見出し画像

【Re:write】第40話 二番目の魂と、水面の戯れ

―絶望を、書き換えろ。


【初めましての方へ】まず世界観を把握するなら
物語の始まり、第一話へのリンクはこちら
👉 第一話:観測者は森で目覚める
作品案内・あらすじはこちら
👉 はじめて読む方へ|『Re:write』は第1話からどうぞ

前話:第39話 最初の戦野と、それぞれの得物
次話:第41話 二番目の器と、賢者の探求


創造の熱狂が去った、エラーラの工房。

凪。
壁を埋め尽くす数式は沈黙し、床のガラクタは掃き清められ、作業台は次なる創造を待つために磨き上げられている。
回路の最終検分は、エラーラの指先だけが進めている。
カイは壁際。立ったまま。
アリアは、ミミの髪を結い直す。
ドレイクは、黙々と鎚の油を拭う。

その穏やかな空気に、物理的な波紋が立つ。
工房の隅。水瓶の表面張力が盛り上がり、ウンディーネが顔を出す。
今は、少女の形ではない。
ミミが羊皮紙の端に描いた、いびつなウサギを模倣している。

『ピョン』

感情を排した合成音声が、物理挙動を宣言する。
弾性エネルギーによる跳躍。
床を跳ね回る。

「あはは!うさぎさん、かわいい!」

ミミの声、頬が上がる。
小さな手が触れようとした瞬間、ウンディーネの身体が相転移する。
液体から霧へ。
ミミの指先をすり抜け、数メートル先で再び液化する。

『オニゴッコ。継続シマス』
「まてまてー!」

ドレイクの布が止まる。
油の匂いだけが残る。

「……フン。ただの水たまりが、ガキの子守りとはな。大した出世だぜ」
「いいえ、ドレイクさん」
アリアが、小さく首を振った。

安堵。肺の奥まで、深く、静かな呼吸。
「この子は、私たちが戦う理由を、思い出させてくれるのです。この、何でもない日常を守るために」

カイは、その光景を「観測」していた。
脳内ナノマシンが、霧と液体の高速切り替えに伴うエネルギー変換効率を算出する。

(非効率だ。戦闘行動ではない移動に、これだけのリソースを割くなど)

だが。
計算結果の末尾に、新たなパラメータが追加される。
ミミの笑い声。
パーティー全体の、精神的安定係数。
理性は、それを『価値ある結果』であると承認した。

パン!
乾いた音。エラーラの手拍子。
空気が切れる。

「さて、子守りはこのくらいにして、本題に入ろうじゃないか!二番目の魂の鋳造だ!」

ミミの足が止まる。
ウンディーネの跳躍も止まる。
床に、水滴が一つ落ちる。
ドレイクが手で示す。

「ミミ。こっちだ。……触るなよ」
「はーい」

アリアがミミの頭を撫で、後ろへ下げる。
作業台の前が空く。
作業台の上。流線形の水晶。
器の壁は薄い。光が縁で折れて、刃物の線になる。
床の幾何学。線が細い。密度が違う。
その横。二枚目の「楽譜」。紙の端が折れている。

アリアが拾う。指先で紙を戻す。音が、乾いている。
視線だけで読む。
書き込みは短い。

「ウンディーネの時とは、勝手が違う。彼女が『静』であるなら、こちらは『動』。気体だ。風や霧のように、手の中からすり抜け、世界全体へと溶けて広がっていく感覚を、イメージしろ」
「はい、カイさん」

カイは壁際。答えない。
腕の角度だけ変わる。
視線が、器と回路の間を往復する。
エラーラは器の縁を覗き、爪で軽く弾く。
乾いた共鳴。
指が空中を切る。触れない。

「動。逃げる。散る。……散ってから、戻す」

アリアの声。
「輪郭を、与える」

「そう。輪郭。薄い膜。破れない厚さ」
回路の明滅が、まだ始まっていない。
器の縁だけが、先に温まる。
空気が一度だけ、遅れて追いつく。
アリアの指。最初の和音。

音が立った瞬間、粉塵が浮く。
工房の空気が薄く引き伸ばされる。温度が半歩下がる。
ウンディーネが跳ねるのをやめる。水滴が一粒、床に落ちたまま動かない。

旋律は軽い。軽さが逃げ道になる。
床の幾何学が明滅する。熱が線の上だけを走る。
器の内部に、負圧の縁ができる。水晶の器が周囲の空気を貪欲に吸い込み、耳の奥で、鼓膜が内側に引かれる。
エラーラの手は空中を忙しく刻む。触れない。指先の位置が、明滅の位相と噛み合う。

カイは壁際。
網膜の波形ログ。山が伸びる。戻る。伸びる。戻る。
許容の縁で、足踏みしている。

ドレイクが一歩ずれる。靴底が床を擦る。
ミミの息が止まり、また出る。
アリアの声は切れない。呼気が一定の圧で、器へ流れ込む。

器の中。
光の揺れが縁へ逃げる。器壁に沿って薄く広がる。
戻りきらない。縁で一度、ほどける。
散った揺らぎが、一度だけまとまる。
膜が張る。薄い。破れない。
境界が、消えずに残る。

歌が終わる。

明滅が止まる。熱が引く。
負圧の縁がほどける。
それでも、器の中の輪郭は残ったまま、微細に揺れている。

ランプの火が一度揺れ、戻る。
壁の羊皮紙が擦れて止まる。

工房の外。金槌の音。一定。
扉の隙間から風が入る。灯りの四角が床に落ちる。ゆっくり縮む。
通りの先で、誰かが金具を落とす音。すぐ消える。

水晶の器。内部の揺れが、遠い。

水晶の縁を、残留した光の粒子がなぞる。ランプの火が揺れる。


前話:第39話 最初の戦野と、それぞれの得物
次話:第41話 二番目の器と、賢者の探求


続き/背景を読むなら

物語の始まり、第一話へのリンクはこちら
👉 第一話:観測者は森で目覚める
作品案内・あらすじはこちら
👉 はじめて読む方へ|『Re:write』は第1話からどうぞ

👉小説「Re:write」のこれまでの話をまとめたものはこちら。


いいなと思ったら応援しよう!