トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(1951年) 村上春樹 訳
自然が奏でる音楽を聴こう。
そよ風に揺れる草の音、木々のざわめき、雨音、雷の轟き……。遠くの声を受け取るように耳を澄ます。
カポーティは、風に揺れる草のかすかな音を“The Grass Harp”と呼び、亡き人々の記憶、痛みと喪失の物語の語り手とした。
アラバマで幼少期を過ごし、孤児同然に育った繊細な作家自身の投影が色濃い初期の作品群は、カポーティの繊細な感性が満ち、どれも美しい。
富の香りを漂わせる伯母ヴェリーナと自然の精霊のような存在の姉ドリーの対比があり、作家の自己投影としてのコリン少年はドリーに守られ、仲間たちとツリーハウスに逃避する。
ドリーが調合した薬草のエキスは、浮腫に効くとして彼女は町の人々に慈善活動としてそれを配る。物語の中でいつも自然は、繊細で壊れやすい感性を守ってくれる存在だ。
ドリーの薬草エキスで想い出したのが、私の愛用するドクダミエキス。
初夏に咲くドクダミでつくるエキスは、虫刺されに抜群に効く。塗るとすっと痒みがひき、自然の底力に驚く。掻きむしって青あざのようになっていたけれど、この自然の恩恵によって市販の痒み止めパッチを卒業した。エキス、精製水、植物性グリセリンの手づくり化粧水も愛用している。
今年はずいぶんと除草剤が撒かれたようで、ドクダミの収穫スポットも緑の記憶を失い地肌をあらわにしていた。
薬を撒けば、そこにいた生き物たちも死んでしまうから、自然の循環は絶たれて何が起こるかは考えればわかることなのに。いろいろと事情はあるのだろうけれど、薬を撒いて、ただ、なかったことにする。それでいいのかな。
太陽の光、大地の呼吸、草木の緑、雨、海や川の水——。すべてが循環し、ひとつであり、癒しをもたらす。
草の竪琴とは、風が草を揺らすときに生まれる、 人の心の奥に触れるような、かすかな声だ。
草の竪琴——。自然の声、亡き人々の声、内なる声を失ったとき、私たちの居場所は今、これから、どこにあるのだろう。



山本容子さん(銅版画)の装丁は抱きしめたくなるような美しさ。


