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それは遅れてやって来た(世界について・03)

「世界は文字でできている(世界について・02)」の続きです。


まえがき


 今回のタイトルは「それは遅れてやって来た」です。 

「それ」は新入りなのに、いまではいちばん大きな顔をしています。そんな「それ」を、遅れてやって来たスーパースターではないかと思いながら、私は毎日感心して見ています。

 とは言え、「それ」は寡黙な存在でもあります。音がしないのです。音なし。その意味では、きわめて大人しい。無口なのです。私は「それ」の声を聞いたことがありません。

 お察しの通り、「それ」は文字です。

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 今回は、私にとって最も気になる存在である文字について書きます。

 とはいっても、私の記事のほとんどが文字について書かれているのです。文字という文字が出ていない記事はないのではないかと思います。

文字について


 思いつくままに書いていきます。

文字の習得には、とほうもない時間と労力がかかる。老人である私はいまも苦労しているし、この習得が終了する見込みはない、死ぬまで。いや、未了のまま死ぬのだろう。

*学習障害として文字の読み書きだけが極端に苦手な人がいる。私も会ったことがあるが、実に聡明で物知りで頭の回転の速い人だった。

*人類には無文字社会という選択もあった。たぶん。

*話し言葉(音)、書き言葉(文字)、表情、身振り、しるし・記号・標識を、広い意味での言葉と考えた場合に、文字がいちばん遅くやって来た。個人レベルでも、文字の習得がいちばん後になりがち。文字はいちばん遅くやって来る。

*文字(しるしも)は消えない(音声、表情、身振りは発したとたんに片っ端から消えていく)。しかも残る(もちろん消さない限り)。

*文字は複製。文字は複製として存在し広まり継承される。

文字は複製としてしか存在できないため、つかった瞬間に引用になる。ちなみに、固有名詞は最軽最薄最短最小でありながら最強の引用であり、その指ししめすものを知らなくても簡単に引用できるし、相手と自分をだませる。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は文字である(ですよね?)。それ以上でもそれ以下でもない。それ以上とそれ以下を、文字に見てしまうのが人間、a.k.a. ホモ・サピエンス。

*レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」という文字が、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」という人物と物ではないことくらい、誰も知っているし分かっている。それなのに、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」という文字を見た瞬間、それが文字であることを忘れてしまう。

*上で述べた、一瞬の「健忘症」は、一時的であったり、短期的であったり、長期にわたるものであったりする。くり返し起きるのである。

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文字は、起源のない引用。引用の引用、引用の引用の引用……。文字の起源やお手本のお手本をたどるのは現実的ではない。運よく、お手本が見つかっても、それにはお手本があったりする。

文字は、オリジナル(現物や実物)のない複製。複製の複製、複製の複製の複製……。文字の現物や実物をたどるのは現実的ではない。活字のオリジナル(母型や父型)を見つけても、それのオリジナル(手本)があったりする。

*文字は、人が自分たちの外部につくる複製である。自分たちの外部にあるから、人びとのあいだで互いに確認し共有できる。自分の中にあるものは互いに確認も共有もできない。たとえば、思いや夢や悟りが好例である。文字は、他人と確認も共有もできないもの(自分の中にあるもの)の代わりなのである。

*文字は、固定し、増やし、広め、残し、伝えるためにつくられる。ただし、何を固定し、増やし、広め、残し、伝えているのかは、おそらく人には分かっていない。何かに文字を当てているが、その何かもその文字も何なのかは、たぶん分かっていない。とりあえず見切り発車的に、当てているだけ。

人には文字というもののありようがつかめていない。なにしろ、文字は目に見えていて目に見えない(「猫」という文字を点と線からなる「形と模様として見る」と、文字は「見える」が文字は「読めない」、つまり「読む」とは文字を文字そのものとして見ないことにほかならない)。だから、文字のありようは見えないから、つかめない。そのありようがつかめないように、文字はできているのかもしれない。いや、そうにちがいない。

※「読む」という行為は、「猫という文字」を「猫というもの」と混同する習慣的行動である。このヒト特有の、混同・錯誤・同一視(組織的かつ体系的であるため制度と言っていい)については後述する。

*目の前にある文字を文字として見ないことから、すべての学問は始まる。目の前にある文字を文字(letter)として見ることから、おそらく文学と文芸(letters)が始まる。 

*文字は澄ましている。どういう経緯でそこにいるのか(あるのか)、見当もつかない。出自と素性と得体が不明。なんとなく、うさんくさい。その「なんとなく」が分からないという意味で(うさんくさいからうさんくさいのではなく)、うさんくさいのである。

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うさんくさいと言えば、文字は錯覚しないと読めない。

*たとえば、雪でもなく雪にぜんぜん似ていないもの、つまり「雪」という文字を雪だと決めて、それが雪だと生徒に教えて、何度も何度も書かせて覚えさせる。そのうち、生徒はその雪ではないものを雪だと学ぶ。それが国語教育にほかならない。以上述べたことは、あらゆる国と地域の公用語および国語教育とについても言えるだろう。世界標準の制度なのである。

