第五章「夕陽が別つ3人の運命」Act.3「少年は誓う(上)」 学園小説relationship
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Act.3「少年は誓う(上)」
明けて、月曜日。
始業開始十分前。亮哉と西谷が所属する特別進学科の教室。
いつもの覇気はどこへ消えたのか、亮哉はがっくりと肩を落とし、自分の席へと向かった。
先に着席していた西谷は、親友のただならぬ様子を察し、黙って後ろを振り向いて亮哉の顔色を窺った。挨拶も交わさぬまま、亮哉はいきなり話題を切り出した。
「……俺、水瀬さんに怪我をさせてしまった。不用心だった」
椅子に深く沈み込む亮哉の姿には、普段の傲岸不遜な自信は影を潜めている。
「美樹ちゃんから聞いたよ。捻挫は大したことがないみたいだけど、二、三日は休むって。……自分を責める気持ちも分かるけど、あまり気にしないほうがいいよ」
西谷は亮哉を慰めるように、落ち着いた口調で応えた。
「……俺は、水瀬さんの彼氏から怒られてしまった。彼女、あの体育科の男と付き合っているんだな」
亮哉の呟きを聞いた瞬間、西谷の顔がわずかに固まった。
「……ああ、関谷のことだね。彼氏ではないよ」
西谷は、綾香と稔之の関係を、表面的な事実だけを選んで簡潔に説明した。
内面の動揺を、亮哉に感じ取られないように。
「……なるほど」
事情を飲み込んだ亮哉は、昨日自分に向けられた、稔之の敵意に近い鋭い視線を思い出した。
(……関谷の片想い、ということか)
そして、改札口をくぐる際に見せた、綾香のあの縋るような目線を再び思い浮かべる。
(……なら、まだ僕にも望みはある、ということだな)
怪我をさせた負い目に沈んでいた心に、一筋の光が差し込むのを感じていた。
いつしか始業を告げるチャイムが鳴り、教壇では教師が教科書を開いた。
本来の亮哉なら、瞬時に意識を切り替え、ノートを執る学業熱心な生徒に戻っていただろう。だが、いつもなら聞き漏らさない教師の声が、今の彼の耳を素通りしていく。
脳裏に浮かぶのは、昨日の夕陽の中にいた綾香の表情ばかりだった。
背後から真っ赤な太陽光を浴び、繊細な美しさを湛えたあの立ち姿。
不謹慎だと自覚しつつも、斜面を滑り落ちる直前の、あの怯えたような表情。
一体、何が彼女にそんな顔をさせるのか。彼女は、どんな景色を見て、何を想って生きているのか。
胸の奥が、少しずつ、熱を帯びて火照っていく。
異性に不自由したことのない亮哉にとって、自ら誰かを「もっと知りたい」と願うのは、これが初めての経験だった。
彼はまだ、自分の中に芽生えたこの鮮烈な憧憬を、恋とは呼んでいなかった。ただ、怪我をさせてしまった「責任」という名目で、彼女という未知の存在に近づきたい。そんな少年らしい、真っ直ぐで不器用な情熱に突き動かされていた。
数時間後。
午前の授業の終わりを告げるチャイムが響き渡った。
努めて穏やかな表情で亮哉を振り返った西谷は、思わず唖然とした。
亮哉の机の上は、一時間目の数学の教科書とノートが開かれたまま。予習の段階で完璧に埋められているはずのページが、一文字も書き進められていない。
「……彩賀、一体どうしたんだ?」
西谷が声をかけようとした機先を制するように、亮哉が呟いた。

物思いに耽る彩賀亮哉と、彼を案じる西谷武久。
「俺、今度の週末、水瀬さんの家にお見舞いに行こうと考えているんだ」
片頬杖をつき、視線を机に落としたまま、亮哉は力なく、だが固い意志を声に乗せた。
「……」
返答に詰まる西谷に、亮哉は姿勢を崩さず続けた。
「……逆に、迷惑だろうか」
西谷はしばらく考え込んだ後、慎重に言葉を選んだ。
「いや……そんなことはないと思うよ。ただ、水瀬さんの家は君の所から随分遠い。場所も分からないだろう? 僕も一緒に行くよ」
ところが、西谷の気遣いを振り切るように、亮哉が強い声で切り返した。
「気遣いは嬉しいよ、武ちゃん。だが、これは水瀬さんを怪我させた、俺の責任だ。俺が一人で行ってくる」
迷いを振り切ったように亮哉は席を立ち、教室の外へと出て行った。
その後ろ姿を、西谷は言い知れぬ不安と共に見送っていた。
西谷の懸念は、亮哉の身の案じではなく、全く別の所にあった。
亮哉がその一歩を踏み出すことが、どれほどの引き金(トリガー)になるか。
(……やめておけ、彩賀。そこは、君が触れていい領域じゃないんだ)
西谷の予感は、冬の冷たい空気の中で、静かに、しかし確実に形を成そうとしていた。
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