共和制は王を捨てきれなかった――中立的権力と実質的共和制から読む現代ヨーロッパ
以前、『天皇を政治利用するな――形式的共和制と実質的共和制から考える日本のCrowned Republic』という文章を書いた。
そこでぼくは、共和制を二つに分けた。
一つは、形式的共和制である。
王や皇帝を国家元首とせず、共和国を名乗っていること。これは普通の政体分類である。
もう一つは、実質的共和制である。
権力が法によって拘束されているか。誰が何を決めたのかを特定できるか。政権交代が現実に可能か。政治権力と国家の権威が分離されているか。公的な批判によって制度を訂正できるか。そして、その時々の政権を超えて国家を次の世代へ継続できるか。
こちらは政体を二つの箱に分類するための定義ではない。
理念型である。
中国もロシアも北朝鮮も、形式的には共和国である。
英国もデンマークもスウェーデンもノルウェーも、日本と同じく形式的には君主国である。
それだけで話を終えるなら、中国や北朝鮮の方が英国やスウェーデンより「共和的」という奇妙なことになる。
だから、形式ではなく実質を見よう。
前稿で言いたかったのは、まずそれだった。
今回は、その議論をもう一段進めたい。
共和制は、本当に王を乗り越えて成立したのか。
王政から共和政へ、さらに民主政へ。
その道筋は、本当に近代化の一本線だったのか。
そして現在のヨーロッパを見たとき、王を残している国々は、共和国になり損ねた遅れた国々なのか。
結論を先に言う。
違う。
共和制の成立史そのものが、そんな単純な進歩史観では説明できない。
そして現代ヨーロッパの政体を並べても、共和国であるという形式は、共和制の実質を保証しない。
むしろ共和制は、王を捨てたあとも、王が担っていた機能の一部を捨てきれなかった。
1. 共和制論は、なぜ王を敵にするのか
共和制という言葉には、どうしても反君主制の響きがある。
歴史的には当然である。
王権に対して人民主権を掲げる。
世襲的支配に対して政治的平等を掲げる。
臣民に対して市民を置く。
専制に対して法の支配を置く。
フランス革命以降の政治史を学校で習えば、王政から共和政への移行を、自由と民主主義の拡大として理解するのは自然である。
そして、この理解は政治的左右とも結びついてきた。
君主制は保守。
共和制は左翼。
王室を守るのが右。
王室を廃止するのが左。
もちろん、歴史的にはそういう対立が実在した。
だが、それをそのまま政体の優劣にしてよいのか。
王がいない国ほど共和的なのか。
ここで一度、近代共和制の原点に戻る必要がある。
2. 次の事実は、ほぼ教科書的である
1789年、フランス革命が始まる。
1792年、王政が廃止され、第一共和政が成立する。
しかし、その後のフランスは、共和国として一直線に現在まで来たわけではない。
第一共和政。
総裁政府。
統領政府。
ナポレオンの第一帝政。
ブルボン復古王政。
七月王政。
1848年の第二共和政。
ルイ=ナポレオンによる第二帝政。
1870年以降の第三共和政。
政体は何度も変わった。
革命によって王を倒した。
だから共和国になった。
共和国になったから民主主義が定着した。
そんな単純な話ではない。
フランスの近代政治史そのものが、共和政、帝政、王政の間を往復している。International IDEAによる現在のフランスの国別概説も、近代フランスが革命以後、共和国と君主制を含む複数の体制を経験してきたことを前提としている。
重要なのは、これが歴史学の細かい論争ではないことである。
高校世界史程度の概観でも分かる。
「君主制は前近代、共和制は近代。歴史は前者から後者へ進歩した」という図式は、共和制確立期の中心国だったフランスそのものに当てはまらない。
では、何が難しかったのか。
王を倒すことではない。
王を倒したあと、王が占めていた場所をどうするかだった。
3. コンスタンの「中立的権力」
ここでバンジャマン・コンスタンが出てくる。
コンスタンは、フランス自由主義を代表する政治思想家の一人である。
彼が考えた重要な問題の一つが、pouvoir neutre、中立的権力だった。
これは後に立憲君主制論として有名になる。
しかし、順序が重要である。
