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本当は人が好きすぎるのかもしれない#36

私は、人とコミュニケーションを取るのが
あまり得意ではない。

自分から話しかけようとしても、
何を話したらいいのか思いつかない。

せっかく話しかけてもらっても、
うまく返すことができない。

「あの言い方よくなかったかな」
「あの人、どう思ったかな」

そんなことばかり考えてしまう。

人と会ったあとは、
頭の中での反省会が止まらない。

あのとき、ああ言えばよかった。
あの表情はどういう意味だったんだろう。

考え続けているうちに、
何もできないくらいぐったり疲れてしまうこともある。

だから私はずっと、
自分は人付き合いがあまり上手じゃない人間なんだと思っていた。

でも最近、ふと思ったことがある。

もしかしたら私は、
人が嫌いなんじゃなくて、
人が好きすぎるだけなんじゃないか、
と。


人と関わる中で難しいのは、
人の内面は外からは見えないということ
だと思う。

人と人との関わりは、
表面的な言葉や行動だけではなく、
その奥にある気持ちも含めて、
複雑に交差しているものだと思う。

でもその“内側”は、
目に見えるものではない。

だから人は、
その見えないものとどう向き合うかが
それぞれ違うのだと思う。

見えないものは気にしないと割り切る人。

できるだけ想像してみようとする人。

見えないものを、
ないものとして扱えない人。

私はきっと、
その想像が少し深いところまで潜りすぎるタイプなんだと思う。

見えないからこそ、
奥の方まで想像してしまう。

答え合わせのできない問いの答えを、
いつまでも探し続けてしまう。

それがきっと、
生きづらさの正体なんだと思う。

生きやすさだけで言えば、
見えるものだけを見て生きる方が、
きっとずっと楽だと思う。

それでも私は、
見えないものを見ようとしてしまう。

でも、それは本当に
悪いことなんだろうか。

確かに、すごく疲れることもある。

効率的でもないし、
生き方としては不器用なのかもしれない。

それでも、
見えないものを見ようとすることは
決して悪いことではないと思う。

人への思いやりや気遣い、
誰かの心に寄り添うこと。

そういうものはきっと、
人の内面を想像しようとしたときに
初めて生まれるものだと思う。

目には見えないけれど、
確かにそこにあるもの。

そんなものを
ちゃんと「あるもの」として扱えること。

それこそが、
人のあたたかさなんじゃないかと思う。


「あの言い方よくなかったかな」
「あの人どう思ったかな」

そんなふうに悩んでしまう時間は、
無駄に思えるかもしれない。

でもそれはきっと、
目には見えない誰かの心に
寄り添おうとしている気持ちの表れでもあるのだと思う。

答えがわからなくてもいい。
わかった気になる必要もない。

それでも、
わかろうとすること。
想像しようとすること。

その気持ちこそ、
人として尊いものなんじゃないかと思う。

そんな心を持てる“人”っていう存在は、
なんてあたたかくて、
なんて素敵なんだろう、と思う。

そう思っているあたり、
やっぱり私は、

本当は人が好きすぎるのかもしれない。


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