Win〜彗星は南から 第17話 凶刃
【閲覧注意】
今回は、残酷描写、暴力描写が含まれます。
苦手な方は、閲覧をお控えください。
第17話 凶刃
南海ペガサスカップから三ヶ月。
中秋の季節となった。
専門誌では、ヘールボップのジャパンカップ挑戦が報道されていた。
東京でも、探偵事務所の席に着く藤村が、目を細めて記事を見ている。
「血は、争えないなあ……竹、沖浜、20年前はGⅠレースの頂上決戦だったが……」
すると、同じ端末に着信があった。
「……はい、お疲れ様です……なんですって?」
「はい……わかりました、こっちでも探します」
ただならぬ気配に、所員達が駆け寄って藤村を囲む。
藤村は、周りを見渡して、溜息をついた。
「……あの野郎、飯場の金と車を盗んで、逃げ出しやがった」
所員達はお互いの顔を見合わせる。
数ヶ月前、とあるバーのカウンターで、上崎が一人酒を煽っている。
少し離れた席には、藤村の姿があった。
「今日はお一人ですか?あの情熱的な彼女さんは?」
虚ろな目を向けた、上崎が、またグラスを煽った。
「……あんた、あの時の…」
藤村の存在に気づいた上崎は、しばしの沈黙のあと、ぽつり、ぽつりと身の上を話し始めた。
「……そいつぁ、ひどい」
「大変な目に遭いましたね」
同情をされた上崎は、機嫌を良くしたのか、口が滑らかになって行った。
「あのクソ嫁とガキどもに、二千万、あの女に一千万だとよ、ふざけんなっつうんだよ」
「でも、払うもん払わないと、あなた刑務所行くんでしょ?そうなったら大変だよ?」
「そんな金は、ありませ〜ん!」
藤村が、急に真顔に変わり、上崎の肩に手を置いた。
「だったらさ、いい金貸し知ってるよ」
「3000万くらいぽーんって出せる」
「紹介しようか?」
泥酔している上崎の声が大きくなって行った。
「そいつぁいいや!頼んでいいかい?」
「じゃあ、今から呼ぶよ」
しばらくして、フラフラになった上崎は、震える手でサインをし、しっかりと拇印をついた。
現れた二人の男が、スーツケースと共に上崎の両脇を掴んだ。
「……おい、なんだよ、これ」
「あんたさあ、借りた金って返さなきゃ行けないの、知ってるよね」
藤村は、グラスに口を付けて向き直る。
「安心しろ、奥さんと沖浜さんへの送金は、この人達がやってくれる」
「騙しやがったのか?」
その一言に反応した藤村が、上崎の襟首を掴んだ。
「それはてめえだろうが……てめえは、一生山奥の飯場でくらすんだよ」
「自業自得だ、クソ野郎」
その後、上崎は喚きながらも無理やり店から引きずり出されるように、姿を消した。
現実に引き戻る。
「ここまで、馬鹿だったのかよ……ちくしょう!」
机に思い切り拳を叩きつけると、勢いよく立ち上がった藤村が、所員達へ指示を送る。
「お前は、恵美さんに連絡して見張ってろ、お前は日置さんだ」
言うや否や、上着を羽織るとロッカーのバッグを取り出して、航空会社の予約サイトを検索した。
「俺は……高知へ行く!」
探偵事務所に、言い知れない緊張が漂っていた。
その頃、南海競馬場では、調教や給餌などの作業が終わって一息。
仁美はベンチに座り、冷たい麦茶で喉を潤していた。
10月とは言え、南国の日差しはまだまだ強い。
首にかけたタオルで汗を拭いていると、広美が満面の笑みで現れた。
「仁美〜!お疲れ〜」
いつもよりも上機嫌である。
その様子を、ヘールボップがじっと見つめる。
(……今日は、また一段と上機嫌やないか)
姉の様子に、仁美もどこか気味悪さを覚えた。
「……お姉ちゃん?どういたが?」
「洋平先生には許可もろうたき、おでかけしようや」
「どこに?」
「モール」
「何しに?」
「服買いに」
「誰の?」
「あんたの」
「なんで?」
すると、そこに信吾が、耳まで真っ赤にしながら現れた。
「今度、俺んくの家族と、顔合わせするき」
一瞬意味がわからず、きょとんとする仁美、目の前の二人を見比べる。
「……つまり、信吾さんと、お姉ちゃんが?」
顔を見合わせて二人が頷いた。
(ほんまか!こりゃあ、まっこと……)
(……あの広美が、信吾と……)