コンスタンが中立的権力の理論を最初から「王を残すため」に考えたわけではない。
その構想は、総裁政府期から統領政府期に書かれた『大国における共和政憲法の可能性についての未完草稿』に遡る。つまり、出発点は共和政をどう安定させるかという問題だった。その後、王政復古期の1815年に公刊された立憲政治論では、その中立的権力の担い手として立憲君主が位置づけられる。
なぜそんなものが必要なのか。
立法権がある。
行政権がある。
司法権がある。
権力分立はできる。
しかし、それらが衝突したらどうするのか。
行政と議会が行き詰まったらどうするのか。
その時々の政府とは別に、国家そのものの継続性を誰が担うのか。
コンスタンは、国家元首の権力と大臣の権力を区別した。
彼の有名な表現では、国家元首の権力は中立的であり、大臣の権力は能動的である。
政治を実際に行う者と、その政治的闘争から一定の距離を取って制度全体を支える者を分ける。
ここに、中立的権力の発想がある。
だから、本稿のタイトルで「共和制は王を捨てきれなかった」と言っているのは、共和国が王様を恋しがったという意味ではない。
捨てきれなかったのは、世襲君主そのものではない。
国家の継続性。
党派政治を超える国家代表。
政治機関相互の調整。
一時的な政府と国家そのものを区別する位置。
王が担っていた、そうした機能である。
王を廃止しても、この問題は消えなかった。
だから共和国は、大統領という国家元首を作った。
4. フランス第五共和政――中立的権力と政治権力の再結合
現在のフランス共和国を見ると、この問題はさらに面白い。
1958年憲法第5条は、大統領についてこう定める。
大統領は憲法の尊重を確保し、「その仲裁によって」公権力の正常な機能と国家の継続性を保障する。
さらに国家の独立、領土保全、条約の尊重を保障する。
「仲裁」。
「国家の継続性」。
コンスタン以来の中立的権力の問題が、ここにははっきり残っている。
ところが第五共和政の大統領は、単なる儀礼的元首ではない。
現在は国民の直接選挙で選ばれる。憲法第6条がそのことを明記している。
しかもフランス大統領には、首相任命、国民議会解散、国民投票、非常事態における強い権限などがある。
つまりフランス第五共和政では;
・国家の継続性を担う仲裁者
と、
・選挙によって選ばれ、政策を主導する強力な政治指導者
――が、同じ大統領というポストに重なっている。
これは中立的権力の完成形というより、むしろその難しさを示す。
大統領が国民全体を代表する国家元首でありながら、同時に特定の政治勢力の指導者でもある。
権威と権力は、かなり再結合している。
共和国になれば中立的国家元首の問題がなくなるのではない。
フランスはむしろ、その問題を強力な大統領制の内部に抱え込んだ。
5. ドイツ――王を捨てても、pouvoir neutreは残った
戦後ドイツは、逆方向の解を選んだ。
ワイマール共和国の大統領は強かった。
直接選挙で選ばれ、議会解散権を持ち、緊急命令権も持っていた。
その経験を受け、戦後のドイツ連邦共和国では連邦大統領の権力が大幅に抑えられた。
興味深いのは、基本法制定過程で pouvoir neutre という言葉そのものが出てくることである。
1948年のヘレンキームゼー憲法会議、さらに議会評議会では、国家元首を置くべきか、どの程度の権限を持たせるべきかが議論された。
ドイツ連邦憲法裁判所は2014年の判決で、その制定史を振り返り、連邦大統領を pouvoir neutre として捉える議論が存在したことを明示している。ヘレンキームゼー会議では、連邦大統領に憲法機関間の均衡を取らせるという考えがあり、議会評議会でも連邦大統領を国家統合の道徳的代表として位置づける議論がなされた。
もっと面白いのは、反対派まで同じ問題を認識していたことである。
大統領を置くことに反対した側からも、「pouvoir neutreなしでは済まない」という趣旨の議論が出ていた。つまり論争は、中立的な位置が必要かどうかではなく、それを一人の大統領に持たせるのか、別の制度で担わせるのかという制度設計の問題でもあった。
王はいない。
帝政でもない。
共和国である。
それでも、「政府とは別に国家を代表する位置をどう作るか」という問題は残る。
