2人のゲンちゃん
まえがき
一昨日の「自分語について」に続いて投稿しますが、私の自分語である10個の「げんかい」とは関係のない話をします。
少しだけ似ていますが、「他人のそら似」です。なお、この記事は以前のアカウントに投稿したものの再掲です。体調があまり良くないので、再掲をしています。申し訳ありません。
2人のゲンちゃん
ところで、唯○論って、ありますね。で、思い出したのですけど、唯幻論と唯言論とのあいだで論争があったとか、なかったとか、そんな話がありました。昔の話です。いわば、ゲンちゃんとゲンちゃんとの喧嘩です。
声に出せば、同じ「ゲンちゃん」なんだから、それに、両方とも結局は同じことなんだから、喧嘩はやめましょう。当時、そう思ったことも思い出しました。
ゲンちゃん同士の喧嘩がどういう内容だったかは忘れましたが、言と幻が材料なら、こんな話になりうるという横着な乗りで勝手に考えてみます。
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まず、「言は、物=物質=具体的」 vs. 「幻は、現象 or 意識=こと=抽象的」と図式的に処理しておきます。
蛇足とは思いますが、誤解を避けるために申し添えますが、言=言語=言葉は、話し言葉=音声=空気の振動、書き言葉=文字 or 活字=刻んだり引っ掻いた跡 or インクのかすなど、という具体的な物質です。
したがって、知覚の対象になります。見たり鼓膜を振動させたり触ったりできない、意味やメッセージのことではありませんので、よろしくご理解とご了承をお願いいたします。なお、意味やメッセージは、むしろ幻さんの担当のようです。
ここで、視点=支点という点を考慮しなければなりません。最初から、どちらかに加担=支持=配慮する形になっては、2人のゲンちゃんが、ひがんで腹を立てますので、公平にいきましょう。
「言から見れば=言に重点を置けば、すべては言=言語=言葉である」となり、「幻から見れば=幻に重点を置けば、すべては幻=幻想=まぼろしである」となります。
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で、言が、特権的=メタな立場にある、根拠=基盤=背景=理由として、ヒトは広義の言語=言葉でしか関係を築けないし、言葉によってしか知を継承できないという説=フィクション=イメージ=物語があります。
一方、幻が、特権的=メタな立場にある、根拠=基盤=背景=理由として、ヒトはしょせん本能が壊れた生き物なのだから「狂え! 狂え!」という説=フィクション=イメージ=物語があります。
さて、いま、上で並べた2つの文章ですが、同じことを言っています。意識的に=故意に、同じことを言わせた、同じことを書いた、やらせだ、出来レースだ、八百長だ、とも言えます。何とでも言えます。
いずれにせよ、両者が同じことを言っているというのが顕著にあらわれている個所は、「ヒトは広義の「言語=言葉」でしか関係を築けない」=「ヒトは本能が壊れた生き物だ」です。
ヒトにおける、言語の存在=本能の壊れと単純化すると分かりやすいと思います。あとは、いわゆる、「卵が先か、にわとりが先か」の問題ですが、「言語の存在=本能の壊れ」のどちらが先かは検証も実証もできないし、結論も出ない点は大切だと思います。
2人のゲンちゃんをめぐる喧嘩の仲裁は、以上です。
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"唯*論" でネット検索してみると、たくさんの唯〇論があります。その中で以前に聞いたり見たことがあるものを個別に見てみたのですが、仮想敵があるのではないかと感じられる唯〇論が多いようです。
論争には特定の何かを目の敵(かたき)にして論を張っているという印象の、ほのめかしや当てこすりが透けて見えるものが多いと思いました。さらに興味深いのは、その仮想敵と推測できる「何らかの論」と、その論がよく似ていたり、ほぼ同じではないかと感じられることです。
「唯」という大げさな言葉をつかいながら、意外と局所的=蛸壺的=ローカルな不満や批判ややっかみ、あるいは近親憎悪から生まれているのではないか。そんな気がしました。今回の2人のゲンちゃんの喧嘩も、そうした文脈で読めそうです。