ヘールボップは、首を下げて固まってしまった。
「……ということやき、はよ構えて来や!」
無言で頷き、呆然とした足取りで着替えに向かう。
途中で、仁美は片手を突き上げて弾むように駆け出す。
広美と信吾は、並んでその背中を見送った。
ショッピングモールの駐車場。
広美と仁美、運転席の信吾が降車すると、広美が信吾を制す。
「今日は、姉妹水入らずのショッピングやき」
「あんたはどっか別で時間潰しよって」
あっさりと言われて、仁美を見る信吾。
少し申し訳なさそうに、頭を下げられた。
「わかった、ゲーセンにでもおるわ」
すこしがっかりした口調で言うと、広美が頷いて、仁美の手を取り店内に向かう。
二人を見送って、車内の財布を取り、自身も店内に向かおうとすると、後ろからなんとも見窄らしい、ほつれだらけの服を着た男に追い越される。
男は脇目も振らず、真っ直ぐ入店していった。
姉妹は店内で、声を弾ませながら買い物を楽しんでいた。
広美が服を合わせると、仁美がはにかむ。
宝飾品店で、その輝きに顔を合わせて笑い合い、スイーツに舌鼓をうつ。
ショーウィンドウの展示に足を止める妹を、愛しむように眺める姉。
二人とも、普段の姿とは違う年相応の若者の姿だった。
売り場スペースから離れた場所の、人通りが少ないブースで、広美が自販機で飲み物を買っていた、その時。
「……お姉ちゃん!!」
「……え?」
背中ごしに妹の悲痛な叫び声。
駆けて来る、大きな足音が聞こえて思わず振り向くと、広美は言葉を失う。
妹が自分を守るように立ちはだかり、その向こうにボロボロの服に無精髭を伸び放題にした男が、血走らせた目で仁美に密着するように立っていた。
「……上崎?」
「見いつけた、くっくくく」
男は上崎だった、さらに広美の耳に、液体の音が聞こえる。
視線を落とすと、仁美の足元に血が滴り落ちていた。
「仁美!」
背後から、妹の体に手を回そうとすると、上崎が仁美を蹴り飛ばし、二人は床に倒れ込んだ。
上崎の手には血塗られた刃物が握られている。
それを高々と振りかざした。
「……お姉……ちゃん」
仁美は翻り、広美に覆い被さった。
「うぐっ!」
上崎の刃が仁美の背中を斬りつける。
息のような呻き声だ、広美は妹を抱きしめて、名前を叫ぶことしかできない。
「邪魔ばっかりしやがって」
吐き捨てた上崎が、いやらしく笑みを浮かべた。
「……可哀想に、悪い悪い、金の亡者のお姉ちゃんのせいで、こんな目に遭っちゃって……」
「悪いのは全部、君のお姉ちゃんなんだよ?」
上崎が、仁美の髪の毛を掴んで引き剥がすと、仁美の腹部は、赤く染まっていた。
通りがかりの買い物客が、悲鳴をあげて駆け出して行く。
「…お願い、仁美を離して、妹は関係ないでしょう!」
「……目当ては、私なんでしょう?」
「だったらほら」
広美は両手を広げた。
「私をやりなさいよ!」
上崎の血走った目がにやける。
「もちろん、そうするよ、けどよ」
「先にこっちに、き〜めた♪」
「……あんた」
唇を噛み、怒りに打ち震える広美。
「……お前にゃ、とてつもない絶望を味あわせてやるよ」
「お前のせいで、俺はぜーんぶ失ったんだ」
「簡単に楽にさせるかよ……」
「よく見とけ、可愛い可愛い妹ちゃんが、あの世に行く瞬間をよ!」
刃物を構えた瞬間だった。
上崎の体は、真横に吹っ飛ばされる。
そこには、背後から上崎の顔面を蹴り飛ばした信吾の姿があった。
刃物は手を離れ、仁美が倒れ込むのを、広美が抱き止めた。
顔色が青く、呼吸も浅い。
「……ぇちゃん……お、ねぇ」
信吾は上崎を後ろ手に壁に押し付けている。
広美は仁美を仰向けにして、心臓マッサージを始めた。
脳裏に浮かぶ記憶。
小学生の時、風邪を引いて横になっている自分の隣に座って、覗きこんで心配する幼い顔。
自転車の練習で、泣き喚く姿。
母の葬儀で、父と衝突した自分に怯える姿。
潮嵐賞で、誇らしげに腕を掲げてコールを受ける姿、次々と繰り返し、浮かび上がって来た。
「……いかん、いかんで、仁美……仁美」
やがて、先ほどの客が、三人の警備員を伴って現れた。