そして現在のドイツは、政治を主導する首相と、国家を代表し統合的役割を担う連邦大統領を分けている。
フランスは中立的権威と強い政治権力を大統領に重ねた。
ドイツは両者を大きく分けた。
どちらも共和国である。
形式的共和制という一語では、この違いは見えない。
6. 形式的共和制から実質的共和制へ
ここで前稿の区別に戻る。
ぼくは共和制を、王がいるかいないかだけで判定したくない。
次のような項目を見る。
第一に、権力が法によって拘束されているか。
第二に、誰が決定し、誰が責任を負うのかを特定できるか。
第三に、現実に政権交代が可能か。
第四に、国家の継続的権威と、その時々の政治権力がどの程度分離されているか。
第五に、批判、選挙、議会、司法その他の仕組みを通じて、誤った決定を訂正できるか。
第六に、一時的な党派や指導者が国家そのものを私物化せず、国家を次の世代へ継続できるか。
これを、現実の国家を二つの箱に押し込める定義として使うつもりはない。
理念型として使う。
現実の国が、どの程度この方向に近いかを見る。
その外部照合として、本稿ではInternational IDEAのGlobal State of Democracy Indicesも使う。
IDEAは民主政をRepresentation、Rights、Rule of Law、Participationの四つの大分類から測り、単一の「民主主義点数」にはまとめない。この点は本稿の考え方とも相性がいい。
ただし、そのままぼくの実質的共和制指数にするわけではない。
IDEAの指標には、Inclusive Suffrage、Gender Equality、Basic Welfare、Civic Engagementなど、自由民主政、社会民主主義、参加民主主義の異なる規範を組み合わせた項目が入っている。IDEA自身、その概念枠組みがelectoral、liberal、social、participatory democracyの複数の伝統を重ねていると説明している。
それはそれで一つの見方である。
だが、ぼくの実質的共和制と同じものではない。
だからIDEAは、判決文ではなく外部資料として使う。
7. ヨーロッパのOECD加盟国を全部並べる
ここで現代ヨーロッパを見よう。
都合のいい立憲君主国だけを選ぶのはやめる。
OECDは現在38か国で構成されている。
本稿では、そのうち欧州に位置する26か国に、欧亜国家でありInternational IDEA自身もEuropeの国別一覧に含めているトルコ共和国を加えた27か国を比較対象とする。
立憲君主国は8か国である。
英国
ベルギー
オランダ
ルクセンブルク
デンマーク
ノルウェー
スウェーデン
スペイン
共和国はその他の19か国となる。
フランス
ドイツ
イタリア
オーストリア
チェコ
エストニア
フィンランド
ギリシャ
ハンガリー
アイスランド
アイルランド
ラトビア
リトアニア
ポーランド
ポルトガル
スロバキア
スロベニア
スイス
トルコ
ここで大事なのは、君主国8か国を見つけて「ほら民主的だ」と喜ぶことではない。
共和国19か国も同じ比較対象に入れることである。
そうすると、形式的政体と民主政の実質が一致していないことがよく見える。
8. 北欧を見ると、形式論はほとんど役に立たない
いちばん分かりやすいのが北欧である。
デンマークは君主国。
ノルウェーも君主国。
スウェーデンも君主国。
フィンランドは共和国。
アイスランドも共和国。
これらは、いずれも民主政、法の支配、権利保障の強い国として知られている。
International IDEAでも、デンマークは四カテゴリーすべて高位で、全要素が世界上位25%に入る。2025年表示ではRepresentation、Rights、Rule of Law、Participationの四部門すべて1位となっている。
スウェーデンも四カテゴリーすべて高位で、Inclusive Suffrageを除く全指標が世界上位25%である。
ノルウェーも同じく高位群にある。
そしてフィンランド、アイスランドという共和制国家も高い。
ここから、
「君主制だから民主主義が強い」
