猫による猫のための散文詩
「私は猫です」と口にする猫がいます。「私は猫です」と書く猫もいます。広義の詩歌や、物語や、小説の中の話です。
漫画やアニメや絵本や童話や昔話にも言葉を話す猫が出てきます。神話にも出てくるかもしれません。
私やみなさんの夢や想像の中にも出てくるにちがいありません。
そのどれもが猫です。
同じ猫という言葉(音声)と文字が当てられていますが、現実の世界にいる猫ではありません。でも、私たちは区別はしません。
猫は猫なのです。
*
何を言いたいのかと言いますと、猫とは私たちのことだと言いたいのです。猫とは私たち人間なのです。
私は猫です。
これは猫が言っているわけはありません。現実の世界の猫が「私は猫です」だなんて口にしたら、その猫は隔離されて、さまざまな実験や研究の対象になるでしょう。
ヒトが放っておくわけがありません。こわいからにほかなりません。ヒトの言葉を話す猫なんて、一つ間違えば人類の危機につながりそうです。
ただでさえ、人類はさまざまな危機にさらされているのですから、これ以上の危機はかかえたくないでしょう。
*
猫は言葉を話す。猫は歌を歌う。猫は物語を語る。
そんなことはめずらしいことではないのです。
空を飛ぶ猫。月に行く猫。人間を飼っている猫。
そんな猫もめずらしくはありません。
猫という言葉と文字は、現実とフィクションの両方の世界でつかわれています。
*
猫を、犬や金魚や月や狼や石ころやタンポポや杉の木と置き換えても話は同じです。
どうして、こうなっているのでしょう。
たぶん、人は世界が人だと思っているのです。森羅万象が人だと思っているのです。
だから、人は人の言葉で森羅万象に呼びかけ、話しかけるのです。
そうです。言葉のことです。名前のことです。
*
人類は一貫して、太古から現在にいたるまで、擬人を基本とする呪術の世界に生きているのです。
(拙文「空を飛ぶ猫、言葉を話す猫、長靴をはいた猫」より)
*
言葉は何のためにあるのでしょう? 名前は何のためにあるのでしょう?
世界を手なずけるためにあるのです。ほら、名づけると手なずけるは似ているじゃありませんか。
金太郎飴がいつも言っているように。It is easier to name than to tame.
名づけて、手なずける。飼いならそうと思っているのです。誰がって人が。何をって森羅万象を。それ以外にあるでしょうか?
名づけて飼いならそうとしても、なついてくれるとは限らないのに、です。
*
名づけて、名前で呼ぶ。そうすることで、話しかけることができます。
たとえば、猫と名づけて、猫を呼ぶ。そうやって猫に話しかけるのです。それが、猫の出てくる話、猫の出てくる歌です。
そこでは、猫が人のように話します。人のように歌も歌います。
そこでは、猫が空も飛びますが、これは人が空を飛びたいからです。人が空を飛ぶ夢を見るからです。
きのう空を飛んだなんて、人が嘘をつくからです。空を飛ぶのは飛行機であって人ではありません。
そこでは、夢と現実と嘘の区別はありません。
そこっていうのは、言葉の世界のことです。文字の世界でもあります。
*
言葉の世界や文字の世界とは、歌の世界、物語の世界、小説の世界でもあります。
絵や漫画やアニメやゲームの世界ともつながっています。
言葉の世界や文字の世界は、夢の世界であり、嘘の世界でもあります。
そこでは、人が世界を、宇宙を、森羅万象を手なずけ、飼いならしているのです。
そこは、人が名づけた世界です。そこは、名前の世界です。言葉の世界です。文字の世界です。夢の世界です。嘘の世界です。
何でもありの世界です。何でも可能な世界です。
世界には名前なんてないのに――。世界は名前で分けられるものではないという意味です。
だから、そこは孤独な世界でもあります。
*
言葉をつかえば何とでも言える。文字をつかえば何とでも書ける。
そこは孤独な世界なのです。
なぜなら、「私は猫です」と猫が口にするような世界だからです。
何を言いたいのかと言いますと、猫とは私たちのことだと言いたいのです。
これほどの孤独があるでしょうか。これほどの孤独なゲームがあるでしょうか。
このゲームのプレイヤーは私たちだけなのです。
世界はなついてくれない。It is much easier to name a cat than to tame it.
