俳優のゴールってなんなのだろう? ~非俳優の僕からみると~
よく、役ではなく「その人になる」のがいい俳優だみたいなこと言いますよね。
それ、ほんと、そう思う。
そこをゴールに設定して、「作品世界に残る」っていうのは、ホントそう。
その心意気、劇作・演出・主宰のこちらも、とてもありがたいです。
たどり着くまでの過程がそれぞれなので、「合う・合わない」が出て来るんだと思います。
で、僕が話したいのは、その一個一個の作品の話じゃなくて。
俳優って全体で、どこに向かっているのか?
ということなのです。
「映画に出たい。」
「○○劇場に出るんや、我は!(新国とか、んー。新国とかを好きに当てはめてね)」 「○○さんと仕事したい。」
「世界に認められたい。」
「親を/兄弟を/高校の時にバカにしたあやつを、見返したい。」
五秒で上を考えた。
みんな色々なゴールがあると思う。
「カネを稼ぎたい」だけはないはず。
俳優さんは、「居る」「反応する」「生き続ける」という存在証明の継続が仕事だから、ややこしいと思う。
やること自体が作業過程で、ゴールにはならないから。
僕は劇作・演出が仕事の演劇人ですので、
演劇作品をこの世に出すことが人生唯一の使命です。
それだけしか考えてない。
だから、ゴールは…わかりやすいのか。言葉に出来た。
まあ、でも、僕も人の子。
お金がないとダメで。
ドングリ三個では生きていけないのです。
そこで考えたのが、「自立分配型モデル」=「伊藤企画」なのですが、それはまあいいんです。
「分配モデル」はあっちにポーイッ!……カランカランッ、コロコロ…ぽわん!(https://note.com/ready_nerine273/n/n5fb6d17b4794)
ほんで言いたいのは、 今、「俳優」と「僕」が立っている場所っつーか、 今、ぼくらはどこにいるんだ?って思うのです。
俳優にとって、僕にとっても「これは誰のための作品なんだ?」
なぜ、これをやるんだと。
自己、仲間、社会のため?
社会貢献なんて助成金取る時の嘘だしな。
演劇社会を残すためっていうのはあるかもね。
「お客様のために」は、本当だけど、最後についてくるコトバで。
まあだから、みんな過程の途中なわけです。
通過点P。
するってえと、
最終的に「ゴール」を目的とすると、
手段は「続けること」になるのです。僕も含めて。
「まあ、出ても損はないだろう」
劇作・演出家、それが伊藤毅。
そして、こちらもぶっちゃけ、
「平和に集団を構築する、芝居上手い人」
役者さんを必要としている。
秩序がまずありきで、そこから上手い人。
で、僕は作品の責任はとりますが、俳優の人生の責任はとれない。
んー、いっぱい考えたけど、そこは無理。
プロって言うのはそういうことなんだろうとしか言えません。
平田オリザさんの戯曲タイトルに「隣に居ても一人」があります。
ホントにいい事書くわ、オリザさん。
僕らは一人でゴールに向かってる。
お互いにうまく距離をとり、
衝突なくゴールを切ること。
それが僕らの至上命題。
寂しいけど仕方がない。
だから、楽しくやろうぜ。
…なんか、着地点が思ったところじゃなかった。
まあ、立ててりゃいいのか。
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