しかし、二人が信吾を引き剥がし、床に組み伏せる。
「大丈夫ですか?お怪我はございませんか?」
もう一人が、上崎を介抱しようとすると、腕を払って全力で駆け出して行った。
「違う!その人やない、その人やないき!」
買い物客の声も耳に入らないのか、今度は三人がかりで、信吾を制圧し始めた。
「違う……俺や……ない、あっちが」
「大人しゅうせえ!人殺しが」
信吾の声を出す力が衰えてくる。
広美は、か細く言葉を出すしかなかった。
「……違う、違うき」
すると、広美の耳には、何も聞こえなくなってしまった。
AEDを携えたモール内のクリニックの医師が、広美と変わり、機械をセットする。
「あなたは、離れてください」
しかし、広美には声が届かない。
集まって来ていた人達が、広美を離れさせた。
現れた警察官が信吾に手錠をかけようとするが、目撃した客が、必死に説明を始める。
仁美に視線を戻す。
AEDの通電に、身体が大きく跳ね上がっていく。
その光景を、奥歯を噛んで見つめるしか出来なかった。
駐車場に走りついた上崎は、乗って来た車にもたれて息を整える。
そして、ドアを開いて運転席に滑り込むと、ハンドルに腕を叩きつけた。
「くそっ!ま〜た守られやがって!なんなんだよまったく」
「てめえ、もう、洒落にならねえぞ」
突然響いた声に、助手席を振り向くと、鼻面に鉄拳が飛んできた。
不意をつかれて、上崎の鼻は無惨に折れ曲がり、血が滴り落ちる。
助手席には、藤村の姿があった。
「……な、だんで?あんだが」
「ああいう所の車だ、GPSくらいちゃんと付いてんだよ」
すると、後部座席から手が伸びて、上崎の動きを封じた。
いつしか車は囲まれている。
藤村は静かに降りて、取り囲んでいる人間たちと視線を合わせて頷くと。
ドアが閉められ。
そのまま発進して行った。
遠ざかるテールランプに、藤村が呟く。
「……務所で三食付きの暮らしなんてさせるかよ」
「一生、地獄の方が数百倍マシだと思える場所に行ってこい」
遠くから救急車の音が近づいてきていた。
藤村はスマホを取り出す。
「俺だ、全部カタがついた、皆は事務所に戻れ」
通話を切ると、今度は搬出されて行く救急車。
その音を聞きながら、遠くの五台山の緑を眺めていた。
「あの時、事務所開業したばかりでとか、言うんじゃなかったな」
「……恵美さん」
厩舎では、信吾も仁美も不在のため、洋平と瀧越が飼い葉の支度をしていた。
「洋平さん、たまにはこれも良いねえ」
「……俺は、こっちが良い」
「調教師らあて、胃が蜂の巣になるわ」
軽口を叩き合いながら、飼い葉桶を手際良く揃える二人。
洋平が、ヘールボップの前に立つ。
「俺は、芝のコースらあ、わからんきよ」
「全部お前頼みや、頼むぞ、ボップ」
(心配すな、お前は体を作る事だけを考えたらえいがぞ)
瀧越が脇から割り込んで来た。
「言うたち、相手は日本初のキングジョージ勝馬のアマノガワや、気楽に行ったらえいぞ」
(とか言うて、一番期待しちゅうがはお前やろうが、マサ)
ヘールボップは、満足しながら飼い葉を掻き込む。
(二人とも、立派すぎるばあ立派になってくれた)
(歩けんなった時は、絶望しかなかったけんど)
(それなりに、捨てたもんやなかったねゃあ)
(わしの人生も……)
万次郎が、また遠い目で二人を眺めた。
(なんとか目覚めたいねゃあ)
(広美の、花嫁姿見るまでに……)
その時。
「洋ちゃん!洋ちゃん!」
洋平の妻、麗子が息を切らせて駆け込んで来た。
「なんな?麗子、騒々しいねゃあ」
すると、麗子は膝をついて号泣し始める。
ただならぬ気配に駆け寄る二人。
「おい、何があったがな?」
「……仁美ちゃんが、いま、テレビで……」
「うわぁ〜ん!」
今度は、瀧越が前に出る。
「おかみさん、落ち着いて、何があったがです?」
「仁美ちゃんが……暴漢に刺されたって……」
「意識不明……やって」
その場が凍りついた。
「何かの間違いやないがか?」
「……テレビでやりよった、南海競馬の沖浜仁美騎手って言いよったき」
(……ほんまか?麗子ちゃん!ほんまか?)
