【Re:write】第42話 二番目の心と、風の対話
―絶望を、書き換えろ。
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工房の中央。作業台の上。
高い窓が、指一本分だけ開いていた。
そこから入る風が、水晶の器の縁をなぞっている。
水晶の器の内部に、明確な輪郭はない。
小さな霧の竜巻が、ゆっくりと渦を巻いている。
絶えず世界へと溶け出し、拡散を繰り返す不安定なエントロピー。
カイの手が、器の直上を覆った。
「これより、制御権限を設定する。マスターを、アリア。サブマスターを、俺、カイ・ミシマとする」
渦の中心。一瞬の発光。
回転速度が跳ね上がる。認証のシグナル。
「さあ、アリア」
カイが促す。
「君の、最初のパートナーだ。呼びかけて見ろ」
「は、はい!」
アリアの足音。器に一歩近づく。
「あ、あの……ミストちゃん?聞こえますか?私が、あなたのマスターのアリアです」
器の中。霧は、一定の周期で揺らめくだけだった。
空気の振動による「声」は返らない。
アリアの指が、衣の裾を探した。
縫い目を一度だけ押し潰す。
「……ダメ、です。ウンディーネちゃんのように、お話はできないのでしょうか……」
生地が微かに軋む。
「待った!」
白衣の影が割り込む。
エラーラの丸眼鏡が、水晶板の青い光を反射していた。瞳孔が開いている。
「今、ミストを構成する魔力の波長に、微細な揺らぎが見える! アリアさんの声に、あの子の魂が確かに共鳴しているんだ!これは、対話だ!」
水晶板を指で叩きながら、エラーラが言葉を畳み掛ける。
「アリアさん!データ量が足りない!自己紹介だけじゃサンプル不足だ!好きな食べ物は!?趣味は!?血液型は!?」
エラーラの指が、水晶板の端を叩き続けている。
同じ箇所だけ、青い光が欠けた。
「け、血液型!?」
アリアの視線が泳いだ。
「てめえは、見合いの席の世話焼きババアか!」
ドレイクの怒声が、物理的な重さを落とした。
「エラーラ、落ち着け」
カイの声音。
「お前の観測は正しい。だが、やり方が間違っている。ミストは、ウンディーネとは異なる性質を持つ。言語という、人間が定義した画一的な対話が通用するとは限らない」
「じゃあ、どうしろって言うんだい!?」
「……心で、話すのです」
アリアの唇から、短い吐息が漏れた。
ドレイクの手が、戦鎚の柄から少しだけ離れた。
エラーラの指先も止まる。
視線が、器の中の霧の竜巻に固定される。
両手が、器の縁に添えられた。まぶたが閉じる。
(ミストちゃん……。聞こえますか?言葉はいらないの。ただ、感じて。あなたは、怖くないのですよ。あなたは、一人じゃない。私たちが、あなたの家族です)
音声データは介さない。掌の温もり。呼吸のピッチ。祈りのイメージ。それらが直接、器のコアへと送り込まれる。
器の内部。
回転が急停止した。
拡散していた霧が一点に収束し、白濁した塊となる。
形成されたのは、小さなリボンの輪郭。
器の縁に付いた水滴が、落ちない。
空中で止まっている。
(……ああ。母様。私の、髪を、結ってくれた……)
アリアの頬を、一滴の水滴が滑り落ちた。
「……これは一体?」
エラーラの声のトーンが落ちる。
「……音声言語を介さず、概念を物理形状として出力した……?」
リボンの霧が、器の縁を越えて浮上した。アリアの頬。水滴に、霧が触れる。
それは蒸発して熱を奪うはずの気体でありながら、不思議と温かく感じられた。
ミミがアリアの足元に駆け寄ると、アリアの手にまとわりつく、小さな霧を見上げて、にっこりと笑った。
「こんにちは、ふわふわちゃん!」
ミミの、ミストが聞く世界で最初の挨拶。
それにこたえるように、ミストは、ミミの頭の上で、小さな花の形になって、くるりと一回転した。
ミミの髪が、少しだけ浮いた。
すぐに落ちた。
第二の精霊は、言葉を持たない風の娘だった。
彼女が動くたび、閉ざされたはずの工房に、どこからか爽やかな風が吹き抜ける。
その風はアリアの頬を優しく撫で、作業台の上の羊皮紙をカサリと揺らした。
形を持たないがゆえに、誰よりも自由な「気配」。
透明な「家族」の存在を刻みながら、風は高い窓の隙間から、どこまでも広がる空へと抜けていった。
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