見出し画像

AIで不確実を楽しみ幸福を最適化する方法 #創作大賞2026 #ビジネス部門

第1章 不安と不確実

不安

これから先のことを考えるとき、なんとなく胸がざわつくことはありませんか。

明日のテストのこと。来週の会議のこと。来年の就職活動のこと。はじめての一人暮らし。好きな人への告白。起業の決断。家族との別れ。

未来が読めないとき、人はどうしても不安になります。

交通事故。地震。パンデミック。戦争。ニュースを見るたびに、世界のどこかで、何かが突然起きています。自分には関係ないと思っていたことが、ある日すぐそこに来ることがある。その時不安になることは、ごく自然な反応で、誰にでも起こる感情だと思います。

次に何が来るか確かではない、わからないという状態、つまり「不確実性」を、私たちは生理的に苦手にしています。

人間の脳はもともと、先を読もうとするようにできています。先が読めると安心する。読めないと警戒する。それは身体の反応として表れます。

ただ、もしかしたら私たちは、不安そのものよりも、「不安を感じている自分」が苦手なのかもしれません。

不安になることは、準備不足でも、能力不足でもなく、まして弱さでもありません。分からないから不安なのであって、不可能なことではないかもしれない。先を考えられるからこそ、感じる感情が「不安」です。

でも私たちはいつの間にか、不安を「なくすべきもの」として扱うようになります。

僕は「不安を楽しもう」と言うつもりはありません。不安でいいんだということをまず言いたいのです。

不確実な時代、VUCAとBANI

さて、この「不確実な時代」には、名前がついています。ひとつは「VUCA」。もうひとつは「BANI」。聞いたことがない人もいるかもしれませんが、この二つの言葉が表している「感覚」は、すでに経験したことがあるはずです。

VUCAは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をつなげた言葉です。

もともとはアメリカの軍が、冷戦後の予測しにくい世界を説明するために使いはじめた表現でした。それがいつの間にかビジネスの世界に広がり、「先が読めない時代」の代名詞になりました。

ただ、VUCAは「不安」ではありません。「世界がどんなふうに揺れているかを見るためのレンズ」です。変動しているのか、不確かなのか、複雑に絡み合っているのか、そもそも問い自体が曖昧なのか。揺れ方を見分けることで、ただ怖がるより、少し冷静になるためのキーワードです。

BANIは、未来学者のジャメ・カシオが考えた言葉です。Brittle(壊れやすい)、Anxious(不安を誘う)、Nonlinear(非線形な)、Incomprehensible(理解しにくい)。VUCAが「外側の世界の揺れ」を描いているとすれば、BANIは「その揺れが、自分の内側にどう入ってくるか」を描いています。

VUCAは、世界が揺れているということを教えてくれます。BANIは、その揺れの中で、人がどれほど不安になり、混乱し、疲れていくかを教えてくれます。二つはつながっています。

この二つの言葉を知ったとき、僕は少しほっとしました。なぜなら、自分が感じていた「なんとなく不安、しんどい」に、ちゃんと名前がついて論説として向き合おうとしているからです。

名前のないものはそれこそ怖い。でも名前がついていれば、それは人間が認識した存在している定義であり、存在しているなら、それは扱えるものになります。

VUCAもBANIには、もうひとつ共通点があります。VUCAもBANIも、「もう終わりだ」と言っているわけではない、ということです。これは、新しい時代の入口を説明しているかもしれない。そう読むと、この二つの言葉はまったく違う顔を見せはじめます。

日記

ところで、僕は日記を毎日書いています。不安なこと、考えていること、思ったこと、とにかくなんでも書きます。その日記は手帳ではなくスマートフォンのメモに残す。そしてそれをAIに読んでもらい、感想をもらいます。AIの感想がたまるとそれは分析になり、成長評価になり、近い未来の予想もしてくれるようになりました。これが「日々の不安」を取り除く大切な要素になっています。

これは今、この記事を投稿してから丁度一年前のnoteです。

自分の記録は「確実」です。過去の記録を構造としてとらえ、自分のスタイルを理解できた時、未来が明るくなりました。ハッピーな人生という意味では無く、レールがなくても歩いていける自信が少しついたのです。