仁美が搬送されたのは、万次郎と同じ遠林病院だった。
手術室の前に広美が座っていると、洋平と瀧越が駆けつけた。
「広美ちゃん!」
広美は声に反応するものの、顔は動かさない。
「信吾は?」
「……いま、警察で、証言してます」
「そうか……」
洋平は唇を噛んで、手術室に点るランプを見つめるだけだった。
時を同じくして、万次郎の耳に声が届く。
(……あの、万次郎、さん?)
それはなんとヘールボップの声だった。
(お前、直接会話ができたがか?)
(はい、ずっと聞いてました)
(ほいたら、なんでもっとはよう言わん?)
(……なんだか、怖くて)
万次郎の焦燥がふっと和らいだ。
(ぼうかんって?さされたって)
(なんですか?)
(仁美さんに、何かあったんですか?)
自身の心配を押し殺して、なんとか宥めようと試みる。
(なんちゃあ気にせんで良い)
(棒にカーンって当たって)
(ささっと走っただけや)
(嘘だ!)
万次郎の気持ちがきゅっと縮む。
(おかみさん、目から水がいっぱい出てた)
(仁美さんも、悔しい時、悲しい時にいっぱい水が出る)
(広美さんも出してた)
(仁美さんに、何かがあったんでしょう?)
(……それは)
その瞬間。
万次郎は、突然深層心理領域に誘われた。
景色の色が不安定に変化している。
すると、黄金の光のオーラをたたえたコメットハンターが、万次郎の目の前に現れた。
「ハンター、今はお前と話をしゆう場合やないがやが……」
病院では、手術中のランプが消えた。
仁美が目を閉じたまま、ストレッチャーで病室へ運ばれて行く。
目を見ても開くことはない。
ただ、呼吸の音だけが、力強く聞こえていた。
執刀医が、ご家族の方をと促すと、洋平のスマホが震えて電話にでる。
短い通話の後、瀧越に目を向けた。
「オーナーからや、ジャパンカップ、お前が乗るか、登録をキャンセルか、打ち合わせせんといかん」
「……こんな時にかえ?」
「こんな時やきや!」
思わず声を荒げる洋平。
「……こんな時やき、俺らあは、出来ることをせんといかんがや」
瀧越が無言で頷き、二人は病院を後にした。
深層心理領域。
コメットハンターのオーラがひときわ勢いを増している。
万次郎は、眩しさに目を瞬かせていた。
コメットハンターが言葉を落とす。
「ついに、この時が来たようです」
その言葉を合図に、空間に別の声が響いた。
(……まんじさん?)
万次郎の呼吸が止まる。
「……明美?明美ながか!?」
明美は構わず続けた。
(いま、仁美は、生死の境におります)
(どう思う?)
「そら、お前……絶対に生かさなあいかんに、決まっちゅうろうが!」
声を荒げる万次郎とは、対照的に明美は落ち着いていた。
(どうして?)
「どうしてってお前」
(まんじさんも、もう長うない)
(家族三人、こっちの世界で一緒におれるがで)
どこからともなく聞こえる声に、万次郎は全力で反論した。
「馬鹿なことを言うな!」
「広美はどうなるがな?」
「全部背負うて、生きていかなあいかんなるがぞ……」
「一人で、そんなことをさせられるか!」
すると、明美の声のトーンが変わる。
真剣な鋭い声だった。
(まんじさん……仁美を助けたい?)
「当たり前やろうが!」
(広美に、笑うて生きて欲しい?)
「それがわしの願いや!」
(自分の命に変えても?)
「そんなもん!なんぼでも持って行ったらえい!」
その言葉が落ちた瞬間。
コメットハンターの体が、辺り一面の景色を消すほどの光を放ち、その光が黄金のオーラに収束して行く。
やがて、コメットハンターの体を離れて独立して、形を作り始めた、人間の姿に。
それはやがて、明美の姿になり、万次郎の目の前に現れた。
「まんじさん、その言葉、待ちよりました」
万次郎の心は空になり、ただ目の前の明美を仰天の表情で見つめることしかできなかった。
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