とは言えない。
しかし同時に、
「君主制だから民主主義が遅れている」
とはさらに言えない。
北欧だけでも、後者の物語は壊れる。
王冠の有無は、民主政の質を説明する決定的変数ではない。
9. スウェーデン――王はいる。政治権力はない
スウェーデンは特に分かりやすい。
1974年の統治法によって、国王の政治的権力は大幅に削減された。
スウェーデン政府自身の説明では、国王は国家元首として残るが、「政治的権力を一切持たない」。首相任命を担うのも国王ではなく国会議長である。
形式的には君主国である。
しかし権威と政治権力は、徹底して分離されている。
王はいる。
政府を支配しない。
選挙に出ない。
政策を掲げない。
与党にも野党にもならない。
国家元首としての継続性と代表性は残す。
これは「共和国になり損ねた半端な民主国家」と呼ぶより、権威と権力の分離を非常に強く実装した政体と見る方が制度の実態に近い。
ぼくの理念型では、むしろかなり実質的共和制に近い。
10. デンマーク――政治をしない国王
デンマークも同じである。
王は国家元首である。
法律に署名する。
新政府を形式的に任命する。
国務会議にも関わる。
しかし王室自身の公式説明が、国王は政治に参加せず、政治的意見を表明せず、単独では政治行為を行えないことを明記している。法律も閣僚の副署なしには効力を持たない。
つまり、
権威は王。
政治責任は政府。
という分離が明瞭である。
しかもその国が、International IDEAで民主政の最上位群にいる。
「王がいるから遅れている」という説明は、かなり苦しくなる。
11. ノルウェー――憲法自身が君主制と民主政を並べる
ノルウェーはさらに露骨である。
憲法第1条は、ノルウェーの政体を「制限された世襲君主制」とする。
その直後、第2条は、この憲法が民主政、法治国家、人権を保障すると定める。
形式的君主制と民主的法治国家が、同じ憲法の冒頭に並んでいる。
行政権は形式上「King in Council」に属するが、国王の人格は責任を問われず、その責任は評議会、すなわち政府側にある。ノルウェー議会も、実際の政治的指導が内閣によって行われ、憲法上・議会上の責任も政府が負うことを説明している。
ここでも同じだ。
権威と責任を分ける。
権威を持つ者に政治責任を負わせない代わりに、政治をさせない。
政治をする者には責任を負わせる。
世襲であることだけを見れば非共和的である。
しかし権力を私物化させず、責任主体を政府に限定し、政権交代を可能にするという実質を見ると、別の像が出てくる。
12. スペイン――民主化のあとにも王は残った
そしてスペインである。
ここは、「ヨーロッパでは近代化すれば王制をやめる」という出羽守にかなり効く。
スペインはフランコ独裁の後、1970年代後半に民主化した。
近代民主政になる過程で、王を廃止して共和国へ移行したわけではない。
1978年憲法は、国王を国家元首として残した。
しかも第56条は、その機能を非常に明確に書いている。
国王は国家の「統一と永続性」の象徴であり、諸制度の正常な機能を「仲裁し、調整する」。国王の行為には原則として副署が必要で、国王自身は政治責任を負わない。
統一。
永続性。
仲裁。
コンスタンの問題設定と驚くほどよく似た言葉が、20世紀末の民主化憲法に現れる。
もちろん、だからスペイン民主化は王一人のおかげだった、などと言うつもりはない。
民主化は、旧体制内部の改革派、野党勢力、市民社会、政党、軍、社会運動、国際環境を含む複雑な交渉の結果である。
その後のフアン・カルロス1世個人を無条件に英雄化する必要もない。
重要なのは別のことだ。
スペインが独裁から民主政へ移行するとき、王を残したことは、民主化の未完成を意味しなかった。
新しい民主政の憲法秩序そのものが、国王に国家の統一、永続性、制度的仲裁という位置を与えた。
そして現在、International IDEAはスペインをRepresentation、Rights、Rule of Law、Participationの四カテゴリーすべてで高位に分類している。
王がいる。
民主政も成立している。
しかも王の制度的位置は、民主政以前の専制的王権の残骸というより、政治権力から切り離された国家元首として再設計されている。
