最終章「幸せは貴方の心の中に」Act.1「relationship(亮哉編)」 学園小説relationship
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Act.1「relationship(亮哉編)」
夜が明ける、数十分前。 高知県最南端、足摺岬。 藍よりも深い、黒味を帯びた海を一望する断崖のベンチに、亮哉は身を預けていた。
かつて、綾香の部屋で不意にこぼれた言葉。 「俺が、必ず、助けるからな」 その言葉の「真実」は、この場所にある。 約束を胸に深く刻み、亮哉は浅い呼吸を繋ぎながら、この最果てに辿り着いた。
到着してから、亮哉は一睡もしていない。 断崖を噛む波の音を聞きながら、ただ、光の射す前の真っ暗な海を見つめ続けていた。 海面から吹き上げる潮風が、亮哉の髪を乱す。 けれど、亮哉はそれを直そうともせず、ただ、思考の海に深く潜っていた。

自らの生の極限と向き合う彩賀亮哉。
幼馴染に裏切られたという漆黒の記憶を持つ少女は、他者に救いを求めるのではなく、独り、自然の風景に身を投じることで自らを癒やそうとした。 そんな綾香が一番に気に入った場所。それが、ここ足摺岬だ。
(……命の極限が迫る中、やり遂げなければいけないという強い思いに突き動かされ、僕はここへ来た。 ここに立てば、真実の答えが出ると思ったからだ)
亮哉の胸に、静かな問いが湧き上がる。 ……なぜ、水瀬さんは写真を撮り続けるのだろうか。
きっかけを与えたのは西谷だ。しかし、それを「意志」に変えたのは、彼女自身だ。 風景を享受するだけなら、こうして眺めているだけで事足りる。それなのに。 胸に沸き上がった疑問を遮るように、不意に、海面から太陽の端が顔を出した。 眩しさに目を細めながらも、亮哉は視線を外さなかった。 光に焼かれる世界に、ただ、意識を没頭させた。
夜行バスと電車、タクシーを乗り継いで、綾香が足摺岬に降り立ったのは、既に正午を過ぎた頃だった。 車を降りた瞬間に目に飛び込んできた白い灯台。 それが、幼い頃に父親と訪れた記憶の色彩を、鮮やかに引き戻した。
展望台へと続く道を歩く途中、綾香は迷うことなく亮哉の姿を見つけた。 確信というよりは、引力に近い。 綾香は驚くこともなく、静かに、亮哉の座るベンチへと歩み寄った。
亮哉が、ゆっくりとこちらを向いた。
「……やっぱり、ここにいたんだね」
ベンチを回り込みながら、綾香が声をかける。
「俺がここにいることを、皆知っているのか?」
亮哉は声を絞り出し、綾香が座るための僅かなスペースを空けた。 綾香は隣に座り、小さく首を振った。
「知っているのは、私と関谷君だけだよ。関谷君が、夜行バスの停留所まで送ってくれたの」
(……関谷が、送ったのか。 亮哉の脳裏に、かつて独占欲に震えていた少年の姿が浮かぶ。 綾香を手放したくない一心で、罪悪感を積み重ねてきた彼が、よく決意したものだ)
だが、今の亮哉にはそれが分かった。 稔之は自分の感情よりも、綾香の幸せを望んだのだ。 人を激しく想うことは、誰にでもできる。 だが、その想いよりも相手の幸せを心から願う人間が、一体どれほど存在するだろう。 それに気づいた稔之は、もう彼女を苦しめることはない。 亮哉の心に、清涼な安らぎが広がっていった。
二人は並んで、ただ黙って、水平線を眺めていた。 数時間が過ぎた頃、綾香が静かに口を開いた。
「私、東京の大学、受けてみるよ。……彩賀君と同じレベルのところは無理だけど。でも、住む場所は近くにする」
元気な響きを装った、綾香の横顔。 自分に希望を持たせようとする、健気な意志。 その熱量が、亮哉の肌に痛いほど伝わってくる。
「ありがとう。でも、水瀬さんがやりたいことが、本当に東京じゃないといけないのか。その辺をよく考えてからにしてくれ」
それは突き放すような、けれどあまりに誠実な、亮哉らしい言葉だった。 嬉しさを清らかな心の奥に留め、彼はどこまでも透明な視線で、彼女の未来を想った。
「……」
綾香は視線を落とした。 さらりとした髪が、彼女の表情をカーテンのように覆い隠す。 泣き出したのではないか。 亮哉は慌てて彼女の顔を覗き込んだ。
二人の距離が、決定的に縮まる。 しかし、綾香の大きな瞳は、涙ではなく強い光を宿していた。
「私、彩賀君が、好き」
亮哉の全身が、一瞬で熱く硬直した。 彼よりも遥かに緊張しているはずの綾香の顔は、燃えるように赤く染まっている。
「……東京に行きたいのは、やりたいことがあるからじゃない。大学に入ったら、いつか見つかるかもしれないけど。でも、そんなことより、私は彩賀君の傍にいたい。前に彩賀君が倒れた時も、真っ先にそう思った。今回だってそう。私が彩賀君を好きだから、東京に行きたいの」
亮哉の思考が、あまりの嬉しさに真っ白に止まっていく。
――僕も、君が好きだ。
その言葉を、喉元まで出かかった本心を、亮哉は震える胸の内で必死に抑え込んだ。 想いに迷いがあるのではない。 叫び出したいほど、この溢れる気持ちを伝えたい。 けれど、今の僕の肉体は、長く彼女の傍に留まれる保証がない。 想いを告げ、彼女をこの身に縛り付けることは、将来的に綾香にあまりに悲しい選択を強いることになるのではないか。 心の境界線で、亮哉は引き裂かれるような葛藤の末に、ようやく踏みとどまった。
一人の少年としての、あまりに純粋な誠実さが、亮哉に言葉を封じ込ませた。
亮哉は何も言わなかった。 代わりに、優しく、けれど包み込むように力強く、綾香の手を握り締めた。 言葉を介さずとも、自分の魂の震えが、全て伝わるように。
手を握られた綾香も、その熱を離さない。 世界には、自分たち二人しか存在しないかのような静寂の中。 二人は再び、無言のまま、黄金色に染まる海をいつまでも見つめ続けていた。

言葉を介さず固く結ばれる彩賀亮哉と水瀬綾香の手。
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