*たとえば、日本語の文字を知らない人に、「雪」という文字を覚えさせるには、雪でないもの、つまり「雪」という文字を雪だと教える。言い換えると(別に言い換えなくてもいいが)、錯覚(事実誤認や同一視と言ってもいい、もちろんそう言わなくてもいいが)が錯覚ではなくて当り前だと思うまでくり返し覚えさせればいい。それが日本語教育にほかならない。以上述べたことは、あらゆる国と地域における外国語教育についても言えるだろう。世界標準の制度なのである。

※詳しくは、以下の前回の記事で。

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*文字は、表情、身振り、しるし・記号・標識、話し言葉につづいて、いわばスーパースターとして最後に現れた。いまでは、広い意味での言葉の中で、いちばんでかい顔をしている。

*言葉は「出る」、文字は「現れる」。

言葉は、あくびやおくびやくしゃみやしゃっくりやせきやいびきやため息や吐息や喘ぎのように、口から「出る」。つまり、生理現象(またはその延長)なのである(ただし、諸説あり)。生理現象という意味では、広義の穴から「出る」汗やおならなどと変わらない(諸説あり)。

※上の生理現象を英語にすると(上の日本語はおとなしめの露骨に響かない言葉を選んであるため)、yawn、belch・burp、sneeze、hiccup、cough、snore、sigh、gasp・pant というふうに、語のオノマトペ感(臨場感リアリティが増して、言葉(音声)という現象と口から出る生理現象が近く感じられる。あと、ついでに、sweat と fart・gas・wind も。ただし、五感と同様に、語感には個人間の互換性はないもよう。

*一方、文字は、上述の生理現象とは異なり、人の目の前で起こって「現れる」物理現象である。地面や壁面や皮面や板面や紙面上で、引っ掻く、描く、書く、塗る、彫る、最近では液晶や有機EL画面に触れるといった手の動きによって「現れる」視覚的に知覚される現象にほかならない。

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現在、ありとあらゆるものが、いわば最終的に、文字化されて保存されている。経典、聖典、法典、百科事典、辞典、史書、法螺話、夢物語、寝言、年表、文学全集、公文書、私文書、契約書、誓約書、条約、約款、メモ・覚え書き、落書き。

*文字(異物)は文字(異物)を産む(増えるのではなく殖える)。産み続ける(殖え続ける)。おそらく自立している。 

新しい文字がごく最近になって現れた。長いあいだ、文字は掻いたり描いたり書いたり彫ったり塗ったりするかたちで、写すものだった。そこに、唐突に画面に映す文字が現れた。

*キーボードに触れる形で機械の画面に映す文字は、存在感がいかにも希薄で、はかなげに見える。呼び出せば、すぐに画面に浮ぶのだが、いつまでもそこに映っているわけではない。画面の面積が限られているからだ。仲間同士で場(スペース)を譲り合っている。文書の多さにくらべて、画面はあまりにも狭く小さい。

画面に映っている文字は電力を消費する。バックアップをつくったとしても、それを再生する装置も電力を消費する。映っている文字の薄い存在感は、そんな致命的とも言える脆弱性と関係あるのかもしれない。

それに対し、長年生き延びてきた写す文字たちは、しぶとくたくまししい。物にへばり付いているからかもしれない。映っている文字が事(画面上でつぎつぎに消えていく出来事)だとすれば、写した文字は物だと言えそう。

*いつか、はるか未来に、ヒト以外の生き物が遺跡とか化石から、この写した文字を発見するかもしれない。その形と模様は、どのように見えるだろうか。

まとめ


*世界は文字でできている。ただし、諸説あり。たとえば、「世界は言葉でできている」説。

*「それ」は遅れて現れた。出たのではなく、現れたのである。

・「出るもの」は、いったん出たらそのままの形で、とどまることはなく、そそくさと何かに変化する。移り変わる。または、そのままの姿で移動する。万物流転、パンタレイ。具体的。体感的。日常的で、庶民的で、気さく。過客という感じ。たとえば、給料、給付金、保険金、年金、月、お日さま、星、ため息、あくび、くしゃみ。
・「現れるもの」は、いったん現れたら、しばらくそのままの形でいる。つまり、居すわる。しつこく、そのまま居すわり続けることもある。抽象的。視覚的。しつこい割には、とりとめがない。非日常的で気難しい。不在であっても遍在感を漂わせている主人(あるじ・おやじ・ぬし)という感じ。たとえば、新星、新人、スーパースター、彗星、天才、救世主、独裁者、正義の味方、助っ人、大物、神、〇〇の神さま、〇〇さま。
(拙文「言葉は「出る」、文字は「現れる」」より)

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