これは日本を考える上でも重要である。
13. 共和国だから安心、でもない
では共和国側はどうか。
フランス、ドイツ、フィンランド、アイスランド、アイルランド、スイス、エストニアなど、実質的共和制の強い共和国はいくらでもある。
だから本稿は君主制礼賛ではない。
共和国を否定する文章でもない。
問題は形式だけで優劣を決めることである。
同じ共和国側には、ハンガリーとトルコもある。
International IDEAは現在のハンガリーを四カテゴリーとも中位とし、近年のRule of Lawなどに有意な後退を認めている。
トルコについてはさらに明瞭である。
Representationは中位だが、Rights、Rule of Law、Participationは低位で、多くの要素が世界下位25%にある。
また、2019年から2024年だけを取れば大きな変化はないものの、過去10年間では四カテゴリーすべてに有意な低下が確認されている。
前稿でぼくはトルコについて、
「実質的共和制は弱まりつつある」
と書いた。
今回、より正確に書き直すなら、
過去10年間に実質的共和制が大きく後退し、現在も低位にとどまっている
になる。
重要なのは、その国の正式名称にRepublicと書いてあるかどうかではない。
選挙は競争的か。
権力者を交代させられるか。
議会は行政権を監督できるか。
司法は独立しているか。
批判者は自由に発言できるか。
国家が特定の指導者や党派と同一化されていないか。
そこを見るべきである。
14. 王がいる8か国は、共和国になり損ねた国ではない
ここまでをまとめよう。
欧州OECD比較対象27か国のうち、立憲君主国は8か国ある。
英国。
ベルギー。
オランダ。
ルクセンブルク。
デンマーク。
ノルウェー。
スウェーデン。
スペイン。
これらは、形式的には共和国ではない。
しかし少なくとも、
王がいるために民主政が未完成である、
王がいるために法の支配が弱い、
王がいるために政権交代できない、
王がいるために政治権力が世襲されている、
というまとまりにはなっていない。
むしろ多くは民主政の高位群に属する。
一方、共和国19か国には、高位の国も、中位の国も、後退している国もある。
つまり現代ヨーロッパを全件で見る限り、
形式的共和制は実質的共和制の必要条件ではない。
同時に、
形式的共和制は実質的共和制の十分条件でもない。
これは別に、君主制の方が優れているという発見ではない。
もっと地味な結論である。
政体の名前だけでは、政治制度の質は分からない。
だが、その地味な結論は、「王政から共和政へ」という進歩史観にはかなり致命的である。
15. 共和制は、王ではなく王の機能を残した
ここでコンスタンへ戻る。
近代共和制は、世襲による政治支配を否定した。
それはよい。
王が政府を所有する構造を否定した。
それもよい。
しかし、王が政治権力を失ったからといって、
国家そのものを代表する位置、
その時々の党派政治から距離を取る位置、
国家の継続性を体現する位置、
制度が行き詰まった際に仲裁する位置、
まで不要になったわけではない。
だから共和国は大統領を作った。
立憲君主国は、王をその位置に残しながら政治権力を奪った。
フランスは国家元首と政治指導者を強く重ねた。
ドイツは分けた。
スペインは王に統一・永続・仲裁という機能を明記した。
スウェーデンは王から政治権力をほぼ完全に取り除いた。
制度解は違う。
しかし問いは同じである。
国家と政府をどう分けるのか。
これは、君主制だけの問題ではない。
国家を持つ限り出てくる問題である。
16. では、日本は何が特殊なのか
ここで日本へ戻る。
日本には天皇がいる。
だから前近代的である。
欧米のような民主主義国なら、いずれ共和制になるべきである。
そういう話を、ときどき見る。
だが、どの欧米なのか。
英国には王がいる。
オランダにもいる。
ベルギーにもいる。
ルクセンブルクにもいる。
デンマークにもいる。
ノルウェーにもいる。
スウェーデンにもいる。
スペインにもいる。
しかも、その中には世界でも最上位級の民主国家が複数含まれている。
