市場の国境—タイとミャンマーが交わる町タチレク(Tachileik)【アジア陸路国境の記憶 #03|タイ=ミャンマー前編】
国境。
日本に暮らしていると、それは地図の上の線でしかない。
けれど、世界には「匂い」を感じる国境があった。
それは線ではなく、時には「混ざり合った人と物の流れが放つ」匂い。
十数年前、いくつかのアジア陸路国境を越えた記憶を
記録として残したい。
〇市場としての国境(タイ/ミャンマー・タチレク)【前編】

「国の境より、市場の境が大事だよ」。
誰かがそう言ったわけではない。
けれど、この国境に立ったとき、頭の中で自然とその言葉が浮かんだ。


チェンライから北へ
タイ・チェンライの朝。
レンタルしたばかりの125ccのスクーターは新品同様で、軽やかな音を立てて走り出した。
田畑の広がる舗装道路を1時間半ほど北上すると、メーサイの町にたどり着く。ここがタイ最北端。
その先に、ミャンマーのタチレクが待っている。


駐車場にバイクを預け、歩き出す。
市場の通りにはタナカを頬に塗った女性たちがいて、
タイの町にいながら、すでに「国境の匂い」を感じていた。


記念碑と有刺鉄線
町の突き当たりには
「THE NORTHERNMOST OF THAILAND」と刻まれた石碑が立ち、
その背後には小さな川。
橋の上には有刺鉄線が張り巡らされ、観光客の私には「記念碑」とは正反対に、むしろ「国境」という言葉を鋭く突きつけてきた。

当時、パスポートと10ドルを差し出せば、ビザなし日帰り入国が許された。
国境を越えた証、パスポートにスタンプも押された。
制度なのか商売なのか、判然としないルールに従って、私は橋を渡った。
観光客としての私の目的が達成されつつ、
その橋に掲げてある国旗のはためき、足元の川は「国境」感を私に増幅させていた。


タチレクの市場
だが、ゲートの出口付近、外では、まったく別の国境が広がっていた。
ピックアップトラックの渋滞。
露店には中国製の衣服や靴、コピー品が山積みされ、タイの菓子や飲料と肩を並べている。
タイ人客が大量に買い込み、それを荷台に積み込んでいく。
ここでの渋滞は人ではなく、物を運ぶ車がつくる——理由は単純、安いという合理性からだ。

「国境」を超える「市場の匂い」はもう始まっていた。
国旗や有刺鉄線が示す境界の「国境」はあっさりと飲み込まれていく。
ここでは制度よりも「市場の国境」のほうが強く支配していた。

通りを歩けば、ビール缶が無造作に積まれ、ミャンマー産の「Myanmar Beer」とタイ産の「LEO」が並ぶ。
国籍は棚の上で意味を失い、価格と需要だけが物差しになる。


天津甘栗やたこ焼きまでが屋台に並ぶ。場違いに見えても、売れるなら国籍を問われない。
路地では精力剤をそっと示す手。噂では裏の案内役もいるという。
正規と非正規、表と裏。分かれているようで、実際は同じ市場の空気を吸っている。
欲望と合理性が混ざり合い、地図の線を軽々と飛び越えていく。

しかし、市場を歩きながらも、私はどこか満たされなかった。
国境を越えたはずなのに、
広がっているのは「タイの延長のような売り場」ばかり。
ミャンマーの地に立っているのに、「ここに来た意味」が手の中からすり抜けていくような感覚だった。

原点に戻る。
どうして1時間半もかけて北を目指したのか。理由は単純だった。
私、観光客として、
ここがタイ最北端で、パスポートにスタンプを押せる特別な場所だったからであり、日帰りでミャンマーに入れる制度にも惹かれたからだ。
せっかく越えるなら、ミャンマーらしさを体験して帰りたい。
国境を感じさせる光景はいくつもあった。
タナカを塗った女性も、記念碑も、スタンプも、安さに群がるトラックも。
けれど——どれも観光客としての私が探していた「ミャンマーらしさ」には届いていない。

それでも私は諦めきれなかった。
せっかく国境を越えたのだから、何かしら「ミャンマーらしさ」に触れたい。いや、触れなければ意味がない。
その「執着」を、昼食の席に託すことにした。
その一皿が、私にとって思いがけない、
新たな「国境の匂い」へ繋がることになるとは、まだ想像もしなかった。
【後編】に続く。
