ニューヨークからボストンへ——一日で少しだけ変わった町の距離【海外での記憶#46|アメリカ編-07】

ニューヨーク滞在中、アムトラックに乗って、ボストンへ日帰りした。
列車に乗ってみたい。フェンウェイ・パークも見てみたい。そんな軽い思いつきから始まった一日だった。
朝、ニューヨークを離れ、ボストンを歩き、夜にはまたニューヨークの町を歩いていた。
けれど、この日、最後に印象に残ったのは、ボストンで見たものだけではなかった。

2008年12月の早朝。
私は、滞在していたホテルから近い、ニューヨークのペンシルベニア駅にいた。なぜ駅にいるかというと、ボストンへ向かうためだ。
一週間近い滞在中、自由の女神やウォール街、セントラルパークなど主要観光地を見て、地下鉄にも少し慣れていた。
ニューヨークを少し離れて、ボストンへ行ってみようと思った。

ボストンへ行こうと思った理由の一つは、アムトラックだった。
アムトラックは、アメリカの都市を結ぶ旅客鉄道として知られていて、一度乗ってみたかった。ニューヨークからボストンまでは、一万円もしない金額で行けるらしい。
さらに、ボストンには、メジャーリーグの球場、フェンウェイ・パークもある。メジャーリーグ好きの私には、それも理由だった。

運賃は89ドル
今回のニューヨーク旅は、前日の夜に行き先をざっくり決め、そのまま翌日を迎えるような旅だった。
だから、この時も切符は予約ではなく、当日の朝、駅の窓口で買った。
英語の発音にあまり自信がなかったため、持っていたノートに「Boston」と書いて見せた。文字なら、すぐに通じた。

列車を待つあいだ、駅構内でコーヒーとチキンのラップサンドを買って食べた。乗車前に、軽く腹ごしらえをした。
そして午前7時出発の時刻が近づき、ホームへ降りた。
ニューヨークの中を歩いていた旅が、ボストンへ伸びていく。
少し気持ちが高ぶった。

ホームには、初めて乗るアムトラックが停まっていた。
私にとってアムトラックといえば、何日もかけてアメリカ大陸を走る列車だった。
今回乗るのは、東海岸の都市と都市を結ぶ列車だ。大陸横断ではない。それでも、ボストンまでは4時間ほどもかかる。
規模は違っても、アムトラックに乗れることがうれしかった。

車内に入ると、乗客はほとんどいなかった。
私は空いている席に座った。
一度乗ってみたかったアムトラックの旅は、静かな朝から始まった。
ペンシルベニア駅を出た列車は、しばらくして地下から地上へ出た。
窓の外には、朝焼けと線路が広がっていた。

中央にエンパイア・ステート・ビル
少し進むと、すでに観光で訪れたエンパイア・ステート・ビルが見えた。
先端の細長い形ですぐにわかった。
手前には、低い建物や線路沿いの工業的な風景が広がっている。
マンハッタンを歩いていたとき、私は高層ビルに囲まれていた。
都市の外側から見ると、高層ビルの手前にも別のニューヨークが広がっていた。

さらに進むと、低い建物が密集する町並みが手前に大きく広がり、その奥に高層ビル群と大きな吊り橋が見えた。
マンハッタンから離れるほど、その周辺に続く町の方が大きく見えてくる。ニューヨークはマンハッタンだけではないという当たり前のことが、車窓の中で具体的になった。

やがて、車窓には一戸建ての住宅が目立つようになってきた。
さらに進むと、水辺には白いカバーをかけられた舟が並び、水面も静かだった。

ニューヨークを出た列車は、駅をどんどん通過していった。
コネチカット州のスタンフォード駅に入り、さらにロードアイランド州を通って、マサチューセッツ州のボストンへ進んでいく。
駅名を追っていくと、列車がいくつもの州をまたいで進んでいることがわかる。


さらに大きな川を渡り、列車は進んだ。
途中の駅では、駅の向こうに草木が広がっていた。
ニューヨークから離れ、別の土地へ来たように感じた。

そして再び、高層ビルの風景が現れ始めた。
列車は、都市の中へ入っていく。ボストン中心部に近づいてきたと思った。
ただ、煉瓦色の建物が混じる風景は、ニューヨークの高層ビル群とは違って見えた。