「欧州では」という出羽守をやるなら、まず欧州を見た方がいい。
日本の象徴天皇制が欧州の立憲君主制とまったく同じだと言いたいわけではない。
歴史も法制度も皇位継承も違う。
日本国憲法は天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とし、国政に関する権能を持たせていない。
これはむしろ、権威と政治権力の分離を非常に強く行った制度である。
そこで問うべきなのは;
・王冠があるか
・世襲か
・共和国という名前か
――ではない。
・その権威が政治権力を支配しているのか。
・政治権力がその権威を利用しているのか。
・政治責任を負う者は誰なのか。
・政権は交代できるのか。
・国家と政権は区別されているのか。
それである。
17. 天皇を政治利用するな
だから前稿の結論も変わらない。
むしろ今回の比較によって、強くなる。
天皇に政治的発言をさせろ。
天皇のお気持ちを政権批判に使え。
国民に人気のある皇族を政治的正統性の供給源として使え。
それは、象徴天皇制を「民主化」することではない。
権威と政治権力を再結合することである。
政治家が天皇を利用する場合も同じ。
政府の政策に皇室の権威をかぶせる。
自分たちこそ皇室を守る側だと政治的正統性を得る。
これも権威と権力の再結合である。
天皇は政治権力を持たない。
だから弱いのではない。
政治権力を持たないからこそ、一時的な政権を超えた権威たりうる。
同じ構造は、形を変えてスウェーデンにもデンマークにもスペインにもある。
共和国でも、ドイツの連邦大統領のように、政治的権力から距離を取る国家元首をわざわざ置いている。
そう考えると、日本のCrowned Republicは、世界から孤立した奇妙な例外ではない。
現代国家が何度も直面してきた、
権威と権力をどう分けるか
という問題への、一つの制度解である。
18. 共和制は王を捨てきれなかった
王政から共和政へ。
共和政から民主政へ。
民主政から国境を超えた世界市民社会へ。
歴史を一本の矢印として描くことはできる。
だが、それは歴史そのものではない。
政治思想上の物語である。
フランス革命後の現実は、王政から共和政への一直線ではなかった。
コンスタンは共和政を安定させるために中立的権力を考え、それを後に立憲君主へ与えた。
共和国になったフランスは、大統領に国家の継続性と仲裁機能を与えた。
戦後ドイツは、再び pouvoir neutre をめぐって国家元首の位置を議論した。
スペインは独裁から民主政へ移行した後も王を残し、その憲法に「統一」「永続性」「仲裁」を書き込んだ。
北欧では、君主国と共和国が並んで高い民主政を実現している。
そして形式的共和国であるトルコでは、実質的共和制が大きく後退した。
これらを並べれば、少なくとも一つのことは言える。
共和制は、王を廃止すれば完成する制度ではない。
王を廃止しても、国家を誰が代表するのかという問題は残る。
国家と政府をどう区別するのかという問題も残る。
一時的な多数派が国家そのものを占有しないために、権力をどう拘束するかという問題も残る。
そして国民が、自分たちの国家を公共物としてどう引き受けるかという問題も残る。
ぼくが実質的共和制と呼んでいるのは、その側である。
王がいるかどうかではない。
権力が法によって拘束されること。
責任の所在が分かること。
政権が交代できること。
批判によって制度を修正できること。
国家の権威が一時的な政治権力に占有されないこと。
そして国家が、今の政府より長く続く公共物として扱われること。
共和制は王を捨てきれなかった。
より正確には、王を捨てても、王が占めていた場所をどうするかという問いから逃れられなかった。
その問いはいまも残っている。
日本にも残っている。
だから、天皇がいることを民主主義の遅れだと決めつける前に、まず問うべきことがある。
その天皇は、何を支配しているのか。
政府は、誰に責任を負うのか。
権力は、誰によって交代させられるのか。
国家の権威を、誰が政治利用しているのか。
共和制を見るなら、王冠ではなく、そこを見ろ。
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