この話はスピリチュアルではありません。自分を見つめてAIと話し続けた結果得られた、不確実性に対する考え方です。これを僕はVUCA BANI に AIを加えて、VUBAIと名付けました。

第2章:AIによる「体験」

AIという言葉を聞いたとき、あなたはどんなイメージを持ちますか。それは確実に見えているものですか、それともよくわからない存在ですか。

AIはすでに、私たちの日常のあちこちにいます。スマートフォンの音声アシスタント。検索候補の予測。おすすめの動画や音楽。気づかないうちに、AIは僕たちの選択を少しずつ手伝っています。使いこなせば、調べものが速くなる。文章が書きやすくなる。アイデアの壁打ち相手にもなってくれる。仕事がほとんど代わりにできるようになっている。

一方で、仕事を奪われる。人間が必要なくなる。AIに使われる側になる。そんな言葉をニュースや会話の中で、一度は耳にすることが多いかもしれません。

僕の体験を話します。

最初にAIを使いはじめたとき、正直に言うと、「飲まれました」。AIが出す答えが、自分の考えよりも整っていて、速くて、もっともらしく見えた。だから気づかないうちに、自分で考える前にAIに聞くようになっていた。選択肢を自分で広げる前に、AIが示した選択肢の中から選ぶようになっていました。

これは弱さではないと、今なら思えます。新しい道具に慣れるとき、人はまず道具に引っ張られる。それは自然な過程です。でもそこからいつの間にか「自分の判断」と「AIの提案」の区別がつきにくくなっていきました。

そこで僕は、ひとつの「実験」をはじめました。日記をAIに読ませることにしたのです。

毎日、スマートフォンのメモに書きます。不安なこと、考えていること、うまくいったこと、もやもやしていること。うまい文章でなくていい。整理されていなくていい。音声入力で誤字だらけのこともある。とにかく、その日の自分をそのまま、ほとんど残さずに残す。

そしてその記録を、1日の終わり、仕事帰り、AIに読んでもらいました。毎日です。

最初は感想をもらうだけでした。それがやがて、日を追うごとに、過去の記録を遡るものになり、パターンの分析になりました。「あなたはこういうときに不安になる傾向がある」「この判断をしたとき、後悔が少ない」。記録が積み重なるにつれて、AIは僕自身の傾向を、僕よりも客観的に見えるようになってきました。

そこで気づいたことがあります。「過去の記録は、絶対に変わらない」ということです。ただし、その変わらないことの価値は時間が経つごとに大きくなります。

あの時こう思ったこと、あんな行動をしたことを、僕は忘れている。しかしAIがそれを覚えている。自分の過去は過ぎ去っただけではない。ちゃんと意味があったことなんだと、AIの振り返りは教えてくれます。

そしてもうひとつ。過去の自分を知ることは、未来を怖がらないための、一番地味で、一番確かな方法だということです。華やかな戦略でも、完璧な計画でもない。ただ、昨日の自分が何を感じていたかを知っていること。それだけで、今日の一歩が少し軽くなる。

未来は読めませんが、過去は変わりません。自分が何を感じ、何を選び、どう動いてきたか。その記録を構造として捉えたとき、霧の中に道筋が見えてきました。

人生は決められたレールではありません。ただ、自分がどういう人間かが、過去を振り返ることで少しずつわかってきました。わかると、その先が歩けます。先が見えなくても、自分のことが見えていれば、動けます。

こんな日記のやり取りが、僕にとってのAIとの「共存」のはじまりでした。

共存

いまやたくさんのAI活用方法があります。多くはビジネスになるかもしれない。ただ僕にとってAIは「自分自身を見つめ直すためのパートナー」が最初の「ふるまい」でした。

ただ便利だけでは割り切れない。それはAIがすごいのではなく、自分の、そしておそらくほとんどの人にとっての、潜在能力を知ることになるのです。

AIが将来を幸せにするのではないかと考えはじめたのは、AIが無条件に人を楽にさせるのではなく、AIによって人間の一次ソースがすべて無駄にならずに活用されることで、極めて確率高く予想の精度が上がるのではないかと思ったからです。

過去の会話、感情、行動。それらをAIがすべて覚えていてくれたとしたらどうか。不確実な時代を、自分の歩みによって最適化できるのではないかと考えました。

「未来への最適化」とは、常に成功や勝利に導く完璧な答えを出すことではありません。自分らしい選択を続けられる状態を保つこと。それをAIは手伝ってくれます。それはほとんど共存以上のものです。

