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【展示】「女性写真家」というラベルの向こうへ──「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展雑感

 東京・渋谷ヒカリエホールにて2026年7月4日から開催されている「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展に行って参りましたので、非アカデミックな立場からその雑感を綴ってみたいと思います。

 この展示は2024年に日本女性写真家の作品を紹介した書籍『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now』が英語・フランス語版で出版されたのを機に、同年フランス・アルル国際写真祭を皮切りに各国での巡回展示を経た形で日本への凱旋記念として企画されたものです。

「女性写真家」のポリフォニー

 展示は4つの章にまとめられておりますが、本展キュレーターの竹内万里子さんがTOKYO ART BEATのインタビューでも語っていたように写真家や作品を厳格に規定するような分類ではなくひとつの足がかりに過ぎません。とはいえ各章のタイトルを見ると、写真表現の可能性、写真の記録性、女性という存在、日常生活の中での生の実感といった風に「女性写真家」というより「女性」と「写真」が縦糸・横糸のように織りなされて見えるようになっています。この章立ては本展を深く味わう上ではとても重要な要素でしょう。通常このような展示の章立ては年代別・国別などといった類型的でアカデミックなアプローチで構成されており、それを無視しても十分に楽しめることが多いのですがこの展示は必ずしもそうではなさそうです。

 各作家の作品はどれも力強く没入してしまうものでした。山沢栄子さんの視覚への実験精神、岡上淑子さんの精神への探究、常盤とよ子さんの戦後、石内都さん自身の強さ、野村佐紀子さんの祈りにも似た情と念、岡部桃さんのむき出しの生、原美樹子さんのひたむきな世界へのまなざし(特に常盤とよ子さんのプリントを見られるのはかなり貴重ではないでしょうか)・・・。ただ、特に写真作品の展示形態がリズム感やメリハリを欠きフラット過ぎるため、鑑賞者は作品同士の響きよりも「好き・嫌い」「わかる・わからない」という反応のみに終わりやすいように感じました。加えて展示パネル同士の距離が広く大きなプリントのため、個々の作品は強く立ち上がる一方で、作品同士の反響が弱められていました。アルルでの展示は空間自体もこじんまりしており、それに合わせた形でプリントサイズも控え目で、作品同士のポリフォニーが一つの作品を超えた鑑賞体験をもたらすものだったのですが、この展示では個々の作品に圧倒されるような体験でした。また、凱旋展示ということでもっと高揚感を演出しても良かったと思います。チケット受付から展示場までの廊下はあまりにも無味乾燥でしたし、展示空間も何もない「空」の空間が展示を持て余していました。

 したがってこの展示では個々の作品に圧倒されるのはもちろんですが、順番通りに見るだけでなくあちこち自分の感覚の赴くまま鑑賞することをお勧めします。このような複数の作家、それもそれぞれ全く異なるアプローチの作品による展示では順路という枠を外してどんな声の響きがあるのかを探すと、かけがえのない鑑賞体験が得られます。

「女性写真家」というラベルの向こうに

 一方で、この展示は「女性写真家」という括りそのものについても考えさせられました。ひとたびそのラベルを外して作品と向き合うと、まず立ち現れるのは、その力強さ、豊潤さ、そして実験精神に富んだ冒険心です。そうした作品群を前にしたあとで、改めてこれらが女性の手によるものだと思い出すと、写真家を志す人だけでなく何かを成し遂げたい人に勇気を与えられるでしょう。

 写真作品や写真集に触れ始めた時から男女関係なく好きな作家がいた私にとって、展示を後にして「『女性』と括る意味はあったのか」と疑問を持ちました。しかし展示を反芻し、竹内万里子さんのインタビュー中の

あえて『女性』という名のもとで、一人ひとりのインディペンデントでまったく異なる世界を体感することでこそ、人はようやく『女性』をめぐる固定観念から本当の意味で解放され得るのではないか

TOKYO ART BEATサイト 2026年5月1日

というメッセージがその答えになっているのに気づきました。同時にあえてそのような括りを設けたのは、今まで日本写真が男性写真家に偏っていたという事実を特に写真史や写真評論の世界に伝えたかったからなのでしょう。ところで一点だけ気になったことがあります。図録にも収録されているクロニクルに「女の子写真」というワードの出現の項がなかったのにはいささか違和感を感じました。

 この先、この展示が日本写真史における一つの記念碑として位置づけられ、その後に続く企画展の起点となることを期待したいです。そして、その意味で最後にどうしても気になったことがあります。展示タイトルの「まなざしの奇跡」です。あのタイトルは本当に妥当だったのでしょうか。あの展示で感じたのは「まなざし」という大和言葉が持つ柔和さよりも、むしろ世界に向かって切り込んでいくような強度でした。その強度こそが「冒険」という言葉にふさわしいものだったように思います。むしろ彼女たちは決して「奇跡」的な存在ではなく、長い年月をかけて積み重ねられた世界への意志そのものであり、それがようやく日本写真史の中で可視化された必然だったのではないでしょうか。だからこそ、副題の「I’m So Happy You Are Here.」という言葉は、過去に見過ごされてきた存在への歓迎であるばかりではなく、日本写真史の中でその存在がようやく可視化されたことを静かに宣言する言葉のようにも思えました。

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