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春の陽気を感じて思い出した、夜のドライブ

ちょっとタイムスリップして、過去の思い出に浸ります。

先日、とある作品を読んでとっても感銘を受けて、感傷に浸っていたんだけれど、少しずつ心がざわめきはじめた。

恐る恐るそのざわめきを覗いてみたら、とある3人の男性の姿がぼんやりと見えてきた。

この3人のタイプは、全く違うことは覚えている。この記事を書き始めた段階では、その方の顔はほぼ見えない。影だけ。わたしの中で、それだけの時間が流れていったのだと気づいた。

前作からの引用

今回は、2番目に被害が少なそうだと判断したとある人に対する思い出に、ちょっとだけ浸ってみることにした。


ここから書くわたしの属性を書いておく。

この後、人生経験が格段にアップ する機会に恵まれた させられる出来事が重なったから、今のわたしとは違うように感じられる部分もあるかもしれない。

でも、いろんな出来事のおかげで、メンタルはそこそこ鍛えられて、今日もちゃんと生きている。

前作からの引用
  • この3人に出会った時は、いずれも、彼(今の夫)と交際中である。ただ、遠距離期間もあったし、バイトやら仕事やらといったその時のメインのものたちに、かなりの時間を費やしていたから、わたしから交際関係の雰囲気は感じられなかったのかもしれない。さらに、聞かれたら答えるけど、あまりプライベートは語らない主義だったので、謎に包まれたタイプだった模様。

  • 基本的に断れない。当時は、関係性的に断るのが怖かったというのもある。

  • 身長が低めだから、たいていの人に対して見上げることになる。別に、上目遣いをしたいわけではない。そんなことより、長女としてちゃんとしていることを求められながら育ったからか、人への甘え方は知らなかった。

  • 人に対して、とりあえず良く思われるように振る舞うことが多かった。それは、反射的であり、無意識のうちにやっていた。これが、人付き合いの基盤にあったために、こんな事態になっていたと、今となっては思う。

  • 在職中、仕事の時は、黒ズボン。途中まで、上だけは制服に着替えるスタイルだったから、脱ぎ着しやすいパーカーが多かった。でも、私服で飲み会とかに行くときは、その出勤スタイルをしたくなくて、スカートばかりだった。



※本記事は、下記記事の第2弾です。

本当に中身がなくて、なんのはなしかわからないのに、無理やり結論づけて、4000字超えました。

読まれる方は、ご注意ください。



ということで、本日の記事で登場してもらうのは、同じ病院に勤めていた男性看護師さん。


退職後も、ちょっとの期間連絡を取り合うことはあったのだけれど、会ってはいなかった。
LINEも知ってはいるけれど、謎にずっとメールのやり取りで。


わたしが、格安プランに乗り換えることになり、そのアドレスは使えなくなったから、メールは来なくなった。

今どこで何をされているのだろう。



わたしは、大学卒業後、専門職としてとある病院に勤めることになった。ここは、簡単に言ってしまえば、ブラックな職場環境で。

わたしは、それを知った上で入職している。

なぜ知っているかといえば、大学生の頃に、実習で1ヶ月間入っていたからだ。


この病院の就職試験を受けることは、当時ゼミの先生からは、猛反対されていた。でも、勝手を知っているところに勤めることの方が、わたしにとっては好都合だと考えていた。

若いうちにできる苦労は、しておこうという建前だった。

恐れていた圧迫面接もなんとか通過したらしく、採用通知が届いた。

その瞬間、覚悟を決めた。



入職してから、3ヶ月間は、いろんな部署をローテーションしながら現場を見ていった。実習の時にお世話になった方もいたし、話してはいないけれど、見たことのある方もいた。


病院なんて、実習生の受け入れはあるあるだろうから、学生時代のわたしを覚えていたのは、きっと数少なかっただろう。

唯一密に関わっていた、学生時代の実習担当者は、わたしを病院に呼び寄せておきながら、ローテーション研修の間にさっさと退職予定を決めていて、気づいたらいなくなっていた。

それだけは、「あなたが呼んだんじゃん?なんでよ…」と思ったけれど、まだ卵から生まれていない状態のわたしに、何も言う権利はなく、ただただ事実を受け入れた。


ローテーション研修の後は、病棟配属となり、研修が続いた。

本来の業務なんて、まだまだ先だけど、新人には、事務作業だけ割り当てられていた。

でも、病棟配属になってしまったら、その数少ない事務作業でさえ、日勤後の残業や、夜勤後帰宅して、夕方のミーティングに再度ボランティア出社するしかない状態だったのだから、やっぱりブラックだ。 


こんな働き方ができたのは、若かったことと、実家に住まわせてもらっていたこと、同期の看護師と仲が良かったこと、なんだかんだ他職種の先輩に可愛がられていたこと、そして、わたしの頭のネジが外れて・・・・・・・・しまっていたことが大きかった。


この病院の人事異動は、退職者の動向にもよって、随時行われるけれど、基本的には、春がメインだった。

次の春には、いよいよ同職の人数が最小限になりそうだということがわかり、さすがに病棟に行かせている場合ではないと気づかれたのか、1年目の秋の時点で、本来の業務配置へ移行された。

この時から、とにかく忙しかった。
常にポケットに入れているピッチが鳴っている感覚。
頭は日々情報過多で、大変だった。めまいがした。勤務時間中に、パソコンを見る暇もなく、もちろん事務処理もできず、夜遅くまで残業は当たり前だった。休みもなかった。