ようやく、終点のボストン・サウスステーションに到着した。
駅構内は少し賑やかだった。ただ、朝のペンシルベニア駅と比べると、どこかのんびりした雰囲気に感じられた。
駅の内外には、冬の風物詩「The Nutcracker(くるみ割り人形)」の幕が掲げられていた。


フェンウェイ・パークを思わせる装飾
ボストンには着いたけれども、目的のフェンウェイ・パークは、サウスステーションの近くにはない。
路線図を見ると、地下鉄はいくつかの路線に分かれていた。それでも、案内表示を追いながら乗り継ぐと、思った以上にスムーズだった。
そしてフェンウェイ・パークに近いケンモア駅(Kenmore)へ着いた。
ケンモア駅の表示板には、フェンウェイ・パークを思わせるような装飾が施されていた。

ケンモア駅を出て少し歩くと、ようやく、ボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークに着いた。
ただ、着いたのは良いけれど、考えてみれば、試合のない12月だ。球場の中には入れなかった。
片道4時間ほどかけて来て、中に入れない球場の前に立っている。かなり雑な旅だなと思った。
それでも、せっかくここまで来た。せめて外から見てみようと、フェンウェイ・パークの周りを歩いた。

球場の外壁には、「1912」と刻まれていた。
フェンウェイ・パークは1912年に開場し、現在使われているメジャーリーグの球場では最も古いという。

球場の周囲を歩くと、外壁は町の通りに沿って続き、その向かいには少し年季のはいった建物が並んでいた。
その風景を見ていると、球場が町の中にあり、今も町の中の一部として使われているように思えた。
町から切り離されている感じは受けない。
なんだか、この球場と町の関係は、昔から大きく変わっていないのかなと思った。

歩いていくと、煉瓦の壁に、レッドソックスがワールドシリーズを制した年の看板が並んでいるのを見つけた。
1918年の優勝から、次の2004年まで86年もかかっている。この2004年の優勝はよく覚えている。私もテレビで見ていた。
そして、訪れた前年の2007年も、世界一になった看板があった。

さらに、球場の外には、レッドソックスの名選手、テッド・ウィリアムズの像があった。
1941年に打率4割6厘を記録し、メジャーリーグ最後の4割打者として知られている。
置かれていたのは、打席に立つ英雄の姿ではなかった。少年に帽子をかぶせる姿だった。

そして、球場の外で日本語を見つけた。
訪れた2008年は、松坂大輔が日本のプロ野球からレッドソックスへ移籍して2年目だった。前年にはワールドシリーズ制覇も経験していた。
メジャーリーグ現役最古の球場の一角に、日本人投手を歓迎する看板が掲げられていた。
それを見ながら、同じ日本人というだけで、自分も誇らしく感じてしまった。

それがきっかけだったのかは分からないけれど、近くのレッドソックスのグッズショップで、松坂大輔のグッズを買ってしまった。
自分でも、良いお客さんだなと思った。


そして、近くのスポーツバーにも入った。
店内にはいくつものテレビが並び、アメリカンフットボールや雪上競技など、さまざまなスポーツ映像が流れていた。
アメリカらしいハンバーガーとフライドポテトを食べ、コーラを飲みながら、しばらくテレビを見ていた。
私が好きなメジャーリーグの映像ではなかったけれど、スポーツバーの雰囲気は味わえた。

スポーツバーを出て、ケンモア駅へ戻る道を歩いた。
それほど高さのない赤煉瓦の建物が並ぶ町の中を、グリーンラインの車両が走っていた。
比較的新しく見える車両も、その町並みの中に溶け込んでいるように思えた。
その後、ケンモア駅から地下鉄で戻ろうとした。

歩行者中心の商業地区
ただ、帰りの列車の出発まで時間があった。
サウスステーションの一駅手前、ダウンタウン・クロッシング駅で降りてみた。ダウンタウン・クロッシングは、古くからある商業地区として観光ガイドに紹介されていた。

