、現実に触れた瞬間に信用を失う。私はこの構想を考える最初の段階から、「財源中立」という条件を自らに課した。

それでもなお、最後まで迷った判断がいくつもある。正しさの点では捨てがたい案、思想的には美しいが通らない案、そして、少し現実に寄せたことで批判されかねない案。

本稿では、その判断に至るまでに、どれほど多くの「選ばなかった道」が存在したのか、その輪郭だけを示すに留めたい。

制度改革の本当の難しさは、設計ではない。
数字を置いた瞬間に、それでも前に進めるかどうかにある。


なぜ、一見もっとシンプルな解決策が採用されなかったのか。その理由を知らなければ、どんな改革案も『机上の空論』に見えてしまうはずだ。

次回(第2回)では、私が設計の過程で直面した『3つの大きな壁』について書く。それは「制度の話」ではなく、判断の記録である。

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基礎年金のCR化構想



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