看護職や介護職は、シフトが終われば、基本的には入れ替わりで入ってくる人がいて、羨ましく思っていたことがある。

わたしの職種は、気づけば未婚の女性3人だけになっていた。それぞれが部署担当を一つずつ持つしかない状態で、代わりはいなかった。

この業務の仕方は、どんなに若くて健康な身体をもっていたとしても、あっという間に心身を蝕んでしまうくらいの猛毒になりうるものだ、ということを、当時のわたしは、身を持って知っていた。


職種的に、いろんな場所や人とのやり取りが発生する。
業務を少しでも楽にできるように、院内スタッフと雑談ができるくらいの関係になっておく。これが、わたしのやり方で。

決して、誰かと特別仲良くしていたわけでもなく、ましてや、そんなブラックな職場の誰かに対して、そういう気好意があったわけではなかった。

業務用のツールではなく、私的に連絡を取りたいと求めてきた人が複数いた。

そのうちの1人が、看護師の大山さん(仮名)である。わたしより(少し)年上で、同業の奥さまとの間に、お子さんもいらっしゃったと認識している。この認識は、本人に確認したわけでなく、風のうわさ程度の情報だった。

この方は、わたしが学生時代に、実習生として来ていたことを覚えていたという、不思議な方である。


優しい口調の話し方だから、雑談をしていても、嫌な気持ちにはならない。風貌は、1人目で挙げたアルバイト先の社員と、どことなく似ていた。

わたしはこの職場に3年ほどしか身を置かなかったけれど、その間にいろんな部署に異動されていて、なんだかんだ仕事ができる人なのかな?という印象を持っていた。



病院勤務者の連絡先は、緊急時連絡網が作成されるために、院内で簡単に確認できてしまう。

そのため、私的なやり取りは、たいていの場合、ショートメールから始まる。

ショートメールは、言葉の通り、送れる文字数に制限がある。何通も送られるのは、お互いにちょっと…となるため、たいてい早い段階で、メール交換をするようになる。

当時は、LINEというのも既にあった気がするけれど、どの人ともメールでやり取りしていた。


わたしが激務なのを知ってか知らずか、「大丈夫?元気?」といったメッセージが届くことが定番だった。

この方の奥さまのことも存じているため、あまり親密にならないようにしていたつもりであったが、いただいたメッセージに対して、ドライになれないわたしのさが。ちゃんと返して、次の勤務の時に、支障が出ないようにしていた。

夜に、ふたりで、ドライブに行ったこともある。果たして、あれはなんだったんだろうか。

真っ暗だから、どこを走っているかわからなかった。どこに向かうでもなく、ひたすらに車を走らせてくれて、わたしは、ただ助手席に座っていた。

最初は、わたしの仕事の愚痴を聞いてもらっていたはずが、最終的には、わたしが聞き役になっていたっけ。

うわさとかゴシップ好きな職場だから、その対策で、夜のドライブだったのだと思うけど、今考えても、不思議すぎる。むしろ、怖い。←


でも、それが功を奏してか、大山さんがいる日に業務をするのは、とてもやりやすかった。
こっそりと、看護側の細かい事情も知れたりして、助かったものだ。


退職してからも、何度か、生存確認のメールをもらっていた。

でも、当時より、話は弾まなかった。

在職中でさえ、お互いに、私生活にできる限り触れずに話していたから、当然のことといえば、そうなのだけれど。

職場への愚痴という、最大限に共感し合うことのできる共通の話題ネタがあってこそのメールだったり、ドライブだったりができたのだ。


いろいろ聞いてもらっていたから、感謝はしてるし、なんとか楽しく(?)仕事をし終えたのは、大山さんのおかげでもあると思っている。




ずっと辞めたいって言ってはいたもんなあ…。

確実に、わたしなんかよりも、あの病院のことを知ってる人だった。

さすがに、別の職場に移ったかな。

元気にしてるかな?

連絡手段はないから、わたしが知ることはできないけれど。きっと、お子さんも、だいぶ大きくなっているだろうなあ…。本人から聞いたことはなかったけれど。(←意外に根に持っているみたい。)



軽やかな風が吹く春の陽気を感じて思い出したのは、夜中のドライブから地元に帰還して、大山さんの運転する軽自動車から降りた瞬間の一コマだった。

なんのはなしですか



ここまで書いていて、わかった。

相手に下心があったかどうかは知らないから、それは別として。

結局は、お互いにとって、都合の良い話し相手であり、暇つぶし相手だったのだろう。

満たされない心情や、平然として起こる理不尽を、車内というある意味で守られていた密室で、つぶやける、その空間が良かったんだ。

職種も違うし、所属も違う。年代だって違う。

普通だったらすれ違う程度、もしくは、職場で事務連絡する程度の間柄で、近すぎず遠すぎずな関係性だったことが救いだった。

大山さんの本音や素の姿は、最後まで見えなかったけど、きっとそれが良かったんだ、と今になって思う。



春は、傷つきも含めて、いろんなことを思い出す。

しんどくなることもある。

わたしが、思い出の残る地元を去ったことのきっかけがそれなりのもので、SNSでのつながりも極力持たないようにしていたから、疎遠になりすぎて、連絡先さえわからなくなっている。

だけど、お世話になった方に対して、いまが幸せであってほしいと願う気持ちに、嘘偽りはない。

本当に、中身がないフワフワなものを、4000字も書いてしまった。なんてことでしょうか。

本当は3人目がいるんだけど、ちょっといろんな事情で書けるかわからないから、とりあえずnoteのネタ帳の一覧にだけは、紛れ込ませておこうと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました🍀

あとがき までも、
なんのはなしかわからない。



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