国境の昼食—伝統と合理性の交差点タチレク(Tachileik)【アジア陸路国境の記憶 #04|タイ=ミャンマー後編】
国境。
日本に暮らしていると、それは地図の上の線でしかない。
けれど、世界には「匂い」を感じる国境があった。
それは線ではなく、時には「混ざり合った人と物の流れが放つ」匂い。
十数年前、いくつかのアジア陸路国境を越えた記憶を
記録として残したい。
〇市場としての国境(タイ/ミャンマー・タチレク)【後編】

満たされない観光客としての私
国境を越えたのに、そこにあったのは「タイの延長のような市場」だった。
記念碑もスタンプも手に入れたが、
私の観光客としての目的「ミャンマーに来た」という実感は薄い。
せっかくなら、ここでしか味わえない「匂い」に触れたい。
その思いを、昼食に託すことにした。

国境食堂で出会った「最小注文/最大提供」
入ったのは、国境から歩いてすぐの大きな食堂。
メニューは写真が並ぶが、文字はミャンマー語とタイ語。
観光客は写真を指差せばなんとかなる。
若い店員は観光客には英語で応じ、
同時にミャンマー人の常連客の注文もさばいていく。
学校で習った語学というより、
「生きるための道具」として身につけた英語とタイ語。
その柔軟さが、この食堂の空気を動かしていた。

注文したのはミャンマー料理、豆ごはんとスープ。
「こここそがミャンマーだ」と思いたかったのだろう。
けれど飲み物に選んだのはコーラだった。
正直、味の記憶に自信がなかった。
以前ヤンゴンやバガンで食べたミャンマーカレーは、どこか素朴で、
タイ料理ほどの華やかさはなかった。
だから、飲み物だけは安全な選択に逃げていたのだと思う。自分の弱さを笑いながら、箸を進めていた。

ところが、料理を待つ間に頼んでもいない小皿が次々と並び始めた。
すぐに思い出す。
「食べた分だけ支払うミャンマー方式」だ。

ヤンゴンの食堂で経験したあの光景が、ここ国境の町タチレクでも繰り返される。
料理を一度に並べ、皆で分け合う食文化の名残。
それは伝統でありながら、
食べた分だけ払えばいい、実に市場的な知恵、合理性でもある。
タイ人のピックアップトラックとはまた別の市場的な合理性だ。
だからこそ、観光客やタイ人も行き交う国境の町でも、この伝統スタイルは崩れないのかもしれない。
むしろミャンマー人としての「したたかさ」を残している。

市場に呑み込まれながらも消えない「伝統」と「合理性」の同居。
それは制度や商売のルールだけでは説明できない、
第三の「国境の匂い」だった。
その「したたかさ」はどこから来るのか、今も答えは出ない。
だが、だからこそ記憶に焼きついている。

ふと周囲を見渡す。
客席の大半を占めていたのはミャンマー人だった。
家族で食卓を囲む人、友人と談笑する若者、労働の合間に黙々と食べる男。
彼らにとってここは、ただの日常の食事処だ。
一方、観光客である私は、その日常に「ミャンマーらしさ」を必死に探している。
同じ豆ごはんを前にしても、意味はまるで違う。
私にとっては「異国に来た証拠」。
彼らにとっては「いつもの昼飯」。
店員にとっては「稼ぎの手段」。
視点が違えば、同じ一皿がまったく別の意味を帯びる。
ひとつのテーブルの上に、複数の「国境」が重なっていた。
それは制度が引いた線でも、市場が決める値札でもない。
もっと複雑で、人の立場ごとに変容する、「重層的な境界」だった。

誰のための国境か。そして複数の「匂い」としての国境。
昼食を終えて橋へ戻ると、
「外国人とタイ人はこちら」と書かれた看板の前に列ができていた。
観光客やタイ人は足止めを食らい、
渋滞するトラックの排気ガスに包まれている。
そのすぐ横を、ミャンマー人たちは慣れた足取りですいすいと抜けていった。
同じ橋の上に立ちながら、それぞれの意味は交わらない。
観光客にとっては「旅の証拠」、タイ人にとっては「仕入れの通路」、ミャンマー人にとっては「生活の一部」。
すれ違いながらも視点は重ならず、ただ並走するだけだった。
それもまた「国境の匂い」なのかもしれない。
誰のための国境なのか。——答えは出ない。
けれど、境界線の上で重なり合いながらすれ違う複数の視点と匂いだけが、私の記憶に強く残った。