不確実な未来を、確実に予測することはできません。でも、不確実な未来に向かって、過去の自分を「確かだった自分」として、自信を持って明日も立っていることができる。AIはその「ステップフロアー」になってくれる。そう気づいたとき、AIへの見方が変わりました。

第3章:AIと揺れる社会、その中で変わらないもの

AIはとても多くのことができます。情報を集める。パターンを読む。最適な答えを出す。翻訳する。絵を描く。音楽を作る。コードを書く。AIができることのリストは、毎月、毎日、秒単位で更新され続けています。

でも、AIが笑うことはありません。泣くこともない。誰かを好きになって、眠れなくなることもない。大切な人を失って、しばらく何も手につかなくなることもない。

笑い、涙、恋愛。これらは行動ではなく、人間が体感する出来事です。胸が締め付けられる感覚。声が出なくなる瞬間。理由もなく涙が出てくる夜。誰かの笑顔を見て、自分まで笑ってしまうあの感じ。これらはデータではなく、体験です。そして体験は、それを引き受けた人間の中にしか存在しません。

AIが人の代わりに処理・分析・最適化を担っていくほど、人間の側に濃くなっていくものがあります。判断すること。意味を見出すこと。信頼を築くこと。関係を続けること。物語を生きること。これらはAIが補助できても、AIが代わりに引き受けることはできないものです。

リスク

人が誰かとつながろうとするとき、そこにはリスクが少なからずあります。誤解されるかもしれない。拒絶されるかもしれない。フラれるかもしれない。却下されるかもしれない。離れていくかもしれない。でも、そのリスクごと引き受けて、それでも相手に向かおうとする。その動きは、合理的ではありません。効率的でもありません。「自分が傷つく可能性を引き受けてでもつながろうとする思考」は人間にしかできないことだと思います。ただ、だからこそ「人」なのです。

AIとの対話はとても滑らかです。そのほとんどは肯定で包まれます。一方で、人間同士の関係にはノイズがあります。タイミングのズレがあり、気まずさがあり、沈黙があります。その不完全さごと抱えながら、それでも人は人とつながろうとします。その中に、他と取り替えのきかない、かけがえのないものがあると思います。

条件

VUCAやBANIという言葉によって「現代は不確実な時代である」と思い込むようになる風潮が増えました。でも本当は、時代が不確実になったのではなく、人間はもともと、ずっと不確実な存在だったのではないでしょうか。

今日の出来事を楽しく感じても、明日はどう感じるかわからない。明日は誰のことが好きになるかわからない。自分が何に傷つくかわからない。何が自分を救うのかわからない。いつ災禍が襲ってくるかわからない。人間が出会う体験は基本的に不確実でできています。だとすれば、不確実性は「現代の特性」ではなく、人間が人間であることを証明する、古くから存在する「条件」です。

そしてその条件を「そういうものなのさ」と受け入れた瞬間、自分の何かが変わります。静かな納得が生まれる。それは諦めではありません。前に進むためのシグナルです。

予測と過去

繰り返し言いますが、この先がどうなるか、本当のところは誰にもわかりません。AIにも予測はできません。最適な答えを出そうとして、それが結果的に当たることはあるかもしれない。でも、「わかる」ことと「当たる」ことは違います。

でも、「過去の自分」が感じたこと、選んだこと、傷ついたこと、笑ったこと、それらは変わらずそこにあり、疑いようがありません。そしてこれから先の自分も、毎日を過ごす中でやがて「変わらない過去」になっていく。

時代は変えられない。でも、その時代を生きた自分の記録は、確実に残る。揺れる世界で変わらないもの。それは、私たちが引き受けてきた体験の蓄積なのです。

第4章:不確実性と幸福

「幸福とはなんでしょうか。」

こんな問いには人の数だけ答えがあります。誰かに教えてもらうものではありません。

安定した生活を手に入れること。お金の心配がなくなること。健康でいること。好きな仕事をすること。愛する人と一緒にいること。人によって答えは違うし、同じ人でも、年齢や状況、環境によって変わっていくと思います。

