第2話|幸せな夫婦でいられる残り時間。
前回のあらすじ
職場で苦手な上司との間に、「残り時間」が見えるようになったハムカツ。
それを上司の寿命だと思い込み、残された時間くらいは優しく接しようと、無理な仕事まで引き受けてしまう。
けれど、その数字が示していたのは命の終わりではなく……
《この職場で、共に働ける時間》
だった。
終わりがあるからといって、すべてを我慢する必要はない。
ハムカツは初めて、限りある時間の中で自分を守ることも、大切な選択なのだと知った。
~🌙🌸🐹🍁🐦🌞💈🔥~
ある朝。
僕はリビングで、乾いた洗濯物を畳んでいた。
子どもの服。
妻の服。
自分の服。
いつも通りの朝だった。
階段から、ゆっくりと足音が聞こえる。
妻が眠そうな顔で、少しふらつきながら降りてきた。
「おはよ〜」
「おはよ〜」
何度も繰り返してきた、何でもない挨拶。
その時だった。
僕と妻の間に、あの表示が現れた。
あんずや上司に見えたものと同じ。
けれど、数字はなかった。
輪郭だけが淡く揺れ、何かを表示しようとしている。
僕は黙って妻を見た。
妻と出会えたことで、僕は救われた。
辛く、暗かった毎日を、二人で何度も乗り越えてきた。
結婚して、子どもが生まれ、家族になった。
決して順調なことばかりではなかった。
それでも僕にとって、この暮らしは偶然手に入ったものではない。
妻と一緒に守ってきた時間だった。
だから僕はいつか離れる日が来ることを、ずっと心のどこかで考えていた。
人生には、何が起こるか分からない。
子どもの頃。
父は突然、家からいなくなった。
それから一年も経たないうちに、僕の知らない人が「父」として現れた。
昨日まであった幸せが、何の前触れもなく形を変える。
子どもだった僕は、それを知ってしまった。
だから息子たちにも、厳しく伝えてきた。
家族だからといって、何をしても許されるわけではない。
当たり前に一緒にいられると思ってはいけない。
大切な人を、大切にしなければならない。
きっと僕は、教えていたのではない。
焦っていたのだ。
自分が失ったものを、子どもたちには失わせたくなかった。
数日が過ぎても、妻との間に現れた表示は動かなかった。
数字は現れない。
文字も浮かばない。
ただ終わりの存在だけを予告するように、そこにあり続けた。
そんなある日、大きな地震があった。
心配になり、僕は数か月ぶりに母へLINEを送った。
無事を確認したあと、いくつかの近況を聞いた。
叔父が離婚したこと。
従姉妹が結婚していたこと。
その従姉妹が、熊本で暮らしていること。
文字を追っていた僕の思考は、途中で止まった。
叔父とは、十歳ほどしか離れていない。
子どもの頃から、兄のように思っていた大切な人だった。
母も。
叔母も。
そして叔父も。
僕の親戚は、みんな結婚生活を終えている。
胸の奥に、ひどく幼い言葉が浮かんだ。
――僕は、幸せになれない血筋なのかな。
口に出すと、妻はすぐに否定した。
「そんなことないよ」
僕も、血筋で人生が決まるわけではないと分かっている。
それでも一度浮かんだ「離婚」の二文字は、簡単には消えてくれなかった。
妻との間にある表示を見る。
数字はない。
だから、いつ終わるのかも分からない。
そもそも、何が終わるのかさえ分からない。
夫婦でいられる時間なのか。
同じ家で暮らせる時間なのか。
互いを好きでいられる時間なのか。
それとも
今までの僕たちが終わり、新しい関係へ変わるまでの時間なのか。
未来は見えなかった。
ただ、ひとつだけ分かった。
僕が恐れているのは、妻を失うことだけではない。
幸せは必ず壊れると、いつまでも信じ続けている自分だった。
親戚が離婚したから、僕たちも離婚するわけではない。
父が突然いなくなったから、僕も同じことを繰り返すとは限らない。
過去は、僕の中に残っている。
けれど、僕たちの未来を決める命令ではない。
この先、どんな試練が待っているかは分からない。
夫婦だから、すべてを分かり合えるわけでもない。
傷つけることも、すれ違うこともあるだろう。
それでも僕は、妻と二人で乗り越えていきたい。
そう願いながら、キッチンへ向かった。
牛乳を温め、紅茶を注ぐ。
いつも妻に作っている、ホットミルクティー。
派手な約束ではない。
永遠を保証する言葉でもない。
ただ、今日ここにいる妻へ渡せるもの。
「はい」
カップを受け取った妻が、小さく笑った。
その瞬間、僕たちの間に浮かんでいた表示がわずかに揺れた。
けれど、数字は最後まで現れなかった。
たぶん、知らなくていいのだ。
幸せな夫婦でいられる残り時間が、あと何年あるのか。
その答えを探すよりも。
今日、妻のために温かいミルクティーを作る。
明日も隣にいたいと、今日の僕が選ぶ。
永遠ではないと知っているからこそ、僕はこの何でもない朝を大切にしたかった。

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