通りではホリデーイベントが開かれ、クリスマスツリー、動物の囲いや小さなメリーゴーラウンドも置かれていた。
多くの人が集まり、冬のイベントを楽しんでいた。

その近くを歩くと、赤煉瓦のパーク・ストリート教会が立っているのを見つけた。
1809年に建てられた教会で、1829年には、奴隷制廃止運動家ウィリアム・ロイド・ギャリソンが、ここで反奴隷制の演説を行ったことでも知られている。200年近く前からある建物だが、歴史的建造物として残されているだけではない。今も教会として使われている。
ホリデーイベントで賑わう商業地区と、この教会では、そこに積み重なってきたものはずいぶん違うなと思った。
でも、どちらも今のボストンで、それぞれの役割を持つ場所として使われている。そんな二つの場所がすぐ近くにあることを、少し面白く感じた。

その後、サウスステーションへ向かった。
朝、ニューヨークから着いたこの駅から、ニューヨーク行きの列車に乗る。窓口へ行き、帰りの切符を買うことにした。
朝はノートに「Boston」と書いて見せたけれど、今度は少し話してみようと思った。ところが、「ペンシルベニア駅」がうまく伝わらない。
ニューヨークの駅ではなく、ペンシルベニア州へ行きたいと伝わっているようだった。
慌ててノートを出し、「New York Penn」と書いて見せた。
朝も文字にして見せた。帰りも文字にして見せた。英語の発音が得意ではない私にはこれが正解だと思った。

そして行きは89ドル、帰りの運賃は62ドルだった。
同じ区間なのに27ドルも安い。少し不思議に思ったけれど、そういうものなのだろうと、そのままにした。

列車が出発するまで、卵の入った温かいスープを食べて時間を過ごした。
朝はニューヨークの駅でコーヒーとラップサンドを食べ、夕方はボストンの駅でスープを食べている。
思いつきで始まった日帰りの旅も、あとは帰りの列車に乗るだけになった。

その後、列車はニューヨークへ向けて出発した。
窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
朝は、川や住宅、舟、町の風景を眺めながらボストンへ向かった。けれど、帰りは同じようには見えなかった。
窓の外は暗いままで、ときどき駅の明かりが現れては、後ろへ流れていった。

気づけば、出発から4時間近くが経っていた。
そんな中、それまでとは違う、まとまった町の明かりが見えてきた。
橋の姿も浮かび、ニューヨークが近づいているのだとわかった。
なんだか、懐かしさを感じた。

やがて列車は、ニューヨークのペンシルベニア駅に着いた。
列車を降り、駅構内を歩いていると、さっきまでいたボストンとは空気が違うように感じた。
そして駅を出て、ホテルへ向かって歩いた。
その途中、建物の隙間から、ライトアップされたエンパイア・ステート・ビルが見えた。
数日前から何度も目にしていたけれど、思わずカメラを向けた。

エンパイア・ステート・ビルを撮ったあと、大きな郵便局にも、なぜかカメラを向けていた。
そこは、その日、見に行こうとしていた場所ではない。
なぜそこにカメラを向けたのか、自分でもよくわからない。
けれど、写真を撮った。

もちろん、このニューヨークも私にとっては旅先だった。
それでも、朝にこの町を離れ、ボストンを一日歩いて夜にニューヨークへ着くと、少しだけ「戻ってきた場所」のように感じた。
まだ数日しか歩いていない町なのに、そんな感覚が残った。
*これは2008年の記録です。
|追記|
|この文章について|
旅先では、同じ町を何日か歩いているうちに、少しずつその場所に慣れていく。
けれど、一度そこを離れてみると、戻ったときに、自分がその町にどれくらい馴染んでいたのか、少しわかることもあるのかなと思った。
参考資料:
ウィキペディア/TripAdvisor ほか。
海外での記憶
#47|地下鉄で巡るニューヨーク——街が見せるアメリカという国|アメリカ編-08【進む→】
#45|インレー湖の向こう側——湖上に見えてきた暮らし|ミャンマー編-07【戻る→】
#00|目次:エジプト編 /カンボジア編/ラオス編/ミャンマー編/インド編/アメリカ編/タイ編/ベトナム編