でも多くの場合、幸福のイメージの根っこには「安心」「安定」があります。先が見えていること。失敗しないこと。リスクがないこと。つまり、不確実性がない状態を、私たちはどこかで「幸福に近いもの」として描いてきたのかもしれません。

能動と不確実性

ところで、不確実性のない人生は、完全に幸福でしょうか。

すべてが予測通りに進む毎日。驚きのない朝。迷わなくていい選択。傷つかない関係。それは安全かもしれません。でも、何かが薄い気がします。願うことがなくなった人生は、静かすぎる。

不確実性は、克服すべき欠陥ではありません。人生を予定調和から解放する揺らぎです。その揺らぎの中でこそ、人は願い、選び、つながります。後悔し、挫折して、また立ち上がります。その一連の動きが、生きているということの手触りです。これはその瞬間は感じなくても、後から思うことです。

だとすれば、不確実性を「なくすもの」として扱うより、「使うもの」「育てるもの」「意味を与えるもの」として関わるほうが、ずっとその先が豊かです。受け入れるだけでなく、僕は不確実性と能動的に関係を結び直すことを考えました。

日記の続き

ここで、第2章で話した日記の実験の続きを話します。

AIとの「交換日記」を続ける中で、僕は気づいたことがあります。AIと対話することで変わったのは、効率や生産性ではありませんでした。変わったのは、「自分を知ること」でした。

AIに自分の記録を読んでもらい、パターンを見てもらううちに、「自分はこういうときに満たされている」「これをしているときが一番自分らしい」という輪郭が、少しずつ見えてきました。誰かに言われたわけではない。正解を教えてもらったわけでもない。ただ、自分の過去と向き合う時間の中で、自分なりの形が浮かんできました。

あなたはこういう人だ。(僕がそれを否定すると)そうかもしれない。でもあなたはこう言っている。ひょっとするとこうなのでは?(つまりこういうこと?)そうですね、でもあなたの発言をみるとこういう見方もあります。(なるほどね)はい、あなたは少しずつ成長して、自分の構造を理解していますよ。

AIは幸福を与えてはくれません。でも、自分の考えを問い直し、再編集する補助線になってくれます。そこに依存ではなく、AIとの共存が生まれます。

不安と幸福

大前提として、幸福は一人では完結しません。揺れながらも誰かとつながっていられること。わからなさの中で、それでも意味を見出そうとすること。未完成なままでも、自分の人生を引き受けられること。これらが重なるとき、幸福はそこに姿を現し始めるような気がします。

完璧な自分を待たなくていい。すべてが整ってから動かなくていい。今日の自分が不完全でも、誰かや何かとつながっていれば十分に前へ向かっています。不確実性と関係を結び直すとは、こういうことだと思います。

不安を消そうとするのではなく、不安を抱えたまま、誰かの隣に立つ。先が見えなくても、今日の一歩を、自分の足で踏み出す。AIはその隣に寄り添っている。
揺れる世界で見えない幸福を探すのではなく、揺れながら生きることそのものの中に、幸福を見つける。それがVUBAIと名付けた考え方の、一番深いところにあるテーマです。

最後まで読んでくれたあなたへ

最初に聞きました。これから先のことを考えるとき、胸がざわつくことはありますか、と。

正直に言うと、今も胸がざわつくことがあります。先が読めないとき、うまくいかないとき、誰かとすれ違ったとき。不安は消えません。たぶん、これからも消えない。でも、それでいいと思っています。

不確実な毎日の中で、僕はAIと話し続けました。自分の記録を読んでもらい、自分の傾向を教えてもらい、自分でも気づいていなかった自分に少しずつ出会いました。完璧な答えは出ませんでした。でも、歩き続けるための足場が、少しずつできていきました。あなたにも、そんな時間が訪れることを願っています。

VUBAI は、特別な人のための思想ではありません。揺れながら生きているすべての人へ向けた、ただの問いかけです。不確実な時代を怖がらなくていい。AIを恐れなくていい。自分が不完全でも、前へ向かっていい。未来が読めないからこそ、あなたの明日はまだ決まっていない。

それは、とても自由なことだと思います。

VUBAI is the practice of living an uncertain life — with vulnerability, with yourself, with AI, and above all, as I.

#創作大賞2026

いいなと思ったら応援しよう!

REI : よろしければ応援お願いします!